こりごりスプリング
by母之日屋マリリンさん
「へ、陛下これを・・・・・・」
弱々しくつぶやく声を耳にすると同時に、ずっしりと重い物が手に載せられる。
載っているのは大きな粘土板。
そこには大きな文字が書かれていた。
あまりの大きさに視界にいっぺんに入りきらない。
一つ、一つの文字を確認して内容を読みとるとため息がでた。
それは、辞職願いだった。
料理長はげっそりとやつれていた。
「では、私はこれで・・・」
深く頭を下げ、ふらふらとして下がっていく足取りは「待て、理由はなんだ?」ととても聞ける状態ではなかった。
どうやら、この粘土版の大きさは料理長(いや、すでに元料理長か?)の決意の固いことを示しているらしい。
”誰が、なんと言おうと絶対に辞めるんだ。”と言う固い決意。
歴代料理長の中で最短で辞めた。
たしかに、ユーリの”ちまき作り”におののいてはいたが、それからまだ一週間しか経っていない。
あの日から、ユーリは厨房へ出入りはしていないはずだ。
朝から夕方までは、執務室で・・・・・
夜は寝所でと、ずっと一緒だった私が言うのだ。間違いはない。
しかし、げっそりとやつれた様子はただごとではなかった。
いったい、なにがあったのだろう?
今日は、母の日と言うことでユーリは早めに後宮へ戻っていた。
子ども達と約束したからと、私一人に仕事を押しつけて・・・・・・・
相手が我が子とはいえかなり不愉快なのだが、「お願いカイル」とユーリにうるうるの眼で見られたら頷くほかはない。
しかし、黙っておとなしくしているつもりはない。イル・バーニも驚くスピードで仕事を片づけると後宮へ向かった。
「かあ様、僕たちかあ様のためにパンを焼いたの。食べてね」
「ピアね、一生懸命混ぜたんだよ。」
「マリエもね。粉をまぜまぜしたの。」
子ども達の弾む声が聞こえた。
「だって、かあ様はなんでもとう様に貰えるから僕たちは何もあげるものないし」
「でね。でね。3人でパンを焼いたの」
「「「ねえー」」」
3人の可愛い声に囲まれているのに、なぜかユーリの声が聞こえない。
この会話からすればユーリがいないはずはないのに。
きっと、うれし涙にくれているのだろう。こんなにも子供が成長した嬉しさに。
私は、すっかり忘れていたのだ。
子ども達はユーリの血も引いていると言うことを・・・・
「賑やかだな。」
そう言って部屋に入った私をユーリが見た。
その顔に困惑が貼り付いているのがわかる。
迷惑なのか?子ども達と過ごしているところを邪魔されると思って。
いくら私だって、そうそう邪魔ばかりはしないぞ。
「上手に焼けたようだな。」
そう言って、なにげなくパンをひとつ手にした。
と、私の指は懐かしくも忌まわしい感触を感じた。
こ、これはユーリが初めて私に食べさせたパンと同じ・・・・・
「僕たちね、料理長に毎日教えて貰っていたんだよ。」
「はじめは、まっくろになっちゃったの。」
「かまども爆発したし・・」
「まわりは、こなまるけだし」
「「「ねえ」」」
口々にしゃべる子ども達
料理長、お前が辞職した気持ちが解るよ。
ユーリが3人いるような状態で過ごした1週間。料理長の神経はぼろぼろになってしまっていたのだろう。
ふらふらと下がっていった料理長の後ろ姿が目に浮かぶ。
パンを手にしたまま、私は立ちすくむしか無かった。
おわり
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