ある秋の日・・・まろ日記


 うららかな日差しの中。
 ヒッタイト帝国現皇帝の唯一の兄君であらせられるロイス・テリピヌ殿下は、ハレブの王宮の中庭でくつろいでいた。
 古来よりの交通の要衝ハレブが、今の彼が守るべき場所である。
 が、しかし、賢帝と名高い弟のおかげで戦乱もなく国中は平らかに治まり、決められた駐屯軍の閲兵を済ませると、もう彼の仕事はさしてなかった。
 一見退屈そうな日々も、生まれ持っての穏やかな性格の殿下には、苦痛ではなかった。
 幸せなことに、身分の低い母親を持ったために、後宮での権力争いに巻き込まれることもなくただひたすらのんびりと育てられた殿下だった。
「ああ、良い天気だ」
 さえずる鳥の声に耳を傾けながら、殿下はそっとつぶやいた。
「こんな穏やかな日には・・・歌でも詠みたいな」
「殿下、お茶菓子が用意できましたわ」
 そっと正妃が声をかける。
 合図された侍女が、菓子の載った盆を差し出した。
「京都より、取り寄せましたの・・・鶴屋吉信の『京べに』です」
「おお」
 テリピヌ殿下は相好を崩した。
「『京べに』ですか、それは良い」
 あらかじめ別に用意された最中の皮に自分でアンを包む『京べに』は、皮がぱりぱりと香ばしく、テリピヌ殿下の好物だった。
「さあ、お作りして差し上げて」
 正妃が言うのを手を挙げてやわらかく制する。
「私が包もう・・・あなた方の分も」
 まあ、と控えていた側室達が顔を見合わせて笑った。
「殿下は御好物は、ご自分の手でお仕上げになりたいのね」
「実は、そうなのだよ」
 言うと、テリピヌ殿下はへらを取り上げ、皮のなかにアンを詰めはじめた。
「さあ、これは・・貴女の分・・こちらは・・貴女の分」
「もったいのうございますわ」
 出来上がった最中を、おしいただきつつ妃たちは殿下の手際の良さを誉めた。
 ひととおり最中が行き渡り始めた時だった。
 テリピヌ殿下の手がふと止まった。
「困ったことだ・・」
「どうなさいました?」
 正妃の言葉に、殿下は箱の中味を見せた。アンの入っている缶にはまだ中味があったが、皮はもう残されていなかった。
「どうやら私は少し、アンの量を少なくしてしまったようだ」
「まあ、大変。いかがいたしましょう?」
 不安げな妃達の前で、テリピヌ殿下は黙り込んでいたが、急に目を輝かせると
顔をあげた。
「思いつきました」
「さすが殿下ですわ・・残ったアンをどうされますの?」
「いいえ、違います」
 殿下はゆっくりと微笑んだ。
「思いついたのは、歌です。
 −−−あしひきの 山と盛りしか いつのまに
       あんぞ残りて 皮をなくなす−−−−
(あしひきの山のように大盛りにしたのは最近のことのように思えるのに、いつのまにかあんこが残って皮を失ってしまったことだ)
 いかがですか?」
 一同は、うっとりと耳を傾けていた。
「なんて立派なお歌なのかしら」
「ええ、皮の無くなった悔しさが胸にしみますわ」
 ややあって、正妃が控えめに手を挙げた。
「殿下、拙いながら私も詠んでみました。
 −−−ついにつく ものとはかねて 聞きしかど
         昨日今日とは 思わざりしを−−−−
(やがてはなくなってしまうものとは聞いていたけれど、まさかそれが昨日今日と差し迫ったことだとは思っていませんでしたわ)
 殿下には及びませんが・・」
 頬を赤らめた正妃に、テリピヌ殿下は軽く手を叩いて見せた。
「素晴らしいではないか・・・誰か他に歌を詠む者はないか?」
 側室達は一斉に首を振った。
「とんでもありませんわ」
「妃殿下のお作にかなうものなどおりませんよ」
「無教養が知れてしまいますもの、とてもとても」
 どうやら、次の歌が出ないことを知って、テリピヌ殿下は穏やかに一同を見まわした。
「それでは、私が詠むことにしよう。
 −−−あんもをし あんも恨めし あぢきなく
         のち思ふゆえに 皮なくす身は−−−−
(あるときはあんこを愛しく思い、またあるときはあんこを恨めしく思う。あとあとの事を考えたために皮を無くしてしまった私は)
 さあ、私が己を恥じたところで・・・皆でお茶にしようではないか」
 正妃がうなずき、侍女がそっと茶器を持って立ち上がった。


 ハレブは今日も平和だった。

                    おわり  

      

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