鬼の棲む家


 城壁を見下ろす郊外の丘の上にはこんもりと明るい盛り上がりがある。
 桜の大木が今を盛りと白い花を咲かせている。
 ヒッタイトの西方の要衝都市、カルケミシュは、春を迎えていた。
「きゃあ!なんて綺麗なのかしら!!」
 重なる花びらを見上げながら若き知事夫人アレキサンドラは歓声をあげた。
 かたわらに腰を下ろした知事、ジュダは顔をほころばせた。
「本当ですね」
 新婚の夫妻に気を遣ってか、みれば侍従や侍女達も姿を消している。
 二人ははらはらと降る花びらの下で顔を見合わせた。
「・・・あ・・・」
 不意にアレキサンドラが頬を染めた。
「ごめんなさい、私ったら・・・殿下はお忙しいのに、急にお花見になんか誘ったりして」
「いいえ、私は嬉しいですよ」
 ジュダはにっこり笑って花を見上げた。
「ご覧なさい姫、なんて綺麗なんでしょうね。このままずっとこうしていたい気分です」
 薄紅の花びらがジュダの額に降りかかる。
 しばらくそれに見とれていたアレキサンドラだったが、不意に思いだして手元の籠を引き寄せた。
「あの、殿下・・・私、こんなものお口に合うかどうかはわからないんですけど」
「?」
 おずおずと差し出されたのは、漆塗りの重箱だった。
 中にはとりどりの料理が詰められている。
「・・・姫が作られたのですか?」
 こっくりと頷いたアレキサンドラは首筋まで朱に染まっていた。
「お料理だけはお母様に仕込まれましたの・・」
「見事ですよ!」
 ジュダはいそいそと座り直すと、重箱を手に取った。
「頂いていいのですね?」
「もちろんですわ!殿下のために作ったんですもの!」
 二段目には小ぶりの俵型のおにぎりが並んでいた。
「美味しそうだなあ・・・」
 ジュダがおにぎりに手を伸ばしかけたとき。

「ふははははっはは!!笑止千万!!」
 ばらばらと花が散り、折れた小枝と共に頭上から飛び降りた影がすっくと立った。
「うわっ!?」
 間一髪でジュダが飛びのいた。
 新婚夫婦の間に仁王立ちに立ちはだかるのは、ナキア元皇太后だった。
「お、お義母さま!?」
 重箱の蓋を抱えたまま、アレキサンドラも固まった。
「な、なにが・・」
「このような小手先細工で喜ぶとは、ジュダ、お前も青いのう」
 ナキアはかかと笑うと、重箱を指さした。
「このおにぎりはなんじゃ?我がバビロニア王家では、先祖代々おにぎりは三角形に決まっておる。このような田舎臭い俵型など片腹痛いわ!」
 言うと片手でむんずとおにぎりを掴んだ。
「あら、お義母さま、私の育ったアルザワ王家ではおにぎりは俵型に決まっておりますわ!海苔を巻く時に無駄がありませんもの!」
 アレキサンドラが立ち上がる。腰に手を当てて威嚇のポーズをとった。
「なんとせこいのぉ!王家の者が海苔の無駄を気にするとは!それよ、それこそお前が田舎者である証拠ではないか!」
 巨大な胸を突きだすとナキアは勝ち誇っておにぎりを食いちぎった。
「まったく、田舎者の嫁はこれだから困る」
「アルザワは田舎ではありませんわ!」   
 アレキサンドラはふるふると拳をふるわせた。
「良港に恵まれて世界中の国が交易に訪れますし、温泉地には観光客が押しかけています」
「ほう、温泉地!」
 もうひとつおにぎりを掴みあげながらナキアは鼻で笑った。
「老人会が慰安に訪れる場所の代表であろう。まさに田舎の証明じゃ」
「温泉を馬鹿になさるなんて。温泉に入ればお義母様の小じわも消えますし、神経痛だって治りますのよ!?」
「だ、誰に小じわがあるって!?」
 怒りに息を止めたナキアの手からアレキサンドラはおにぎりを奪い返した。
 つるつるすべすべの若さに弾ける肌をナキアの前に誇示する。
「それに殿下は俵型のおにぎりがお好きなはずよ、ねっ!?」
 いきなり言葉を振られて、突っ立ったままだったジュダは口ごもった。
「あ・・そうですけ・・」
「ジュダ、お前はバビロニア王家の血を引くはずじゃ、おにぎりは三角でないと気が済まないはず!」
 ナキアが眉をつり上げて睨み付ける。
「ヒッタイトには・・・おにぎりがありませんから・・・ボクは形はどうでも・・」
「殿下、俵型がお好きだと仰って下さい!!」
「ジュダ、お前は三角しか好きではないはずだ!」
 両脇からずいとにじり寄られて、ジュダはじりじりと後退した。
 どちらの肩を持っても血を見そうだった。
 立ちはだかる二人の貴婦人の前にのどかに花びらが舞った。
 ジュダは惹かれるように視線を上に向けた。
「さあ、殿下!」
「どうなのじゃ!?」
 はらはらとジュダの顔に花びらが降りかかる。

『このままずっと見上げていたい』
 ジュダは思った。
 そうすれば、涙がこぼれないから。


                             おわり

          

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