きくえさん、奥にて24000番のキリ番ゲットのリクエストは「ユーリにプロポーズする直前までのカイル」。コミックス描きき下ろし分にこのエピソードは載るかしら??

前夜


 気配がなかった。
 主のいない部屋は、明かりの下、どこか空虚だ。
 ユーリがこの部屋に移ることになってから、大幅な模様替えをした。
 別宮を構えていたとはいえ、この部屋の主である義母は生国の趣味で部屋中を飾り付けていた。
 オリエントでも屈指の伝統を誇るバビロニアの工芸品は華麗だった。
 新たにこの部屋を使用するユーリは、華美な装飾を好まない。
 タペストリーを外し敷物を取り替えると、正妃の間はおどろくほど質素で素朴な雰囲気になった。
 私は、とっくに戻っているものだと思っていたユーリの姿がないのに、とまどいながら部屋を見渡した。
 白いシーツがしわひとつなく張られた寝台。
 私の宮に来たときに、着替えを入れるようにと与えた衣装箱はそのまま壁際にある。
 低い長いすの上には、いくつかの粘土板。
 暇さえあればユーリは文字の練習をしている。
 ベットサイドの小卓には、ワインボトルとカップ。
 ユーリは酒を飲まないので、これは私のために用意されたものだ。
 いったい、どこに行ったのだろう?
 天蓋にかかる紗をそっと持ち上げる。
 婚儀は明日に迫っている。
 心掛かりだった、皇太后の処分も決まった。
 今夜は穏やかな気持ちで眠りたかった。
 白い寝台に腰を下ろしながら考える。

 思えば、出会ってからいつもユーリの姿を捜していたような気がする。
 突然私の前に現れ、すぐに腕をすり抜けて逃げていった少女。
 抱きしめて眠ったつもりなのに、いつのまにか逃げ出した娘。
 手放すたびに想いは募った。
 時を重ねるごとに、互いがかけがえのない存在になっていった。
 明日、ユーリは誰もが認める私の正妃になる。
 なのに、どこへ行ったのだろう。
 廊下に足音が響かないか、扉が勢いよく開かないかと、私は感覚を研ぎすませる。

 ふと、目にとまった。
 凝視する、扉の脇の柱に、何本もの傷が走る。
 正妃の間に、どうして傷が?
 立ち上がり、柱に近づく。
 傷は、私の腹の辺りの高さに重ねられていた。
 これは・・・
 ふと、記憶が甦る。

 母上が、私をここに立たせて言う。
『大きくなったわね、カイル』
 この傷は、私の身長に合わせて母上が彫ったものだ。
 母上はある日、私とザナンザを部屋に呼んだ。
『さあ、どちらがどちらか分かるように、名前を書いておきましょうね』
 母上が小さなナイフで文字を刻んでいたとき、扉の向こうで侍従が告げた。
『皇帝陛下に、新皇子がご誕生です!』
 すると、あれはジュダの生まれた夜のことか。
 文字を彫り終わるまで、母上は唇を結んでいた。
『皇妃さま!』
 母上の腕が私たちを抱き寄せる。
 厳かに皇妃の声が聞こえる。
『ナキア妃様にねぎらいのお言葉を』
 そう言った時の母上の顔は見えなかった。

 私は柱を手のひらで撫でた。
 母上が彫りつけたはずの私たちの名前はない。
 目立つのでそぎ落としたのだろうか。
 ふと、もう一方の柱にも目をやる。
 同じような傷が、そこにもある。
 こちらの方は私の記憶にはない。
 歴代の正妃の誰かが刻んだのだろうか。
 思ったよりも低い位置のそれに、膝を着いて目を近づける。
 小さな文字を読みとって、私は息を止める。
 ジュダ。
 末の弟の名前が、控えめに彫りつけられている。

 ナキア妃を正妃に迎えたあとも、父上は側室を迎えることはやめなかった。
 皇子こそ誕生しなかったが、異母妹たちはつぎつぎに生まれた。
 後宮一の地位につきながら、ナキア妃は息子を柱のそばに立たせて柱を刻んだのだ。
 あの日の母上と同じように。
 他からもたらされる、この国にとっての慶事を待ちながら。 

 ユーリの姿は、まだない。
 
 私は大きく息を吐いた。
 私はユーリを正妃にする。
 歴代の皇后が使用したこの部屋を与え、国を二分する権力を与える。
 至高の冠をその頭上に載せ、帝国のすべての民に知らしめる。

 それだけでは、ダメなのだ。
 それだけでは、誓ったことにならない。

 母上や、そのほかの同じ地位についていた皇后達が過ごしたような夜は、決してユーリの上には訪れないのだと約束したことにはならない。
 私に必要なのは、ただの一人だと、伝えなくては。

 私は立ち上がる。
 ユーリは、どこにいるのだろう?
 彼女のことだ、これから自分の上にもたらされる重責に負けまいと、おそらくは強い瞳で立ち向かおうとしているはずだ。
 あの日の母上のように、青ざめた顔で。

 唇を引き結ばなくてもいい。
 これは戦いではない。
 これからは、互いが互いの安らぎになるために、二人は一緒になるのだから。

 ふと、気づく。
 ユーリが誓うのにふさわしい場所。

 私は、ようやく理解して、ユーリの姿があるだろう場所を思い描いた。

 婚儀が行われる大神殿。
 そこに、ユーリはいる。


                おわり 

     

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