信念


「いつも思うのですが・・・」
 サイボーグ・ザナンザはようやく口にした。
 今まで何度も言おうとして、そのつど思いとどまった。
 言えばこの親切で頑固な老人を傷つけることになりはしないかと危惧したからだ。
 けれど、サイボーグ・ザナンザとて欲はあった。
 誰も彼に対して過剰な期待などかけていないのかも知れないけれど。
「なんじゃな?」
 老いた博士は計器にかがみ込んだまま、複雑なデータに心を奪われているようだった。
 サイボーグ・ザナンザは喉が乾き始めたような気がした。
 いまわの彼が求めたのは喉元をすり抜けて行く冷たい水だったのだろうか。
「私は・・・」
 砂の中で老人が重い彼の身体をよろめきながら運ぶ姿が脳裏をよぎる。
 頭を振って幻影を追い払う。
 死んでしまった彼の物語なのだ。
 今、ここにいるのはサイボーグとして別の生を受けた身体。
 背を向けたまま、次の言葉を待っているのかいないのか。
「・・・博士にはお世話になっていることは分かっています」
 言葉では語り尽くせない。
 ここにある奇跡を思えば、どんなに言葉を重ねても嘘になるような気がした。
 それでも、より以上を求めてしまうのは。
「私は、兄上や・・家族の元に帰ることができました」
 計器が軽く音を立てている。老人はいくつかのキーを叩きながら、背を向けたままだ。「兄上は、私が戻っただけで嬉しいと言って下さいます。でも、私は・・・お役に立ちたいのです」
 生前のように、片腕となって働きたい。すでに死者となった身の上では無理と分かっていても、せめて今の彼で出来ることがあれば。
「博士、私にもう少し・・その・・・役に立つ機能を」
 つけて欲しい、という言葉はしわがれた老人の声でとどめられる。
「ある、優秀な・・・ロボットがいた」
「ロボット?」
「お前と同じ機械の身体じゃ」
 老人がゆっくりと振り向いた。
 だが、その目はサイボーグ・ザナンザを捉えていたのではなかった。
「優秀なロボットで、ある使命を持って過去に送り込まれた」
 博士の目が細められる。
「過去に起こるだろうある過ちを阻止するために、そのロボットはとある人物のもとへと送られたのだ。その人物は・・凡庸で優柔不断。正直と言うよりは馬鹿だった」
「・・・あまり、優れた人物ではなかったのですね」
「そうだ、その人物はその愚鈍さでもって過去に影響するあやまった選択をすることになる。だから、ロボットは彼を支え、多少なりともましな人間に育つように人物の子孫によって使命を与えられたのだ」
「・・・どうなったのですか?」
 サイボーグ・ザナンザの言葉に、博士は大きなため息をついた。
「人と言うのは、愚かで弱い。それ以前は多少なりとも努力しようとしていたその人物は、優秀なロボットの手助けが出来たことにより、すぐにロボットに依存するようになった」
「努力を放棄した、と?」
 博士は答えなかった。かわりに、サイボーグ・ザナンザの拳に、そっと手のひらを重ねた。
「お前の兄が優秀な人物だと言うのはワシも耳にしておる。お前に優れた機能がついたところで、楽な道を選ぶとは限らん」
「当然です、兄上はそんな・・・」
 博士はゆっくりとかぶりを振った。
「ワシはお前に便利なスチーム・クリーナー機能をつけることもできる。侍女が数人がかりで磨き上げていた床も、お前の手にかかればあっというまに頬ずりしてもザラザラしないほどぴかぴかになるだろう。だがな、考えてみろ。お前がそうすることによって、侍女は職を失う。必ずしも、便利な機能が人助けになるとは限らないのじゃよ」
 サイボーグ・ザナンザは目を伏せた。
 今以上に、機能が増えれば喜んで貰えるとばかり思っていたのだ。
 下手なバージョンアップが人のためにならないのだとしたら、この自分の存在はどうなるのだろう。
「私は、もはや兄上と同じ血はこの身体に流れていません。弟と呼ぶ存在ですらないのです。お役に立てないのなら、お側にいる意味とはなんなのでしょう?」
 博士がぴくりと眉を上げた。
「ワシには分からんよ」
 くるりと背を向けると、また計器の上にかがみ込む。
 ぼそぼそと言葉が続いた。
「ただ、お前は帰りたがった。そして、お前の兄はお前を受け入れた・・・それではダメなのか?」
 点滅するライトを見ながら、サイボーグ・ザナンザは唇を噛んだ。
 兄に尋ねればきっと即座に答えは返ってくるのだろう。
 けれど、納得できないのは自分自身なのだ。
「博士」
 なにかをよりどころにしなければならないほどに、自分は変化したのだと思う。
「その未来から来たロボットはその後どうなったのですか」
 自分とは違った道を選んだはずのロボット。
 仕える主人を堕落はさせたが、常にそばにいることを望まれたロボット。
「さて、な。ロボットはロボットなりに幸せだったはずだがな・・・お前と同じように」
 検査終了を告げるアラーム音が鳴った。
 画面をスクロールさせながら、博士は満足そうにうなずいた。
「異常なし、じゃ。帰るがいい、お前の家族のもとへ」
 家族。
 サイボーグ・ザナンザはつぶやいた。
 必ず帰ってきてね。
 小さな手のひらが服の裾を握りしめた。
 そうだ、帰ろう。
 サイボーグ・ザナンザは立ち上がった。
 変わり果てた身体を見下ろす。
「帰ります」
「知っておるか?」
 博士が、初めて笑みを見せた。
「『帰る』といのがお前の最大の機能なのじゃよ・・・待つ者にとってはな」

 小さな身体が転がるように駆け寄ってくる。両手を広げて飛びついてくる。
 抱きとめたむこうで、寄り添って微笑む長身と小柄な姿。

 サイボーグ・ザナンザは知らずに微笑んだ。

 帰ろう、また。

                     おわり

     

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