ぴよぴよスプリング


 私だって気がついている。
 なにしろ、私の座る場所からはよく見えるのだからな。
 それに気づいていないのか、今日のユーリは積極的だ。
「ねえ、カイル・・」
 なんとも悩ましげな声で、私の膝に腰を下ろす。
 反射的に腕をまわしてしまうのは長年の習慣か。
「うむ、やはり当分の間の懸案事項だな」
 私は真面目くさって応えながらも、差し出された書簡よりはユーリの細い指に気を取られている。
「元老院会議にかける?」
「いや、とりあえず報告書を作らせよう」
 そうすれば、報告待ちで多少の時間が出来るというものだ。
 ユーリが黒い瞳をきらきら輝かせている。
 白い腕が私の首にまわされる。
「報告、いつごろ出来るかしら?」
「明日にはそろえますよ」
 いつのまにか意識の外に閉め出していたイル・バーニが、いささかの動揺さえ見せずに言った。
「じゃあ、今日の午後は・・」
「ユーリ・・」
 私は咳払いをした。
 皇妃ともあろう者が、こんなことを画策して許されるのだろうか?
「片づけなくてはならない仕事はいくらでもあるんだ」
 しゅん、と音がしたようだった。
 ユーリの顔が伏せられる。
 これが確信犯だとしたらとんでもない悪女が私の腕の中にいることになる。
「・・・が、しかし、なにもかも今日のうちに済ませないといけない、という訳でもないが」
 ほら、私は術中に填められている。
 イル・バーニは少し肩をすくめると、突っ立ったままの書記官を振り返った。
「なるべく急いで報告をまとめるように」
 最近着任したばかりの書記官は、半ば開いた口を、慌てて閉じた。
 顔が真っ赤だ。
 若者には目の毒だったか。
 皇帝と皇妃がそれぞれの執務机に座って仕事をするとは限らない。
 むしろ、ユーリは私の膝に腰掛けていることが多い。
 そこは国の方向を決める重大な協議には都合がいい位置なのだ・・・多分。
 はたから見ればいちゃついているだけにしか映らないかもしれないが。
「じゃあ、カイル!」
 すでに私の首にかじりついたままのユーリは声を弾ませた。
 これは、国事からは逸脱しているな。
「・・・丘に行きたいのだろう?」
 私は、しかめ面を作ろうとして失敗する。きっととろけそうに甘い顔をしているのだろうな。
「どうして分かったの?」
 分かるさ、それくらい。
 執務室の窓からは、ハットウサ郊外のなだらかな丘が見渡せる。
 その丘が柔らかな新芽の緑で覆われ始めたのは最近のことだ。
 緑が輝きを増すと、ユーリが落ち着かなくなる。
 そして、とうとう今朝、丘の緑が白くなった。
 朝から無言で書類の山に取り組んでいたユーリが、満を持したように私にじゃれつく。
「花が咲いたからな」
 丘の上一面に、ツメクサの白い花が広がっている。
「行っていい?」
 私を見上げているユーリの顔は輝いていて、すでに私の目には、髪や首筋を幾重にも飾るツメクサの花飾りが見えている。
「・・・一緒に行こう」
「嬉しい!」
 抱きついたユーリの背中を撫でながら、私は威厳を持ってイル・バーニに命じる。
「私たちは少しばかり遠乗りに行って来る。あとのことは頼んだぞ」
「抜け出されるなら、午後からになさいませ」
 イルは、無表情かつ無情に言った。
「殿下方に見つかればお二人で、というわけには行かないでしょう。午後からはお昼寝されますから」
 なるほど、それはなかなか正しいアドバイスだ。
 私はもうすっかり飛び出すつもりでいたユーリを見た。
 少し下唇を尖らせているのが、幼く見える。
「イルは、ああ言っている。私も遠乗りは午後の方がいいように思う」
 そむけかけたあごを捉えると、唇を重ねる。
「だが、急ぐ仕事はないのだから、それまで休んでいようか?」
 返事のかわりに唇が答えた。
 視界に入るのは、これ見よがしにため息をついたイル・バーニと、耳まで真っ赤に染めて背中を向けた新米書記官。
 昼間からこうでは文官に示しがつかないとイルの冷たい視線が語っている。
 案じることはない、新米もそのうちここのやり方に慣れるだろう。
 この国が安定するためには、これは充分必要なことなのだ。

 私はユーリを抱いたまま立ち上がった。
「今日はお戻りになられないのですか?」
 不機嫌さを完璧に押し殺して、イルが問う。
「許せ、イル・バーニ。なにしろ、春だからな」
 多少の浮かれ具合には目をつぶって貰おう。

 私の腕の中でユーリが春のようにくすくすと笑っている。


            おわり
   

       

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