ひねもすさんの奥にて2400番のキリ番げっとのリクエストは「過去の女性関係で苦しむカイル」・・遊んでたからねえ・・・


憂い月


 日を追うごとに、訪れは遅くなる。
 カイルに責めるつもりはなくとも、つい当てこすりじみた言葉を投げかけてしまうのは、はやる心を御すのを苦痛に感じるからだ。
 伺候が告げられ、扉が開け放たれると同時に抱き寄せる。
 後は、隔てる衣ももどかしく互いの身体をからませ合う。
 入念に施された夜の化粧や焚きしめられた香に、己のための装いと知りつつも口にしてしまう。
「なにも手間取る支度などしなくてもいい」
「ごめんなさい」
 返る言葉は少なく、それが恥じらいから来るものだと信じて疑わなかった。
 あの夜までは。

 あまりにも、遅すぎる。
 堪え性がだんだんと無くなってゆくのは自分でも分かっていた。
 身体を合わせたからと言って、何もかもを手にしたつもりにはなれない。歓嬌の時が濃いほど、離れているときの不安は増大する。
 切り取られた窓から覗く月を見上げながら、心を落ち着けようとする。
 遅すぎる。
 いつもなら、とうに現れているはずだった。
 腕の中でためらいがちに抱擁を返し、やがて、目覚めた情熱におののきながら翻弄される愛しい姿が見られるはずの時刻だ。
 昨夜、指にからんだ肌の熱さを思い出し、唇を噛む。
 ここまで、男を待たせるなんて、どうかしている。
 妙な駆け引きを覚えた訳でもあるまい。
 寝所の外に続く廊下の物音に耳を澄ませる。
 気配は、ない。
 限界だった。
 大股に室内を横切り、扉を開く。
 控えていた衛兵が、慌てて頭を垂れる。
「陛下、どちらへ」
 後宮へ。先触れも無しに訪れることなど、常軌を逸することかも知れない。
 しかし、カイルは歩み出す。
 ユーリが、来ない。
 どれだけ求められているのか、十二分に承知しているはずなのに。
 畏怖を感じたのか、衛兵は無言で付き従う。
 

 ユーリの寝所は、もぬけの殻だった。
 室外に皆を控えさせ入り込んだカイルはいぶかしみながら室内を見まわす。
 整えられた寝台は、遠征から帰ってこのかた、使用されたことはない。
 掃き清められた床や、きっちりと並べられた調度は、主が留守にしていることを示している。
 いったい、どこに。
 カイルの目に、細く隙間から漏れる明かりが入る。
 その光源は、閉ざされた扉の向こうだった。
 湯殿、か。
 現在皇帝唯一の妃であるユーリは、皇妃に次ぐ部屋を与えられている。
 歴代の寵姫のために用意されたその部屋は、専用の湯殿を持っていた。
 いまごろ、湯浴みとはどういうつもりだ。
 腹立ちに、扉を押し開く。
 垂らされた布の向こうから、声が聞こえた。
「このようなこと・・」
 声は確かに涙を含んでいる。
「いいの」
 小さな声。
 水音がする。
「シャラ、もっとお湯を・・」
「これでは、落ちませんわ」
「灰汁を使えばどうかしら」
 また、水音。
 怒りを含んだ言葉にとまどい、室内に満ちた異臭にカイルはようやく気がつく。
 ふと見れば、垂れ幕のすぐこちらに、脱ぎ捨てられた衣がある。
 異臭は、確かにそこから立ちのぼっている。
 これは・・。
 近づいて見下ろし、カイルは眉をひそめる。
 襟刳りのあたりの刺繍に見覚えがあった。
 確か、ユーリに贈ったものだ。
 けれど、色が違う。真っ白に晒した亜麻布だったそれは、いまは緑がかった黒に染められている。
 いや、床に滲み出すほどに染料をしみこませたそれは、まだ染めの行程を終えていなかった。
 まるで、染料に浸したばかりのようだ。
「落ちませんわ・・」
「ハディ、仕方がないよ。今晩は具合が悪くなったって、陛下に・・」
「ユーリさま、これはわざとです」
「ユーリさまに陛下の寵があるのを嫉んだ姫君の誰かが・・」
「やめてよ、リュイ」
 すすり泣きの声が重なった。
 静かにユーリが言う。
「ねえ、気をつけて歩かなかったあたしも悪いんだし・・今夜は、これを落とそう?」
 出来ることなら、隔てた布を取り去りたかった。
 けれど、カイルはそれを思いとどまる。
 きっと、ユーリは姿を見られたくはない。
 そして皇帝の名で犯人探しをするわけにもゆかない。
 後宮の統治者という立場をユーリが名実とも手にするためには、皇帝の力は介在させてはならなかった。
 血の滲むほど唇を噛みしめながら、カイルはもとの道を引き返す。すぐに、今夜の伺候は不可能になったと使令がくるはずだったから。


 訪れる者のない寝台に伏せる。
 毎日従者の手で整えられるそれには、昨夜の残り香すらない。
 以前にもおなじような目に合っていたのだろうか。
 夜毎に遅れる訳に、ようやく思い当たる。
 責める言葉にも、恥じらいが返ってきただけだった。
 手に入れたことに酔っているだけで、それに気づかなかった。
 ユーリは責めない。ただ、耐えているだけだ。
 庇護を求めることすらしない。
 私は、おまえに無理を強いているのか?
 皇帝唯一の寵姫として、毅然とした態度で臨んでくれれば。
 人の上に立つのを望む女ではないけれど。

 手を伸ばせば、侍従に持ってこさせたタブレットが当たる。
 書き連ねてあるのは、後宮に上がった姫達の名前。
 今宵の相手をと、差し出されたそれを手を振って下げさせたのはカイルだ。
 今は、それから愛しい娘に酷い仕打ちを与えた者を探し出そうとしている。
 覚えのある名前。
 ざっと目を走らせるだけでも、いくつもが浮かび上がる。
 別れの言葉さえなく夜離れた姫君達が、どのような想いで夜を過ごしているのか、今は分かる。
 後宮の一室で息を潜めながら、呼び出しがかかるのを待っている。
 自分は過去に、どれほどの甘い言葉をそれらの姫にささやいたのだろうか。
『私は正妃となる姫を探している』
 腕の中で、かっての恋人達はどのような夢を紡いだのだろう。
 ユーリが歩くたびに、その身体に視線が突き刺さる。
『愛されるのは、私のはず』


 正妃にふさわしいはずの恋人達だった。
 家柄も身分も申し分なく、心根の優しい控えめな姫たち。
 それをねじ曲げてしまったのは、カイルの仕打ちだった。
『ほかの方には残酷になってしまうのですわ』
 たった一人を見つけてしまったから。
 腕の中に、細くしなやかな身体を描いてみる。
 たった一人の誰よりも愛しい女なのに。
 今は守ってやることもできない。
 かって、自分が愛していると信じた姫達の意地の悪い仕打ちから。
 きっとユーリも気がついている。
 彼女たちの心に潜む悲しさに。
 そういう女だ、自分が選んだのは。


 すまない。


 詫びる声が、口をつく。

 後宮に満ちる悲しいため息の主に。
 ぽつりと寝台に腰掛けて、のびる影を見つめているのだろう女達に。
 満たされない想いを知るように、今宵の月は弧を描く。   


                     おわり 

     

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送