朝焼けのルンバ
カイルがいる。
あたしはぼんやりと、まわされた腕の重みを感じながら、思考の糸をたぐり寄せる。
疑問点がいくつかある。
@昨日は、べつべつに休んだハズなのに、いつのまに来たんだろう?
Aなんだか、お酒臭い。
B足もとが・・べとべとする。
疑問点のうち、@は比較的簡単に推察できる。
あたしが寝入ってから、カイルはやって来た。皇帝が皇妃の部屋に入るのにとがめる人がいるわけがない。それに、昨夜はあたしだってカイルが来るかも知れないと思って準備はしてたんだよね。
Aに関しては・・カイルがここに来る前にお酒を飲んだ、とか。でも、仕事で遅くなるって言っていたのに、飲む暇なんてあったんだろうか?
あたしは、身体を伸び上がらせて、カイルの口元で鼻をくんくんさせた。
おかしい、匂わない。
じゃあ、カイルが飲んだってのは違うよね。
でも、お酒臭いんだ・・・
疑問B。あたしはカイルの腕をすり抜け、そっと上掛けをめくりあげた。
・・・氷解。
なにがって?疑問AとBが同時に、よ。
なぜか、カイルの夜着の裾は、ワインの色にぐっしょりと染まっていた。
カイルの服が濡れていると言うことは、当然からみあわせているあたしの足も濡れるわけで・・
疑問C。どうして、カイルはワインまみれなの?
なんだかぶつぶつ言っているカイル越しに部屋をのぞき込んで、あたしは息を飲んだ。
惨状という言葉がこれ以上にぴったりの情景があるだろうか?
椅子と机がひっくり返り、食器は割れていて、床の上にはワインの水たまりと踏みつぶされた果物が散らばっていた。
泥棒?カイルがいるのに泥棒が入るわけないか。
地震?これだけ揺れれば目が覚めるでしょう。
台風?部屋の中に?
夫婦喧嘩?な、はずない。
仕方がないのでカイルをそっと揺り動かす。
「カイル、起きて」
「ううう・・む」
寝返りを打ったカイルの顔が日にさらされて、あたしはびっくりする。
あごのところに、おおきなアザが出来ていたからだ。
「カイル、どうしたの!?」
よく見れば、血もにじんでいる。
「・・ああ、お早うユーリ」
カイルが目を開いた。
「どうしたんだ?」
「どうしたんだって、カイルこそ!いったいあごをどこにぶつけたの?」
カイルは不思議そうにあごに手を当てた。
「もしかして、アザになっているか?」
あたしは大きくうなずいた。美男の顔にアザが出来るなんて悲しすぎる。
「実は、昨夜は暗かったので柱にぶつかってしまったんだ」
そう言って、カイルは室内を見まわした。
「また派手にやったものだな」
「カイルなの?」
あきれたけれど、次にあたしは青ざめた。
だって、これだけ部屋がめちゃくちゃになっているんだから、あちこちぶつかって歩いていたカイルが無事なわけがない。
「カイルッ!」
ちょっと声が裏返ってしまった。
「他に怪我してない!?」
あたしの剣幕に、カイルは驚いたようだけど、素直に手を差し出した。
「人差し指を・・」
「突き指?」
あたしはカイルの右手をまじまじと見た。
あたしの好きな節高の長い指がこころなしか熱を持っているみたい。
そっと唇をつける。
突き指だったら、引っ張った方がいいのかな?でも、腫れてはいないんだよね・・。
「それと、足・・」
寝台の上に座り直したカイルが、そっと夜着の裾をめくりあげた。
弁慶の泣き所に、紫色の打ち身の痕があった。
「・・痛そう」
手のひらで包み込む。
「おまえが触れると、痛みが無くなる気がするよ」
そう言ってカイルは夜気を脱ぎ捨てた。
「カイル、朝だよ!?」
焦るあたしに、カイルは左脇腹を指し示した。
「ここもだ」
・・・縦5p、横15p。
この角張った形状からすると、ぶつけたのは・・・机?
あたしは、うなった。
暗闇の中であっちにぶつかりこっちにぶつかりしているカイルを想像してしまったから。
「さあ、ユーリ」
カイルはあたしの手を引っ張ると、脇腹に導いた。
「どうして、明かりをつけなかったの?」
あたしはカイルのアザに触れながらたずねた。
「おまえを起こすと悪いと思ってな」
そんなこと言われたら叱ることもできないじゃない。
と、思っているとカイルの手首があたしの手を微妙なところへ連れていこうとする。
「ちょっとカイル!」
慌てて手を引き抜く。
危ないところだった・・。まったく朝から何をするつもりなの?
「ユーリ」
なのに、カイルはめいっぱい真面目な顔で言う。
「おまえも脱いでごらん・・心配なんだ」
なにが?
「実は、昨晩おまえを踏んづけてしまった」
ええ?そうなの?
「踏んだって、どこを?」
「それを確かめるんだよ」
言うと、カイルはするするとあたしの夜着を脱がし始める。
手際の良さに感心している場合じゃない!
「ちょっとカイル!」
「心配なんだ」
なにを真面目な顔で言ってるの?下心丸見えだよ!
「あの柔らかさは・・脇腹かな?」
手のひらで、あたしの脇腹を撫でる。
「あっ!」
って、色っぽい声出してる場合じゃない!
「カイル、朝だよ、朝!」
もうすぐハディ達だって起こしに来るし、だいたいカイルが来てるって知らないから部屋に入って来るだろうし。
「背中かな?」
「う・・ん・・」
きゃ〜っきゃ〜っ!なんなの?条件反射!?
「やっぱり、脚かもしれない・・・」
怪我してかわいそう、なんて考えたあたしが馬鹿だった。
カイルは、血のにじんだあごや突き指や向こうずね脇腹の青あざなんて、まったく意に介さない元気さであたしの身体を撫で回し始める。
反抗の気持ちも萎えかけたとき・・・
「ユーリさま、おはようございます!」
朗らかに、さわやかに、扉が開いた。
三姉妹!!・・・と、その他の女官。
「これは・・いった・・い」
まず、床の上の惨状を見たハディは、眉をしかめ・・それから寝台の上のあたし達を見た。
違うよ、と、あたしはカイルに組み敷かれつつ真っ赤になってぶんぶん首を振った。
ああ、視界がぐらぐらする。
くるり、ときびすが返った。
「さあ、ユーリさまはもう少しお休みです」
相変わらず朗らかなまま、ハディが一行に告げる。
待ってよぉ、ハディ!
閉じられた扉に、あたしの声にならない叫びが吸い込まれる。
「まだ、休むつもりなのか?」
これまた、さわやかにカイルが言う。他人の背中を舐めながらのセリフじゃないよ。
「誰のせい!?・・絶対この部屋見て誤解されたからね!」
言葉遣いが乱暴なのは息継ぎが難しくなってきたから。
「昨夜派手な一戦をやらかしたなんて噂が広がったらどうする気?」
「一戦なんて・・」
カイルは、あごをあたしの肩口に擦りつけた。痛そう。
「これから、だろ?」
突き指したはずの指先が、あたしの頬を包む。
アザのあるはずの脇腹が、背中に押しつけられてくる。
「そうだけどね!」
腹立ち紛れに、向こうずねに乱暴に脚をからませてみた。
「うっ」
カイルが小さく呻いて、それから楽しそうに笑い声を上げる。
あたしは、あきらめて、大きく息を吐いた。
おわり
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