ピンプル・クッキング



 ぱたぱたと足音が近づいてくる。
 アレはユーリだ。
 もうすぐ扉が開き「カイル♪」弾んだ声がして、あれが私の胸に飛び込んでくるだろう。 私は、持っていた書簡を机にもどすと、咳払いをひとつしてユーリにそなえた。
 バタン!
 扉が勢い良く開いた。
「イル・バーニ♪」
 開いた私の腕を無視して、ユーリがイルに駆け寄った・・・
「これは皇后陛下、いかがされました?」
 あくまでも冷静なイルの声。
 私が隣で腕を約120度の角度に開いたまま固まっているのには気がつかない、といった風だ。
「あのねっ、今年の恵方はどっちかな?」
「恵方?」
「うん・・あのラッキーな方角っていうの?」
「ああ、それなら南南東でございます」
 うやうやしく頭を下げてイルが教える。
 おおい、ユーリ!私に用があるんじゃなかったのか?
「あ、それからね、海苔って手にはいるかな?」
「海苔・・・とは?」
「あ〜、海藻を平たく干したモノなんだけど・・」
「海藻ですか?淡水の藻なら湖でも採れますが・・」
「藻?ああ、それでいいわ!」
 待て待て待て!どうして私を無視して盛り上がるんだ!?
「ユーリ」
 私はあくまでも平静を装いながら、口を開いた。
「いったい、恵方や海藻がどうしたんだ?」
 ユーリはくるりと私の方に向き直ると、身体の後ろで指を組み合わせてちょっと肩をすくめた。
「カイルにはナ・イ・シ・ョ!」
 か、かわいい・・・・
 思わずぼうっとしてしまった私は、ユーリがまた足音を立てて部屋を出ていくのを見送った。
「・・・よろしいのですか?陛下」
 それに較べて、このイル・バーニのかわいくなさはなんだろう。
 同じ人類とは思えないな。
「ユーリさまはまたよからぬ事を企んでおいでですよ?」
「よからぬ事だと?」
 ばかな、あのユーリが?ナキア元皇太后ではあるまいし。
 鼻の先で笑いかけた私は、あることに思い当たり、ざざざと音を立てて血の気がひくのを感じた。
「今度は・・・なんだと思う、イル?」
「さあて?」
 私は、平然と次の書類に目を通し始めたイルの横顔を睨んだ。
 そうだ、こいつは自分は被害に遭わないと知っているのでこんなに冷静なんだ。
「キックリ!」
「はい!」
 私は眼光鋭く、平伏しているキックリに申しつける。
「今すぐに、ユーリが何を『準備』しているのか調べてこい」
「ユーリさまがですか?」
「そうだ」
 私はうなずく。
「おそらく・・・調理場にいる・・・」


 ハディの肩が少しばかり震えているのは、私の怒りに触れるのが恐ろしいのか、はてまた調理室で恐ろしいモノを目にしたのか・・。
「で、ユーリはなにをしているんだ?」
「は・・・」
「口止めをされているのか?」
「いえ、そんなわけでは・・・」
 ハディはしばらく逡巡したようだったが、やがて顔を上げた。
「あの、ユーリさまのお国では、もうすぐやってくる『節分』という行事に変わった食習慣があるのです」
「「「食習慣・・・」」」
 重なったのは、私とイルとキックリの声だ。
「・・・それは・・どのようなものだ?」
 声が裏返っていたかも知れない。
「はい、なんでも『ノリマキ』というものをこしらえて、それを恵方を見ながら丸かじりするんだそうです。食べ終わるまで一言も喋ってはいけない、とか」
「ほう、だから恵方を聞いておられたのですな」
 イル、冷静に反応するんじゃない。
「『ノリマキ』とはどんなものなんだ、ハディ?」
 ようし、キックリ、その質問はいいぞ!
「・・・なんでも板状に延ばした海藻の中に湯がいた米を入れて・・米がないので大麦なんですけど・・その中心に卵焼きや野菜を巻き込んだものですわ」
「喰えるのか・・・それ?」
 キックリの声が震えている。
「料理長は、『毒になるものは何もない』と言っていました」
「そうか、毒にはならないか・・・」
 慰めにならないコメントだな。私は深くため息をついた。
「ハディ・・・なんとかしてその・・『ノリマキ』作りを阻止できないか?」
「まあ、陛下!」
 ハディは憤慨して片眉をつり上げた。
「私、ユーリさまに仕える者として、楽しみにされていることを邪魔などできません!陛下は私の忠誠心をお試しになるのですか?」
「・・・では、主人のユーリが作った『ノリマキ』を喜んで食べることが出来るのだな?」
 くっ、とハディは唇を噛むと、顔を伏せた。
 いや、そういう反応をするところではないはずだが・・・
「ユーリさまは・・陛下にこそ召し上がっていただきたいと・・・」
 声が震えている。泣くところでもないはずだが。
「やはり、陛下に召し上がっていただくのが一番よろしいのでは?毒ではないそうですし」
 イル・・・急にハディの肩を持つんじゃない!
 私が頭を巡らせると、キックリも慌てて顔を背けた。
 今さらながら、皇帝という立場がいかに孤独なモノか思い知らされる・・・。
 私はまだ見ぬ『ノリマキ』を思い描いた。
 恵方を見て、一気に食べ尽くす。
 大丈夫、一言も喋らない、いや、喋れない自信はある。
「そうか・・麦か・・」
 さぞ、喉にひっかかるだろうな。
 卵焼きは前にも食べたな。あれは・・元が卵だとはとうてい思えない炭だったが・・・。
 そうか、ユーリが私のために・・・。
「イル・・・」
「はい」
「節分というのは、あとどれくらいでやって来るのだ?」
 イルはハディを見返す。
「明後日・・で、ございます」
 それまでに国境で紛争が持ち上がって、急遽親征、って事態は持ち上がらないだろうか?
「陛下、今日から食事を抜かれては?」
「そうです、『空腹は最上のソースなり』って言いますしね!」
「大丈夫ですわ、陛下!もともとは食べ物ですもの!」
 慰みにもならない慰めを聞き流しながら、私は晴れ上がった春の空を窓越しに見上げた。
 うららかな陽光がこれみよがしに平和さを見せつけているようで・・恨めしい。
「やはり・・私が食べるのか・・・」
「御意」
 三人がいっせいに頭を下げた。


 節分は、あと二日でやって来る。


                  おわり

       

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