めらめらスプリング

                            by西洋菓子返礼日屋マリリンさん


「ねえ、カイルゥ」
 甘い声で囁きながら、ユーリの細い腕が私の首にからみつく。

 これはとても嬉しいはずなのだが、お正月からこっちさまざまな想いをしてきた私は素直に喜べない。
「今度は、いったいなんだ?」
 ああ、警戒心のあふれる声になっていなかっただろうか。
 ちょっと、嫌味な言い方だったかも・・・
 しかし、しかしだ。私のような目にあっていれば誰でもそうなる。
 いや、私だからこそここまで耐えてきたのだ。
 正月以来のさまざまなできごとが、頭の中を駆け巡る。
 なのにしゃくに障るではないか。ユーリは何も感じることはないらしく
「ねえ、お願いがあるの」
といっそう強くしがみついてくる。

 そっとため息をつきながらユーリと向き合う。
「何だ?なにがほしい。なんでもプレゼントするよ」
 ああ、この言葉でどれだけ墓穴を掘ってきたことか・・・
 しかし、他になんと言えばいいのだ?。

 そんな私の心の葛藤も知らず、瞳を輝かせてユーリがねだる。
「あのね、ホワイトディが来るの。」
「ホワイトディ?」
「うん」
 それはどういうものだった? 私はまたお前が作る何かを食べなくてはならないのか?
 やっと、調子を取り戻した胃が悲鳴を上げるのを感じる。
「やだ、カイル。忘れちゃったの?ホワイトディはね、男の子が女の子にバレンタインディのお礼をする日でしょ。」
 お礼?あのバレンタインのお菓子にお礼をしろと言うのか?
 これが、バビロニアやエジプトからの要請だったら蹴っ飛ばしてしまうのだが、ユーリのお願いではやむを得まい。
 とりあえず私が”ユーリ手作りの何か”を食べなくてもよいならどんなことでもしようじゃないか。

「ああ、わかった。ちゃんと用意しておくから安心しておいで。」
「ありがとう、カイル。」
 そう言い残すとユーリはスキップをしながら出ていってしまった。
 おい、おねだりが終わったからと言ってそんなにさっさと出ていかなくても・・・・もうちょっとここにいようと言う気にはならないのか?
 今日の仕事は? 終わったようだな。なんと羨ましい。
 気がつけば、イル・バーニがじっとこちらを見ている。
 私は何くわぬ顔をして、書簡を手に取り仕事を再開した。
 今日はこのまま、おとなしく仕事をしなくてはなるまい。
 しかし、明日になれば・・・・・・・

 翌日、私は執務室へは向かわず厨房へ出かけた。
 クッキーを作らなくてはならないからだ。


*********


 陛下がまだ執務室にお越しにならないとの連絡を受けた侍従長は不思議に思った。
 いつものように後宮はお出になられたはず。
 後宮をもう一度捜すように指示を出したところ、なんと皇妃様と殿下方の姿も見えないことがわかった。
 ”皇帝一家、行方不明!”そんな言葉が頭の中を駆けめぐったが、いくらなんでもあの皇子方をお連れでは、そう、たやすくは王宮を抜け出せないはず。
 考え込む侍従長の横で、後宮へ陛下を捜しに来た書記官がつぶやいた。
「ホワイトディってなんだろう。」
「なに?」
「い、いえ。皇妃様が執務室でホワイトディがどうのこうのと言ってみえましたので。」
「それは、いつの話だ?」
「昨日のことですが・・・それが何か?」
 侍従長は迷わず厨房へ向かった。


 黒髪が二つ
 金髪が一つ
 縦に三つの頭が並んで、こっそり、覗き見をしている。
「ねえ、かあしゃま。」
「ん?なあに」
「きょねんよりいっぱいだね。」
「僕たちがいっぱい食べるから。」
 顔を見合わせながら、嬉しそうに笑っている三人の姿がそこにあった。


 「やれやれ」心の中でつぶやきながら、「ゴホン」と咳払いをする。
 そのとたん三人の背筋はピンと伸びた。
 そして、おそるおそる後ろを振り向く。
 そこに立っている侍従長を見つけた三人は申し合わせたようににっこり。
 が、そんなことに誤魔化される侍従長ではない。
「皇妃様・殿下方・・・・」
 俯く三人に言いかけたとき、後ろに控えていた書記官が声をかけた。
「侍従長様、陛下が・・・・・」
「何?」
と言って侍従長が視線をはずした隙をついて三人は脱兎のごとく逃げ出した。
 その素早さ、チームワークのよさ。
 侍従長はため息をついて見送るしかなかった。
「まったく、困った方々だ。」
 思わず吹き出した書記官を睨み付ける。
 慌てて口元を押さえた書記官は、
「陛下のところへイル・バーニ様がお見えになったようです。」
と告げた。
 なるほど、確かに陛下のところへイル・バーニが現れ何か言っている。
 そのこめかみには、くっきりと青筋がたっているのがここからでもわかる。
 渋々といった様子で陛下は立ち上がり、料理番とハディ女官長に何事か指示すると厨房をあとにした。

