夜もすがら


 最初にそれに気づいたのはハディだった。
 ハットウサは火の季節。容赦なく照りつける太陽の下、干上がった大地がひび割れ、人々は天の怒りを怖れるように、わずかばかりの影に身を寄せていた。
 枯れることなく命の水を与え続ける七つの泉のおかげで、乾きに苦しむことはなかったけれど、それでも、この季節には皆が息を潜める。
 高温に疲弊した身体に、疫病が忍んでくるからだ。
「ユーリさま、それはいったい・・・」
 朝食前の沐浴中だった。小部屋で、桶にはられた貴重な水に身体を浸していたユーリは、不思議そうに振り返る。
「なに?」
 見られることに慣れていないため、小部屋にかしずくのは、腹心の三姉妹だけ。窓に布を張り巡らせ、あかりも極力おとしてある。
「あの、腰の後ろに・・」
 言ってのばされたハディの指は、肌に触れる寸前で止まった。灯火を引き寄せる。
 ハディの顔が曇った。
「ねえ、どうしたの?」
 ユーリはそこをのぞこうとするが、自分の背中が見えるはずもない。
 姉の態度に、衣服の準備をしていた双子も顔をあげた。
「まあ・・・」
 言ったきり、絶句する。
 象牙色の、と表現されるなめらかな肌の上には、確かに赤い発疹が見て取れた。
 それは、帯状に広がり細い腰を囲むように続いていた。
「あの、ユーリさま・・・なにかここに異常は感じられませんか?」
 ためらったハディは、しかし発疹に手を触れた。
 ユーリが、一瞬眉をよせた。
「なんか、かゆいみたい」
 ハディは、息をのみ、双子も細い悲鳴を上げた。
「姉さん!!」
「典医を呼んで、早く!!それから陛下にも連絡を!!」
 双子が飛び出してゆくと、ユーリにも我が身の上になにか異常な事態が起こっているのだと飲み込めた。
「ねえ、ハディなんなの?」
 すがるように訊ねるユーリに、ハディはゆっくり首を振った。
「大丈夫です、ユーリさま。なんともありませんとも」
 それが、ユーリをさらに不安にさせた。腰の後ろに手をやると、皮膚の変化が分かった。
「あたし・・疫病なの?」
「いいえ、ユーリさま。お医者さまが参ります、それに陛下も・・・」
「だめ!カイルは来ちゃだめ!!」
 言うと、水からとび出た。急いで布を巻き付ける。
「皇帝陛下が、疫病患者に会ってはいけないわ!!」
「ユーリさま、まだ疫病だと決まったわけでは・・・」
 そのまま王宮から出てゆくつもりなのか、走り出そうとしたユーリにハディはしがみついた。
「どうぞ、落ち着いてください。たとえ疫病だとしても、陛下がすぐに治して下さいます!!」



