ひねもすさんのリクエスト、「7巻でカイルをエジプトに行かせたくないばかりに薬を盛って自己嫌悪に陥っているユーリにデレデレしているカイル」

愛欲


               
 by酔いどれバナナさんたち


 寝室の扉を、控えめに叩く音が聞こえた。そして、ためらいがちに開かれる。
 足音を忍ばせているのか、猫のようにしなやかに、こちらへ近寄ってくる影。
 月の光が差し込むところに来て、ようやく顔がわかる。
「・・・ユーリ? まだ寝ていなかったのか」
「うん・・・皇子こそ・・・・・・今日は疲れたでしょ?」
 相手を気遣う言葉の中から、本人こそが気疲れしている雰囲気があった。
「そうだな・・・戦車競技など久しぶりだったからな。どうした?目が赤いぞ」
 寝そべっていた寝椅子から身体を起こして、カイルは自分の隣にユーリを座らせた。
「・・・うん・・・」
 うつむいているために表情ははっきりと見て取れなかったけれど、カイルはユーリが泣き出しかけているのを見て取った。
「・・・今日のこと・・・今日のこと、ごめんなさい」
 涙混じりの声は、震える細い肩とともに、カイルの胸を打った。

 今日、正確には夕べの夜から始まった騒動のために、ユーリが食事もとらないほど悩んでいたことは知っている。
 事の起こりは、エジプト王ツタンカーメンが亡くなったことに始まり、その後座にヒッタイトの皇子を遣わしてはくれまいかとの書簡が届いたことにあった。
 書簡の真意を確かめた後、ヒッタイト皇帝シュッピルリウマ一世は、自らの息子たちのうちから一人を選び、エジプト王として婿入りさせることを決めた。
 しかし、どこまでもカイルの即位を阻もうとするナキア皇妃と側近のウルヒは戦車競争の優勝者をエジプトへ送ることにしようとの案を出し、カイルを追い払おうとした。
 だが、母親の悪巧みを察したナキアの息子ジュダに眠り薬を握らされたユーリは、カイルをエジプトへ行かせたくないばかりにワインへその薬を仕込み、レースでカイルがまともに走れないようにしたのだった。
 そのためにカイルの腹心の弟ザナンザがエジプトへ行くことが決まってしまい、いずれは兄弟で理想の国家を作り上げようとしていた二人を引き離してしまったと自らを責め、ユーリの胸は押しつぶされるように苦しかった。
「ごめんなさい」
 一向に頭を上げず、謝りつづけるユーリをカイルは優しく抱き寄せた。
「おまえが気にやむことはないと言っただろう」
「でもあたし・・・ザナンザ皇子を行かせたくて、あんな事したんじゃないのに・・・」
 いつしかしゃくりあげ始めたユーリを、カイルは愛しいと思った。
 ユーリが、自分を好いていることに疑いはない。
 しかし、ユーリが己の欲望に忠実になった事は今まで一度もなかった。
 故郷に帰りたいという望みですら、他人の為に抑えることの出来る理性を持つ娘だ。
 そんなユーリが、自分と離れたくないが為に己の正義を曲げる行動をしたのだ。
 カイルは、それが堪らなく嬉しかった。ユーリが他の誰でもない、自分の為に、己の欲望に忠実に行動したことが。
「しかし、イル・バーニもザナンザが適任だと言ったのだろう?」
 この部屋に来てから一度もカイルと目をあわさなかったユーリは、初めてその視線を正面から受け止めた。
 上げた顔には涙の痕が幾筋もあり、今も黒い瞳から止めど無く涙が溢れている。 
「でも・・・・・・殺されるかもしれないんでしょう?」
 ユーリのその搾り出されたような震えた声に、カイルの顔は強張った。
 ユーリを抱き締めている腕に僅かに力が入ったことが、それを肯定しているかの様に思える。
 自分に向けられる視線から目をそらさず、カイルは1つ息を深く吐いて、目に映る涙を拭ってやると、次いでゆっくりと・・・そして優しく、唇を重ねた。
「・・・不安が無いわけじゃない・・・」
 カイルはユーリの目をしっかりと捉えてそう呟く。
「わたしだって、ザナンザを行かせたくない。けれど・・・誰かが行かねばならないんだ」
「あいつだったら、大丈夫だと信じられると思わないか?・・・・・・あいつなら上手くやるさ」
「うん・・・ザナンザ皇子なら、きっと素晴らしいファラオになると思うよ。でも・・・」
 これだけ言っても、まだユーリの瞳から後悔の色は消えない。
 ならば・・・と、カイルは荒療治にでることにした。