 まったく皇族が、しかも皇族の中でも最高位にある方が厨房に出入りするなんて、と侍従長はため息がでる。
 何度申し上げても、「わかった。」と言ってはくださるが、このホワイトデイとやらだけはやめる気配がない。
 皇妃様については、もうあきらめた。
 皇帝が止めないものを、侍従長ごときが止めることはできないではないか?
 が、しかし、せめて次代を担う殿下方はこういうことはなさらないで欲しいものだ。
 そう思っているのに今日は、三人ご一緒に厨房を覗き見などなさって・・・・・
 悩む侍従長は、楽しげに後宮を歩いているハディ女官長の姿を見つけた。


「ハディ女官長、ちょっと相談があるのだが。」

 侍従長は、クッキーを召し上がっている皇帝一家を見ながら複雑な気分に襲われていた。
 いかにも幸せな一家団らん。
 しかし、王宮のしきたりは無視されっぱなしだ。


 さっき相談したところ、女官長は
「あら、侍従長様。皇族は厨房に出入りしてはならないなどと聞いたことはありませんわ。」
と言ってのけた。
「いままで、そんなことをされる方は見えなかった。」
 思わず言い返す。
「でも、侍従長様。殿下方は料理を作るところをご覧になって、『みんながこんなに一生懸命作ってくれるのだから残したらいけないね。』とおっしゃって好き嫌いをおっしゃらず、全部召し上がられますわ。いいことではありませんか?」

 「だめだ、これは。」女官長も彼の味方ではなかった。



 部屋の隅に控えている侍従長の服の裾が引っ張られた。
 見下ろすと、いつの間にかピア皇子が側へ来て見上げている。
「どうかしたの?」
 これは、いかん。ぼーっとしていたか。
 侍従長はピア皇子の前に膝をつきながら申し上げた。
「いいえ、なんでもございません。」
 首を傾げながら、ピア皇子は侍従長の前へ手をつきだした。
 その手の上にのっているのは、皇帝お手製のクッキー
「とうしゃまがつくったの、おいしいよ。」
 驚いてピア皇子の顔を見つめる。
 ピア皇子の後ろをみれば、デイル皇子も皇帝夫妻もこちらを見て、笑っているではないか。
「畏れ多いことでございます。」
 侍従長はクッキーを押し頂いた。

 目の前のピア皇子の笑顔が眩しい。

「ピア、減っちゃったじゃないか。あんなにも僕の分だってがんばってたのに。」
 デイルがからかう。
「だって、じじゅうちょう、げんきない。」
「僕たちが厨房で覗き見してたから、怒っているんじゃないか?」
「ちがうよ。ちゅかれてるんだよ。」
「ピアは優しいねえ。僕の分、わけてあげるよ。」
「かあ様の分も、わけてあげるわ。」
「あれ?、ぼくしゃっきよりふえちゃたみたい。」
 デイルがころころ笑う。
「よかったねえピア」

 手の中にあるクッキーを眺めながら侍従長は思った。
 こんなことは、王宮のしきたりから大きくはずれることだ。
 しかし、こんなにも心が温かくなってくるのはなぜなのだろう。
 長年、お仕えしているがこんな気持ちを知ったのは初めてだ。
 もう、王宮のしきたりなどどうでもいいか。

 いや、しかし。と侍従長は考える。
 こんなにも自分のことを思ってくれる殿下のしあわせを守っていきたい。
 今はこれで良いがこれから先もこのままでいいとは限らない。
 デイル皇太子やピア皇子が妃に迎えるのは、どこかの国の王女かもしれない。
 そうなったときに、しきたりを知らずに困られるのは殿下方なのだ。
 今は必要でなくても、しきたりだけはきっちり覚えておいていただかなくては。

 侍従長の瞳は再び使命感に燃えた。
 体中に生気が満ちる。

「ねえ、とうしゃま。じじゅうちょう、急に元気になったよ。とうしゃまのクッキーってしゅごいんだねえ。」
 ピア皇子の言葉が、侍従長の耳をくすぐっていった。
                      おわり       

       

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