制御

                 by千代子さん

 死神博士は呆れていた。
 ぽかんと口を開けたまま、博士はどれほどそうしているだろうか。
 原因は、朝から博士の研究所を訪れたナキアのためである。

 今朝、目がさめてから博士はいつもの日課で郵便受けから新聞を取り、一面を読みながら歯ブラシを咥えつつ台所に入ったところ、なにやら冷蔵庫をあさる人影が見えた。
 泥棒か、と思って壁に埋め込まれている緊急警報スイッチを作動させようとボタンに手を伸ばした瞬間、
「甘い!! そんなタッチで金メダルが取れると思っているのかぁ!!」
と、ウインナーをくわえたナキアがタイムウオッチを片手に仁王立ちしていた。
 見れば、冷蔵庫の扉はあけっぱなし、しかもしきりに、
「冷蔵庫内の温度が上昇しかかっています」
と警報を鳴らしている。
「フン、0,78か…金メダルは取れぬのう…」
 ナキアは冷蔵庫の悲鳴にはお構いなしに、タイムウオッチを博士に見せ、
「金メダルを取るにはもっと、こうじゃ!」
と、練習のつもりか壁にチョップをし始めた。
 呆気にとられていた博士は、はっと我に返り、初めて問いただしたところナキアは、
「ウルヒに記憶を植え付けてやろうと思ってな。こうしてわざわざ来てやったのじゃ。ありがたく思うがよい」
とのけぞりかえった。
 実は、博士の技術でクローンとして再生されたウルヒであったが、彼にはふらふらばかりか記憶もなかったのである。
 これはナキアが再生を急かすばかりに記憶を植え付ける時間を割いてしまったために起きたのだが、最初こそ不満をたらたらとこぼしていたナキアも、この頃は思い出を語るのも懐かしく嬉しいらしく、毎日研究所に顔を出している。
 しかし、博士の悩みは毎朝ナキアが想像もつかないことを仕出かしてくれることだった。
 だが、博士はナキアを一方的に攻めることはせず、これもバビロニアの由緒あるしつけなのだろうと思うだけのゆとりはあった。
「――で、今日はウルヒになにを教えなさるのじゃ?」
 ウインナーを食べ終えて牛乳を飲み干したナキアに、博士は言った。
 つとめて冷静に話したつもりだったが、やはり心が表れてしまったのだろう、呆れ果てた顔つきをしていた。
「おお! そうであった!!」
 ナキアはあぐらをかいていた椅子から転がり落ちるように机の端に投げておいた唐草模様の風呂敷を取り出し、中から丸めたパピルスを取り上げた。
「企業秘密は秘しておくものだ」
 言うとナキアは扉を開けて、部屋の中に消えた。

 時計が緩やかにお八つ時を告げ、死神博士は夢うつつから目を覚ました。
 のんびりと暖かな午後の日差しはついつい眠気を誘い、どうにも研究の手も怠りがちになってしまう。
 博士は一度大きな伸びをして椅子から立ち上がると、奥の間に通じる扉を眺めた。
 ナキアは一体、毎日何をしているのであろうか。
 記憶を取り戻させることが目的だとは判っているが、どのようにしているのか気になるところである。
 博士はちょうどお八つ時ということもあって、お手製のレアチーズケーキにお気に入りのアールグレイで煎れたお茶を持って、扉の前に立った。
 よく見ると扉はかすかに開いており、目を凝らしてみると、こちら側に背を向けてナキアが座っていて、向かい合うようにウルヒが居た。
 じっと耳を澄ましてみる。
「……のう…ウルヒよ……」
 ナキアの声は、涙交じりだった。
 博士はナキアの生い立ちを詳しく聞いたわけではなかったけれど、風の噂で耳にしたことによれば、それはあまり手放しで喜べるようなものではなかった。
 しかし、ナキアにはナキアなりに苦労もし、悩みもしてきた道のりだったのだろうと思えば、博士もついほろりとなってしまった。
「失礼するぞい」
 博士は二回ほど扉を軽く叩いてから、部屋に入った。
「少しご休憩なされたらいかがじゃ」
 机の上に盆を置く。
「おう、気が利くのう。せっかくじゃ、授業参観でもしていくがよい」
 ナキアは相変わらず態度が大きかった。それも腹が空いていたと見え、豪勢な食欲を見せた。
「さて、続きじゃが…」
 一気に飲み干した紅茶のカップを置いて、ナキアは立ち上がった。
「カイルはどうやらソッチの気があるらしいぞ? 根拠はな、あんなに童顔でまな板のユーリを寵愛しだしたことじゃ。どう見てもそうとしか思えぬ」
「ソッチとは? どちらですか、ナキア姫さま」
「どこってウルヒよ、決まっておろう。…まぁこんな明るいうちからは言えんがのう…」
「姫さま、それは口に出してはいけないことなのですか?」
「言えぬことはないが…お子ちゃまには耳に毒の話よ」
 博士は、ナキアの『授業』によろめいた。
 これは二人の思い出を教えることであるのだろうか、と。
第一、ナキアは自分のことを姫さまと呼ばせているのだ。
 ナキアはすでに姫さまでもないだろうと口の中でつぶやいたのは、言ったらどんなことになるのか判っていたからである。
「ヒッタイトの皇帝というのはまったく女の趣味が悪いのう」
 腰に手を当ててのけぞり笑うナキアだったが、自分もかつてはヒッタイト皇帝の妃であったはずである。
 博士はすっかり冷め切ってしまった紅茶を啜ることも忘れていた。
「玄武の高雄なら記憶の植付けも精神制御も簡単だろうに…」
 博士の声が、空しく響いた。


                    (おわり)

      

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