「酔いどれバナナ作品 B」


宵月


           
 by 酔いどれバナナさんたち


 何故、願いは叶わぬのだろう。
 いつも、一番欲しいものが手に入らない。
 望んで、叶わぬことはないはずなのに……



「…カイルさま?」
 突然、喧騒の中へと引き戻される。
「あぁ…キックリか」
「そろそろ、宴にお戻りになられませんと…」
 広間の方を見れば、未だこの帝国の立太子を祝う宴は続いており、どうやら自分がいないことに気がついたのであろう、微妙なざわめきが広がっていた。
「そうだな…早く終らせて帰りたいものだ」
 宮で、帰りを今かと待っているであろう娘を想いながら、ベランダを後にする 。

 
「ずいぶん遅くなってしまいましたね」
 王宮から下がる道すがら、キックリがそう呟くのも無理はない。
 ベランダから眺めていた、東の地平線に見えていたものが今ではすっかり中天に昇ってしまっており、先程まで晴れ渡っていた空には陰りが見え始めている。
 早々に宴を下がるタイミングを探してはいたが、皇帝陛下よりも先に下がる訳にもいかず、なかなかそのチャンスは得られなかった。
 それが、いかに自分に期待をしているかという、兄上の心の表れだと言うのがよく分っているだけ、そのような自分がまた申し訳なく思えた。

「そうだな…まあ、仕方ないさ」
 逢いたい人は、夢のなかであろうけど…


 重苦しい装飾品を取り、着慣れた夜着に袖を通すと、中で眠っている人間を起こさないよう、静かに部屋のドアを開く。
「カイル皇子、立太子おめでとう!!」
 え?!
 暗闇からの、弾けるような声に驚く。
 灯りが燈されると、目の前に、大きな花束を抱えたユーリが立っていた。
「どうしたんだ、こんな時間まで…」
「だって! どうしても今日中に、おめでとうって言いたかったんだもん」

 側室であるユーリは、元老院会議とそれに続く祝宴に参加することができず 、早々に宮へと帰らせていた。
 大人しくしていると思ったら…
「ありがとう、ユーリ。これはおまえが作ったのかい?」
 花束を受け取りながら、その指に付いているかすり傷を見落とさない。
「よくわかったね。作ったって言っても、宮にある花を摘んだだけなんだけどね」
 ユーリは、わたしが分った事が意外だったのか、照れ臭そうに笑った。
「いや、今まで貰ったどの祝いより嬉しいよ」
 その笑顔が、何よりも。

 わたしが驚いた事が嬉しいのか、ユーリは3姉妹たちと手を取り合って何やら喜んでいる。
 まさか、こんなプレゼントがあるとはな。
「さあ、今日はもう遅い。おまえ達も下がっていいぞ」
「はい。殿下、本当におめでとうございます」
「ああ、ありがとう」
 扉が閉じられ、二人だけの時間が訪れる。

 軽く口ずさみながら、窓際にある花瓶に花を活けるユーリがいる。
 その姿を見つめているわたしがいる。
 二人を隔てるものが何一つ無い静寂がある。
 ずっと…ずっとこのままならば良いのに…
 しかし、胸に走る痛みがある。
 苦しい、痛み。