「だったら、わたしがエジプトに行けば良かったか?」
 カイルはそう素っ気無く言い放った後、ユーリの顎を捉えると今度は荒々しく唇を奪う。
 これは、自分を責めるユーリに、これが最良の選択だったのだと判らせる為のセリフだったが、もう1つ、カイルの望みを叶えようとするものでもあった。
 即ち、ユーリがこれを否定するのは判り切っているが、カイルはユーリの口から直接それを聞きたくあったし、何よりも、ユーリに<離れたくない>と言って欲しいからだ。
 周りから見れば、実にバカバカしい限りの事なのだろうが、今のカイルにとってその一言は何よりも嬉しい言葉だった。
「そ・・・そんなこと・・・・・・」
 顔を赤くして首を振り、ユーリは涙を浮かべながら口篭もった。
 ――行かないで
 簡単な一言なのに、ユーリには言えなかった。
 本当の側室だったら・・・
 常に頭の片隅にある言葉だった。
 本当の側室であったら、カイルに甘えて、行かないでと泣きながら取りすがることもできるだろう。
「わたしが行ったほうがよかったか?」
 もう一度、耳もとで囁く。
 ユーリにとっては苦悶の言葉であるのは重々承知していながら。
「・・・・・・・・・から・・・」
「ん?」
 耳まで真っ赤にして、ユーリはぼそぼそと口の中で何事かつぶやいた。
「皇帝陛下は皇子を手放したくないだろうからって、ハディが言ってたもの」
 予想外の言葉にカイルは面食らった気がしたが、これがすぐにユーリの恥ずかしさ隠し照れ隠しなのだと判ると、背をなで擦りつつユーリを抱きなおした。
「父上じゃないよ、おまえのことだ」
 その響きには明らかに意図的なものが含まれていたが、ユーリには汲み取ることは出来なかった。
「・・・皇子が・・・」
 ユーリの肩が小刻みに震えている。
「・・・いなくなったら・・・ね・・・」
 人生最大の告白をするかのように、ユーリはいまや心臓を高鳴らせ、頬までをばら色に染めて、カイルの腕がなければ立っていられないのではないかと思えるほど儚げに見えた。
「・・・・・・いなくなったら・・・・・・」
 カイルの胸に預けた両手の指先が、熱をもっているように思える。
「わたしが、いなくなったら?」
 いつまでも続きを言わないユーリに焦れて、そっと先を促せてみる。
「・・・・・・っ・・・」
「なんだ?」
 頭の中が真っ白になるとは、こういうことなのかもしれない、とユーリは思った。
 ぐるぐると渦を巻く波の中の、ただひとつ置き去りにされた片足の踏み場しかない岩場に立っているような不安で、ユーリはたまらなくなって逃げ出したかった。
 お、皇子がいなくなったら、この宮に誰が住むの!?」
 この場を切り抜けたい一心で、ユーリは適当なことを言ってカイルの腕からすり抜けた。
 しかし、思いもがけないユーリの言葉に一瞬動きが遅れたものの、カイルは今にも部屋から飛び出していきそうなユーリを、難無く抱きすくめる。
 そして、ユーリの肩に頭を落としたままカイルの身体は小刻みに震えている。
「・・・くっ・・・」
 何も喋ろうとしないカイルに、ユーリは不思議に思いながら様子をうかがっていたが、その震えが笑いを堪えているのだと判ると、再び全身が熱くなった。
「〜〜〜〜!!もうっ、知らない!!おやすみっ!!」
 離してよ!と言う様にもがき始めたユーリだったが、カイルの腕はかえって力が込められ、脱出は益々不可能となる。
