『イルの述懐』
by仁俊さん
ここは地中海。ウガリットからエジプトに向かう旅の途中。
私、イル=バーニだけがひどい船酔いに悩まされていた。
陛下への報告書さえ、まともに書くこともできない。
(この私とした事が・・・何てザマだ!)
海の上でも平気で動き回る三姉妹。
日頃の鍛え方が違うという事か。
しかも彼女達はつい最近、地中海の船旅を経験済みなのだ。
「「すぐに慣れますよ。楽勝、楽勝♪」」
双子たちは同情のカケラも無い口調で笑っていた。
絶え間なく襲う吐き気と眩暈。
「これは・・・地獄だ」
だが、私自身の発案でエジプト行きが決定したのだから誰を恨む事もできない。
陸路も考えなかった訳ではないが日数がかかりすぎるし、船旅の方が安全だ。
3日目になっても私の船酔いは衰える事を知らないかのようだった。
苦悶にのたうちまわりながら、いつしか私は意識を失っていたらしい。
気が付くと、誰かが身体を拭いてくれていた。
(そういえば幼い頃、母上が自ら看病して下さった事があったな)
「母上・・・」
思わずつぶやくと、さらに優しく動く手。
中流以上の貴族の家に生まれた者が実の親と触れ合う機会はあまり多くない。
ましてやカイル皇子の乳母として仕えていた母が実の息子である私の面倒をつきっきりで見る機会など、まず皆無に近かった。
心優しい当時のヒンティ皇妃様が幼少の身で大病を患った私を気遣い、その母である乳母に休暇を与えたというのが真相なのではないだろうか。
(私は、まだ夢を見ているのか?)
しかし記憶の中の母とは手つきが違う。
いや、先程までは区別がつかなかった。
だが下半身に移動してから手つきが急に、ぎこちなくなってきたような気がする。
しかも、先程から同じ場所ばかりを拭いている。
やっと他の場所を拭き始めたかと思うと、すぐまた戻ってきてしまう。
拭いている場所も場所だ。
そのせいか、私も妙な気分になってきた。
(これは、母ではない。すると・・・誰だ?)
急速に意識が目覚めてくるのを感じる。
身体を拭いてくれている者に声をかけてみた。
「ハディか?」
「は、はいっ!」
急に名を呼ばれてビックリしたのか、咄嗟に目の前にあったモノを掴んだまま硬直するハディ。
「あ、あのっ、大汗をかいていらっしゃったので・・・そのぅ」
モジモジして、両手に押し包んだモノを更に握り締めるハディ。
顔は紅潮し、声も裏返っている。
「そこは・・・もう拭かなくてよい」
気まずそうな言葉に、思わず自分の手許を見つめるハディ。
「えっ?・・・きゃあああああっ!!!」
弾かれたように両手を離すハディ。
身体を拭いていた布は頭上高くひらひらと舞い上がり、何故か元の場所へ。
(お見事)
口に出しては言わなかったが、私は妙なところで感心していた。
これを応用して、大道芸に華を添える・・・のは難しいかもしれない。
船室を飛び出していったハディだが、何故かすぐに戻って来た。
今度は私の身体にはシーツがかかっているから大丈夫だ。
「あのぅ・・・私」
相変わらず、モジモジしている。
なんだかとても言いづらそうだ。
上半身を起こして、問い質してみた。
「何だ?」
「私・・・責任を取ります!」
決意の表情で、言うが早いか立ち上がると、手早く服を脱ぎ始めるハディ。
(これは一体何だ?何が起こっているのだ!?)
呆然としながらも、美女のストリップに目は釘付けだ。
今回踊り子役のくせに男あしらいが下手な彼女を、私は自分の女房として周囲に紹介した。
だから同室に寝ている。
けれども手は出していない。
国家にとって非常に重要な使命を帯びてエジプトに向かっている最中に、色事など以ての外。
それに私自身、一時の戯れの相手としてハディを抱くつもりはなかった。
だから彼女の肢体を目にするのは、これが初めてだ。
しかし見惚れている場合ではない。
「待てハディ、責任とは何の事だ?」
いささか遅すぎるタイミングではあったが、私はハディを制止した。
踊り子の衣装であれば、もうとっくに彼女は素っ裸になっていたであろう。
(しかし、薄物一枚というのもなかなか・・・違う!)
「妹たちが申しますには、殿方をソノ気にさせた以上は責任を取るべきだと・・・」
ハディの口から洩れた言葉と彼女の視線の行く先を確認して、柄にもなく私はうろたえた。
シーツに覆われていても、さっきから身体が変化したままであるのはハッキリ見てとれる。
しかもハディは先程「現物」を目にしているので私としては非常に言い訳がしづらい。
身体の反応と本人の意思とは異なる場合がある事を説明しても良いのだが、現状では説得力が無い。
「それは違うぞ、ハディ。男がソノ気になっても、女が責任を取る必要は無い!」
ちょっと惜しい気もしたが、私は彼女の誤解を訂正した。
これから踊り子として多くの男たちの前に身を晒すハディが思い違いをしたままでは危険だからだ。
「ですが・・・このままでよろしいのですか?」
あいかわらずチラチラと視線を彷徨させながら、心配そうな表情で食い下がるハディ。
その格好は、あまりにも無防備だ。
冗談や演技で私を困らせようとしている訳ではないらしい。
(双子め、実の姉に何を吹き込んでおるのだ!)
憤慨しながらも私は、この状況をいかに収拾するかを考えていた。
ハディの初心な反応を愉しんでみたい気もする。
しかしまだ、その時ではない。
「我慢できる。今は・・・体力の消耗を避けたい」
なし崩しの状態で関係を結ぶのはお互いのためにならない。
ついでに言えば、初顔合わせの時はベストコンディションであるべきだと私は考える。
「あ、では私は看病の続きを」
「お前も休むがよい。・・・ただしココで、だ」
身体を横にずらし、空いたスペースを指し示す。
「あの・・・?」
「大丈夫だ。襲ったりはしない」
数瞬ためらった後、ハディは私の言葉に従った。
横になって固まってしまっている彼女を怖がらせないように優しく抱き寄せ、唇を重ねる。
抵抗は全くなかった。
「これは約束のしるしだ」
「・・・何の約束ですか?」
「任務を終えたら、お前を求める」
その夜、私はハディを抱きしめたまま眠るように努力し、実際眠る事に成功した。
同衾した彼女の匂いと柔らかい感触のせいで身体は興奮状態のままだったらしいが・・・それは仕方あるまい。
翌日には船はエジプトの港町、ラシードに到着した。
エジプトでは色々あったがユーリ様を連れ帰る事にも成功し、皇太后の売国行為の証拠も手に入れた。
追ってきたタハルカを振り切る為に別行動をとった私たちは偶然(?)ふたりきりになる事ができた。
今度は船に酔うこともなく、私は約束通りハディを求めた。
翌朝、それからの事を何も約束しなかった事に気付いた私は、ハディに訊いてみた。
「昨夜の事は一夜限りの夢にするつもりか?」
一瞬、虚をつかれたように動きが止まった。
ハディの返事は微妙だった。
「それは・・・イル=バーニ様次第でございます」
うつむいたままなので表情が読めない。
「続けても良いのだな?」
「はい」
それ以来、私たちは続いている。
(この話は、これでおしまい)
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