 わたしの考えていることなど判らない顔で、花を生け終わったユーリはこちらへやってくる。
「皇子、本当におめでとう! あたしも嬉しい」
 そう言って、ユーリはわたしに抱きついた。
 その細やかな身体を、抱き返す。
「本当はね…」
「ん?」
「本当は皇子へのお祝いのプレゼント…違うものを考えていたんだよ」
 腕の中のユーリが、顔を上げて恥ずかしそうに言った。
「違うもの?」
「…うん」
 ユーリが再びわたしの胸に顔をうずめる。
 顔を恥ずかしさで赤く染めて…かわいい。
「違うものって、何?」
 うずめられたままの顔を上げさせようと、わたしは頭を下げて耳もとに囁く。
 かすかに頬に触れたユーリの髪が、くすぐったい。
 だが、心地のよい、ずっとこうして居たくなるような感触…
「やっぱり恥ずかしいから、秘密!」
 ユーリはわたしの腕をすり抜けて、ベッドの側の窓辺へと逃げた。
 耳まで真っ赤なのが、後姿からでも判る。
「いいじゃないか、教えてくれ」
 拒まれると、余計知りたくなる。だがそれは執拗なものではなくて、からかいも半分含まれていた。
 後ろから抱きしめて頬や首筋に唇を這わせると、ユーリは忍び笑いのような声を出して、身をくねらせた。
「…子供っぽいって…笑わない?」
「もちろん」
「……あの、ね…花の冠を作ろうと思ったの…」
「花の、冠?」
 一瞬、何のことだか判らなかった。
 花でどうやって冠が作れると言うんだ?
 まさか、王冠につける宝石の代わりに、花を埋め込むのか?
「んもう! やっぱり子供っぽいって呆れてるんでしょ!!」
 言うとユーリはまたわたしの腕をすり抜けて、ベッドに腰掛けた。
 そして上目遣いでわたしを見る。
「…あの花でカイルに冠を編もうと思ったの。小さい頃、ママがお姫さまの冠よって作ってくれたんだけど…」
 指先で服の裾をいじりながら、ユーリは続けた。
「王さまっていったらやっぱり冠だろうし…でもカイルには子供っぽすぎるよね。判ってたんだけど、でもね、作りたかったの。だけど…上手く出来なくて…」
 わたしは、ベッドに寄ってユーリを抱きしめた。
 いじらしくて、愛しくて…この気持ちをどう表現したらいいのだろうか?
 身体で表せ、というならば、すぐにユーリを押し倒してしまうだろう。
 だが、わたしに許されていたのは唇だけだった。
 貪るような口付けで、ユーリが力を無くしてわたしにもたれかかる。
 これは卑怯なことだろうか?
 ユーリが力を無くしたのをいいことに、わたしはその身をベッドに寝かせ、もう一度唇を奪った。
「…ふっ……苦しいよ、皇子…」
 そう囁くユーリの瞳は揺れ動いていて、その奥にはわたししかいない。
 ユーリも、同じ事を想っていてくれているのだろうか?
 わたしの瞳の中には、おまえしか存在していない事を、判っていてくれているのだろうか?
「すまない」
 身体をずらし、片腕を曲げて枕に肘をつくと、自分の身体もベッドに沈め、ユーリの身体を引き寄せる。
 吐息が喉元にかけられて熱くなるが、それを覚られない様に目の前の黒髪を弄ぶ 。
「それで? その結果が…これか?」
 すんなり伸びた指を手に取り、唇を寄せるが、からかいを含んでいたのに憤慨したのか、わたしの手を振り解こうとし、
「っもう! どうせ、あたしは不器用ですよーだ」
と、憎まれ口を言うが、まるで誘惑しているかのように、その唇から赤い舌をちらりと覗かせる。
「いや、おまえからの冠が欲しかったな。ユーリも欲しいのか?」
「あたし? ははっ、あたしには似合わないよ」
「…そんな事ないさ。この黒髪には、きっとよく映える」
 わたしだけが載せる事の出来る、至上の冠が。
「小さい頃は、欲しかったけどね」
 興奮していたのが冷めてきたのか、段々とユーリの声は眠そうに、舌足らずになってきた。
「ユーリ、眠いのか?」
「うん? ううん、だいじょう…ぶ」
とは言っているが、その瞼はずいぶん重たくなってきているようで、受け答えが怪しい。
「冠が欲しいんだったら、わたしがやろうか?」
「ん…うん…」
「わたしの事が好きか?」
「うん……」
 こんな事を言っていても、まったく意味は無いのかもしれない。
 それでも、言わずにいられない自分がいる。
「……ずっと、わたしの側にいてくれるか?」
「…ん…」
 腕の中で、完全に夢の中へ入ったユーリが、規則正しい寝息をたてている。
 乱れた髪を梳き、その額、瞼、両頬へ軽く唇を寄せる。
 最後に、少し開いた唇へ。
「約束、したからな…」
 なんの反応も示さない身体を、抱き締め直す。
「ユーリ…」
 目をつぶれば暗闇が広がっている。
 不安に押しつぶされそうで目を開く。
 しかし開いてみても、雲に月が隠れているおかげで、ねっとりと闇がうずくまっている。
 この闇を剣で引き裂けば、そこに輝かしい未来が待っているのだろうか?
 ユーリをこの腕に抱き、ともに肩を並べて歩く、理想の未来が…

 …いつからだろう、自分自身が皇帝となると自覚したのは。
 もしも皇家に生まれていなければ、ユーリを妻にすることも出来たのだろうか。
 理想とする未来を思い描かなければ、愛しい女を手に入れるのになんのためらいもないのだろうか。
「国に帰るな」…と、その一言が言えないのは、そのためか?
 いや、そうではあるまい。
 わたしは、怖いのだ。
 ユーリを不幸にするのが、怖いだけだ。
 わたしでは幸せに出来ないかもしれない。だから怖いのだ。
 
「…う……ん…」
 腕の中のユーリが、身体をくねらせた。
 わたしの腕から、少しだけ遠ざかる。
 わたしは、目を開いた。
 さっきまで闇ばかりだった部屋に、月の光が差し込んでいる。
 雲が、晴れたようだ。

 天に浮かんでいるのは、少し欠けた満月まであと一日の月。
 …欠けることのない月などあるのだろうか。
 あの月は、まるでわたしのようだ。
 全てを手に入れることの出来る未来が待っているというのに、ただひとつ、一番欲しいものが手に入らない。
 欲しいものは、今この腕の中にあるのに…

 わたしに、満月の夜はやってくるのだろうか。

 ユーリを手に入れる、その日が……


                  (おわり)

     

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