 しかし、
「そうだな。わたしが宮から出ていったら・・・ユーリだけになるな・・・」
 それまで、なんとかこれを外そうと廻された腕を引張っていたユーリだったが、カイルの真剣な口調に、ユーリの両手はその腕に添えられるだけとなった。
 ユーリはカイルの顔を見たかったが、カイルは額をユーリの頭上に摺り寄せる様に顔を移動させてしまったため、それは叶わなかったが、既にからかいが含まれていない事は判る。
「そ、そうだよ。こんなに広い宮に、あたし独りになっちゃうじゃない」
「ああ・・・」
「あたし一人には、広すぎるよ」
「うん・・・」
「それに、ナキア皇妃に狙われ易くなっちゃうじゃない」
「そうだな・・・」
 カイルは相槌を打つだけだったが、繰り返されるその囁きと、背中から伝わる温もりに、ユーリは涙が出そうになる。
「それに、独りは・・・寂しいよ・・・・・・」
「・・・そうか?」
「うん・・・一緒にいて欲しい・・・」
「・・・・・・」
「・・・カイル皇子に・・・側に・・・居て・・・欲しい・・・」
 だから・・・
 最後は、ユーリはまるで呼吸困難になったかの様に、単語1つ言う度に息を吸い込み、声はどんどん小さくなっていった。
 それでもカイルには十分聞こえており、愛しさが身体中に溢れてくる。
 身体を少し離し、ユーリを自分の方に向かせると、
「・・・だから、薬を飲ませたのだろう?」
 行かせたくないが為に。
 黙り込んだユーリの代わりに、言葉を引き継ぐ。
 すると、コクンと、ユーリは顔を俯かせたまま小さく頷いた。
 顎に手をかけ、無理矢理顔を上げさせると、目を覗き込む様にして言葉を紡ぐ。 
「ユーリ・・・わたしもお前と一緒に居たい。だから、お前がした事は・・・正直、嬉しかった」
「皇子・・・」
 驚いた様に、黒い瞳が僅かに大きくなる。
「ザナンザの力を信じてやれ。明日になってもお前が謝ったりしたら、きっとあいつは、自分が信用できないのかって怒りだすぞ?」
「ザナンザ皇子が?」
「そうだ。お前は知らないかもしれんが、あいつは怒るとわたしよりよっぽど怖いんだぞ」
「そうなんだ」
 信じられないと言うように呟き、その頬がようやく緩むと、白い腕がカイルの首にまわされ、耳元で小さく囁く。
「ありがとう、カイル皇子・・・」
 それに応えるように背中を軽く叩くと、カイルはユーリの身体を腕の中に収め、寝台へと運ぶ。
「もう晩い。寝るぞ」
「えっ、でも・・・」
 寝室を別にした事を忘れているかのように、カイルは当然の如くユーリを寝台へ寝かせると、灯りを消してゆく。
 ユーリの戸惑いをよそに、カイルはユーリに軽く口付けをして上掛けを捲ると、愛
い身体を背中から抱き締め、再び腕の中に収める。
「おやすみ、ユーリ」
「・・・おやすみなさい」
 1日中神経を張り詰めていた所為か、すぐに規則正しい小さな寝息が聞こえてきた。
 ユーリが寝た事を確認すると、カイルはユーリの身体を反転させ、自分と向かい合わせると、軽く開かれた唇を指でなぞる。

 ―――こんな日ぐらい、お前を抱いて寝てもいいだろう・・・?―――


             (おわり)

     

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