Daisy


 今年も、またこの花が咲いた。
 高い塀に囲まれたこの庭には、柔らかな風が吹いていて、私は裾が汚れるのにも構わずに花の上にかがみ込む。
 金の色をした花が、暖かな日差しにそっと花びらを広げている。
 若々しい緑のそこここに、固いままの蕾が揺れている。
もうすぐ、花はこの庭を埋め尽くすだろう。
 見事な庭だと誰もが驚嘆するように、一面の金彩を繰り広げて。
「姫」
 父が呼んでいる。
 私は、歌を口ずさむのはやめたけれど、振り向かない。
「・・・姫」
 もう一度。
「姫や、せっかく装ったのだから、一緒に出かけよう」
 私は黙ってかぶりを振る。
 今日のために、この衣装は誂えてもらったのだけれど。
 遠くで、どよめきが聞こえる。
 春の訪れを感じさせる空に、歓喜の声が響いている。
 私は、もう一度花の上にかがみ込む。
「出かければ気晴らしになる」
「気晴らし?」
 父がたびたび口にする言葉。
 私の心にかかったこの暗い雲は、晴れることを知らない。
「そうだ、気晴らしだ。王宮上げての祝宴だ」
「王宮・・・」
 そこには、あの方がいる。
 この庭を眺めて、見事だと言ったあの方が。
 金の花を一輪摘むと、髪に挿してくれたあの方が。
「あの方は・・・お待ちかしら?」
 父が、黙り込む。
 私は、自分の言葉の意地の悪さに、おもわず笑ってしまう。
「いいえ、お待ちなはずがないわね。だって、今日は・・・」
「姫、お前にはもっとお前にふさわしい殿方を見つけてやるつもりだ」
 私にもっとふさわしい?
 至高の地位におられるあの方ほどの殿方が、この国にいるというの?
 いいえ、ふさわしい相手を捜していたのはあの方。
 私は、あの方にふさわしくなかった、それだけのこと。
「一度も声をかけて下さらなかったわ」
 この金の花を見るたびに、私を想うと言って下さったあの方は。
 広い後宮、集められた何人もの姫。
 むせかえる香料と、きらびやかな宝石を競う姫達の中で、私は花を飾った。
 どうか、私を思いだして。
「姫、たった一時でもあのお方に寵を受けただけで名誉なことなのだ」
 名誉よりなにより、私は嬉しかった。
 あの方に目を留めていただいたことが。
 皇族の姫や、ほかの妃がねとは違って、私があの方のお目にとまったのは家柄のためではないと思ったから。
 見事な花だ。
 そう言って、あの方は花を摘んだ。
 どんな黄金より輝いている。
 そう言って、私の髪に触れた。
 だから、私は毎晩髪を梳いた。
 一筋の乱れもないこの髪が、あの方への想いを示すようで。
「後宮で、見たわ」
 あの方が、愛している方。
 短い黒髪。飾らない衣装。高貴な生まれでない出自。
 私と同じ正妃になれない身分でありながら、私とはなにひとつ同じ所がない。
「姫や、イシュタル様は帝国を守る女神であらせられる」
 父が言う。
 そうね、あの方の愛した方は、いまや帝国の最高位に就かれた。
 あの、空を揺るがす声は、女神の到来を喜ぶ民衆。
「分かっておりますわ、お父さま」
 私はあの方が気まぐれに手折られた、一輪の花。


 私は手を伸ばし、早咲きの弱々しい花茎に指をかける。
「さあ、祝賀の宴に遅れてしまうよ」
 咲き始めたばかりの花はぽきりと折れる。
「待って、花を摘みたいの」
 まだ閉じられたままの蕾にも手を掛ける。
 指先が緑に染まり、草いきれが私を包む。  
「姫?」
 手のひらから蕾がこぼれ落ちてゆく。
「どうしたのです、姫?」
 私は、にじむ視界の中で、手を動かし続ける。
 この花は、あの方が好きだと言われた花。
 あの方が、私に似ていると言われた花。
 こうやって、摘み取ってしまおう。

 目にも鮮やかな金彩は、きっと心を焦がしてしまうから。


                    END 

      

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