遠雷


 嵐の気配がする。
 窓を閉ざした暗幕が、水を含んだ風にあおられた。
 暖色に照らされた寝台の内、ユーリはかたわらのカイルに身体を寄せた。
 隙間なく肌を合わせたまま、無言で互いの熱を感じる。
 高ぶった身体は、緩やかな下降線を描いて、落ち着きつつある。
 うずきは腰の奥にかすかに残る。
「・・あ・・」
 耳にしたそれに、声がもれる。
「どうした?」
 カイルの腕に力が込められる。離れることに怯えるように、ぴたりと身体を寄り添わせたまま。
「うん・・雷が・・鳴ってる」
 遠く広がる空のかなた、重く重なり合った雲のどこかでうなりに似た音がした。
 見上げれば、鈍色の空に白刃が走るのを眼にする事が出来るかも知れない。
「降るな・・」
 腕がユーリを引き上げる。顔を合わせれば、互いの瞳が同じ炎を揺らめかせているのを知る。
「雷が、怖いか?」
 言葉には挑発が忍ばされて。
「ううん・・・嵐が過ぎれば、夏が来るよ」



 玉座に並んで腰を下ろしたとき、予感はあった。
 皇族の男が口上を述べるあいだ、ユーリの視線は後ろに控えて顔を伏せたままの女性に注がれていた。
 遠く異国に嫁ぐ姫は、華やかな婚礼の衣装に身を包む。
 のぞく額のあでやかさから、容貌を見るまでもなく姫の美しさが分かった。
 父親が言葉を尽くす間、娘は身動きもしない。髪に飾られた細かく碧玉を連ねた揺絡さえ、こそりとも揺れない。
「姫・・」
 カイルが、口を開く。
 皇帝の言葉で。
「この婚姻は、帝国との絆となろう。あなたの、献身に感謝しよう」
「いいえ、皇帝陛下」
 姫がはじめて顔を上げる。煌と広間に輝きが満ちる。張りつめた声さえ、美しい。
「私は望まれてまいるのですから。身を捧げたなどとは感じておりませぬ」
 深い蒼の瞳は、揺れることもなくカイルの姿を見据える。
「それでも、陛下のお言葉は身に余る名誉と賜りましょう」
 すらりと視線がユーリに向けられた。
「イシュタル様」
 言葉は、真っ直ぐにやって来る。皇妃と呼ばぬ真意を、感じ取らない訳にはゆかない。
「故国を離れる私に、どうぞイシュタル様の祝福を」
 昂然と顔を上げる姫から、眼を逸らすことは許されない。
 ユーリはゆっくり笑みを浮かべる。女神としての、矜持を示して。
「姫の道中とこれからに。幸い多きことを」
 白い頬にさっと赤みが刷かれたが、瞬きの間もなく静まった。
 嫁ぐ姫は、頭を下げる。
「皇帝ならびに皇后陛下に幾千の神々の祝福を」
 カイルが指を立てて答える。歓呼の声がこだまし始める。
 父親の腕で励まされながら、姫が退出する。その姿を見送りながら、ユーリは立ち上がる。振り向けばカイルの顔は、水面のように静かだ。
「いいの?」
「なにが?」
 琥珀の瞳には、いささかの逡巡も感じられない。かっての恋人を見送ろうというのに。



 雷鳴が、空気を震わせる。風はうなりながら重い水滴を室内へと吹き込ませる。
「カイルは・・・残・・酷ね」
 胸に強い口づけを受けながら。
 叩きつける雨より互いを浸し、荒れ狂う雷鳴より激しく愛撫を繰りかえす。
「怖・・い・・のか?」
 息づかいは、言葉さえ苦しめる。
「!!」
 一瞬の稲光が絡み合う二人を照らし出す。
 わずかな隙間も許さぬように身体を合わせて。   
「・・怖く・・な・・い・・」
 身内に潜む残酷な嵐。荒れ狂うままに求め合って。
 激しく降れば、洗い流してくれる。猛り狂えば、忘れさせてくれる。


「だって、嵐が過ぎれば夏が来るよ」
 あの、なにもかも焼き尽くす灼熱の夏が。


                   終

       

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