春にして君を想う


「どこに行くんだ?」
 廊下の暗闇から声をかけられて、あたしは驚いて立ち止まった。
「カイル?」
 明かりを落とした柱の間から、カイルが姿を現した。
 今日は明日の式典の打ち合わせで遅くなるって聞いていたのに。
「どうしてここにいるの?」
 あたしは巻き付けたマントの裾を握りしめた。
「どうやらおまえと同じく、脱走をもくろんでいたのだが」
 面白そうに言ったカイルは、確かに軽装だった。
「脱走だなんて」
 別にそんなつもりじゃなくて、カイルが戻る頃には帰っていようと思っていた。
「で、どこに行くんだ?」
 カイルがもう一度繰り返す。
「第四神殿・・・」
 小声で言う。
「カイルはどこへ行こうと思ってたの?」
 いつの間にか、腕を引き寄せられながら、あたしは訊ねた。
「おまえと同じ所だ」
 それからカイルは真面目な顔で続けた。
「毎年、フルリの前におまえは王宮を抜け出すからな。まさか第四神殿だとは」
 神殿には主神のほかに、国に功績のあった物故者が祭られている。
「ごめんなさい・・」
 秘密にするつもりはなかった。
 けれど、軽々しく口にすることもはばかられた。
 神殿に眠っている人たち。
 あたし達を守ってくれた人たち。あたしたちが守れなかった人たち。
 年に一度の大祭で、それらの人たちは神と共に祭られるのだけど。
「あのね、カイル」
 肩を抱いて歩き出そうとしたカイルの横顔を見上げる。
 できれば、今夜は一人で行きたいよ。
 なのに、カイルの柔らかな瞳があたしを映しているのを見るとなにも言えなくなる。
 あの時、あの人はなんと言ったのだろう。
「さあ、急ごう。皇帝皇后共に行方不明が知れては大騒ぎになる」
 言ってカイルはひらりと鞍に跨ると、片手であたしを抱え上げた。

 夜のとばりの落ちた街は、いつもなら寝静まっているはずなのにどこか浮わついた雰囲気をまとう。
 明日から始まる新年祭に屋根の低い民家の壁は思い思いの装飾を凝らしている。
 しまい込んだ気に入りの衣装を取り出しながら、人々は明日の式典に期待しているのだろうか。
 それとも日の出と共に始まる式典に押しかけるべく、今夜はさっさと眠ってしまったのだろうか。
 神殿前では旅芸人の奉納舞があり、国庫からは祝いの酒と食料が配られる。
 今年のビールは特に出来がいいのだと、昨日行政官が報告していた。 
 ハットウサの市街を駆けながら、カイルの腕の中で思いを巡らせる。
 あたし達の国、あたし達の街、ハットウサ。
 カイルの肩にのしかかった責務を分けながら、あたしはタワナアンナとしてこの国にいる。
 あたしがこの地位に就くことを切望してくれた人たち。
 その人たちが眠る第四神殿の白く塗られた壁が月の光に輝いているのが、ぐんぐん近づいてくる。
 神殿の前には大きな櫓が組み立ててある。
 あたしたちが式典を執り行う第一神殿まで来ることが出来ない人のために、この神殿の前でも新年祭は同じように見せ物があり、食料も配られる。
 きっとここでもカイルの名前を叫ぶ人やあたしの名前を呼んでくれる人たちが集まり賑わうのだろう。
 歓呼の声を聞きながら、あたしはいつも式台からぐるりとあたりを見回す。
 みんな、幸せ?元気に暮らしている?
『ユーリさまがお治めになればきっと皆は幸せに暮らせるでしょう』
 そう言ってくれたのは、ウルスラ。
 だから、努力している。
『ボク、ユーリさまにお会いできてよかったです』
 あたしを守って代わりに命を落としたのはティト。
 あなたの命を償えるほど、成果は上がっている?
 それから。
「ここで待っているから」
 カイルが馬を止めて言った。
「え?」
「会いに行っておいで」
 そう言ってあごで神殿を示した。
「きっと喜ぶだろう」
「いいの?」
 カイルは答えなかった。
 恋敵の顔は見たくはないだろうからな。きらめく瞳は、そう言いたげだった。
 あたしはカイルに背を向けた。
 神殿への階段を上りながら、もう一人の大切な人のことを考えた。
 いつもあたしを想ってくれた人。
 想いに応えることはできなかったけれど、せめてなにかお返しが出来るなら。
『タワナアンナの御位につかれるお姿を拝見できず、残念です』
 ねえ、あたしはあなたの望んだとおりのタワナアンナになった?
 頭上に置かれた重さはいつもあたしを厳粛な気持ちにする。
 宝石よりなにより、込められた願いがずっしりとのしかかる。
 あたしはこれにふさわしいかな?
 今日もあたしはあなたの答えを待つ。
 ねえ、上手く行っていると思う、ルサファ?
 あなたの死を無駄にしていない?


 回廊に足音を響かせながら。
 あなたの逝った春になれば、いつもあたしは問いかける。


                  おわり    

       

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