 その話を、カイルは執務室で聞いた。
 息を切らせて駆け込んだリュイの言葉に、息を止め、次には部屋を飛び出していた。
 後宮への廊下をひた走るカイルに、キックリが追いすがった。
「どうぞ陛下、落ち着いて下さい」
「落ち着けるか!ユーリが疫病かも知れないのだぞ」
 走りながら、カイルは吐き捨てる。
 皇帝の身分で、疫病患者に会ってはいけないことなど、承知している。だが、患者はユーリなのだ。
「昨日の夜には、なんともなかった・・」
 ひとりごちる。何者からも守るように、抱きしめて眠ったのに。
「昨夜はことさら暑うございました。ですからユーリさまも・・」
 息を切らせながら、キックリは言う。
 皇帝を止められないことは、知っていた。帝国の存亡に関わる事態を招くことになるだろうことも。
 カイルは黙り、後宮寵妃の部屋の扉を乱暴に開けた。
 はじかれたようにユーリが立ち上がり、全裸の胸を隠した。ハディが、あわてて服をかける。
 肩で息をしたまま、カイルは見慣れた室内を見まわした。
 老いた典医が、うやうやしく頭を下げるのに、大股に歩み寄る。
「ユーリは、どうだ!?」
 噛みつくように、問う。典医はしばらく、目をしばたかせたが、やがて頭をふった。
 入り口で悲鳴を上げたのは、リュイだったか。ユーリの肩にかけられていたハディの指が白くなった。シャラは、その場に座り込んだ。
 キックリは硬直し、カイルは呆然と愛妃を見た。
「・・・ユーリは、疫病だと・・・?」
 イシュタルが疫病にかかるなど。それでは、この国の守りはどうなるのだ。
 絶望に支配された部屋の中に、典医の言葉が響いた。
「イシュタル様は、疫病ではございません」
 口を開けたまま、カイルは典医を見る。二三度開いたり閉じたりを繰り返し、ようやく言葉を絞り出す。
「・・・疫病・・では、ない?」
「はい」
 拍子が抜けるほどあっさりと典医は答え、帰り支度を始めた。
 薬箱から、小箱を取り出すと、固まったままのハディに差し出した。
「清潔にして、これをつけることです。吸湿性のよい服をお召しになるのですな」
 反射的に、手を出して小箱を受け取ったハディが、しゃがれた声で訊ねた。
「イシュタル様の、御病名はなんです」
「汗疹・・・あせも、です。なぜこんな風に出来たのかは分かりませんが」
 さらりと頭を下げると、典医は辞した。
「・・・あせも?」
 ユーリがつぶやくと、視線が集まった。双子が泣き出したのは、安堵のためか。
 カイルは、典医の消えた戸口を睨んでいたが、やがてユーリを振り返った。
「申し訳ありません、陛下。私どもが大騒ぎしたばかりに・・」
 恐縮するハディの横をすり抜けると、身を縮めている小さな身体を力一杯抱きしめた。
「あ、あの・・カイル・・」
「ユーリ、本当に良かった・・・」
 腕にさらに力を込める。
「あ・・・」
 声をあげたのは、四人。三姉妹と侍従の視線が、カイルの腕に注がれた。
 抱きしめる腕は、ユーリの腰のあたり、あせもの上にぴたりと重なっていた。



 カイルは、不本意ながら、胸元に張りついているユーリを引き剥がした。
 けだるい疲労の中、眠りに落ちてゆこうとするユーリは不満げに鼻をならす。半ば開かれた唇が媚びを含む。
 からみつく腕をかいくぐり、そばに置かれた水盤に手を伸ばす。
 浸した布を引き上げると、眠りを妨げぬよう、静かに汗ばんだ肌に滑らせる。
 火照った身体に心地よい刺激を与えられて、ユーリの唇が吐息をもらす。悩ましげに身体がよじられる。
 膝に抱き上げ、隅々までぬぐったあと、すり寄せてくる身体をなだめながら、小箱を手に取る。
 蓋を開ければ、処方された薬が入っている。
 純白の粉を、毛足の長い皮にすくいとると、なだらかな肌の上に軽くはたいてゆく。
 くすぐったいのか、のどの奥で軽く音を立てるユーリの背を、あやすようにたたく。
 そのまま、首に巻きついた腕に苦労しながら、ハディの用意した吸湿性のよい夜着を手に取る。
 小声で、ささやく。
「ユーリ、しがみついていては、着せられないだろう」
 返ってきたのは、軽い寝息だった。
 深くため息をつくと、一方ずつ外した腕に袖を通す。裾を引きさげ、肌を完全に隠してしまってやっと、ユーリを横たえそのそばに身体をのばした。
 抱き寄せ、腕の中に納めてから、再びため息をつく。
 腕の中では、規則正しい寝息が繰り返される。カイルも、まぶたを閉じた。
 一連の就眠儀式が終わった。けれど、眠れるわけがない。  

       

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