エターナル・クッキング


「皇太子殿下が参られました」
 私が書簡から目を上げたとき、開かれた戸口にすらりと立つ姿が見えた。
 青いマントを翻すと、母親譲りの黒髪がつと下げられる。
「父上、近衛隊の閲兵が終わりました」
「ご苦労だったな」
 私は思わず目を細める。
 その黒髪と黒い瞳の色から母親似だと言われていた私たちの長男デイル・ムワタリは、青年期を迎えるにあたり、どうやら私に似ているらしいことに周囲も気づき始めている。
 するすると伸び始めた身長はもうすぐ私に追いつこうといている。
「練兵に力を入れているようだが、一度見てみないといけないな」
「皇帝陛下の閲兵が賜れますなら志気もあがります」
 輝かせた黒目勝ちの瞳は幼い頃のままだ。
 私たちの裾にまとわりついてなにかを必死に話しかける姿。
 私は我知らず、笑みを浮かべる。
「・・・なんです、父上?」
 デイルがいぶかしんで小首をかしげた。
「いや、大きくなったモノだな、と」
 大抵の子どもが子ども扱いされてそうなるように、デイルも少し頬を膨らませた。
「私は父上の片腕として近衛長官を務める身ですから。いつまでも子どもではありません」
「いや、そうだったな」
 その仕草がおかしくて、私はまた笑ってしまう。
 むくれれば幼く見えることに気がつかないように、デイルはしばらく笑う私を睨んでいたが、ふと口にする。
「・・・母上は、どうされました?」
 私の執務机から少し離れた場所に置かれた皇妃の机に視線は注がれている。
 いつもは書記官を従えて書簡に目を通しているはずのユーリの姿はない。
「ああ、今日は休みだ」
 私は、とたんに苦い表情をしたのだろうか。
「どこか具合がお悪いのですか?」
 デイルが眉をひそめた。
「いたって元気だよ・・・今日は厨房にいるはずだ」
「なぜ母上が厨房などに・・・」
 言ってから、不意に思い当たったことにデイルは瞳を見開いた。
「ああ、もうすぐ例の日ですね」
 例の日、という表現にはいささかひっかかりがあったが、私はしぶしぶ認めた。
「ああ、ユーリが大好きなバレンタイン・デイだ」
 バレンタイン・デイ。
 ユーリの産まれ育った国の風習で、この日には女性は愛する男性のためにケーキを作る。
 この国の人間になってはや20年の年月が流れたが、めったに里心を表に現すことのないユーリがこだわる自国の風習だ。
「また母上はチョコレート・ケーキを焼かれるのですか?」
「決まっているだろう?あれの私への愛は永久不変だ」
 愛のあかしのチョコレート・ケーキ。
 大きくて黒くて・・・固い。
「そして、父上の愛も不変ですね」
 デイルが、にやにやしながら言った。
 私が示したかたわらの椅子に腰を下ろしながら。
「あれをかけらも残さず召し上がられるのですから」
 私は、大人げもなくむっとした。
 たとえ息子にでも揶揄などされたくはないのだ。
「そうすることが私の証なのだよ。お前も結婚すれば分かる」
 年に一度の試練を私は受け入れているのだ。
 頬を赤らめて巨大なケーキを差し出すユーリを悲しませることはできない。
「いえ、多分私の妃になる人には、ケーキを焼く習慣はないと思うのですが・・・」
 それもそうだ。私は少々失望しながらうなずくしかなかった。
 あの悪しき習慣はユーリの国だけのもので、おまけにユーリと同じ腕前の女性はそうそういないのではないかと思われる。
「しかし、デイル・・・」
 以前から不思議に思っていた事を口にする。
「お前はいつから知ったんだ?その・・・」
 ユーリのケーキの味を・・・。
「子どもの頃、父上は決して私たちにケーキを食べることを許して下さいませんでしたよね?」
 デイルはかたわらのワイングラスに手を伸ばしながら言った。
「ああ、そうだったな、幼いお前達が体をこわさないかと心配していたのだ」
 聞き分けの良いデイルとは違って、自己主張の激しいピアの駄々には手を焼かされた。
「ユーリはお前達には甘いからな、私に内緒でケーキを与えてしまわないか心配だった」
「実はナイショでいただいたのですよ」
 デイルはワインがまるでユーリのケーキであるかのように顔をしかめた。
「父上の言いつけを破って、こっそり母上に焼いていただいたのです」
 そんなことだろうとは思っていたが。
「で、食べたのか?」
「ええ」
 デイルは遠い目をしてうなずいた。
「母上が目の前で微笑んでおられるので。私たちは母上を悲しませたくなかったんです。
だから、むりやり口に押し込みましたよ。その時、どうしていつも父上があんなに急いでケーキを食べておられたのか分かりました」
「そうか、そんなことが」
 幼い子ども達の姿がいじらしくて、私は思わず目頭が熱くなった。もとはといえば私の言いつけを守らなかったせいだが。
「母上が、父上のお召しで出て行かれなければ私たちはケーキを全部食べて身体を壊していたかも知れませんね」
 それからデイルは真剣な顔で私を見た。
「あの時子供心に、父上がいかに母上を愛しておられるのかよく分かりました。そして、父上が私たちのことをいかに想って下さるのかも」
「今もその気持ちは変わらないがな」
 私の言葉に、表情をゆるめるとデイルは空になったワイングラスを置いて立ち上がった。
「結局バレンタイン・デイは母上の仰るとおり愛を確かめ合う日なんですね。どうやらすっかりお仕事の邪魔をしてしまいましたね・・私はこれで」
 すっかり大人びて頼もしくなった息子を見て、私は嬉しくなった。
 もはや、皇帝の片腕として、帝国の重鎮として誰もが認める皇太子だった。
 これが私の息子なのだ。
 いままでユーリと二人で分かち合ってきたものを、これからはこの息子も等しく背負って行ってくれることだろう。
 そして私の背負ってきたものも。
「どうだ、デイル。お前ももう立派な大人だ・・今年はひとつ・・・」
「母上のケーキを一緒に食べろと仰るのでしたら」
 デイルはマントを身体に巻き付けながらにっこりと私と同じ微笑みを浮かべた。
「遠慮申し上げます。それは父上だけの特権ですから」
 ・・・ケチだな。
 どうやら、今年も私は一人であのケーキを食べるのか。
 目の前で片頬をついて上目遣いで私を見上げているユーリを見ながら。
『ね、カイル、美味しい?』


 バレンタイン・デイというのは愛の試される日だ。

               おわり

      

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