鴛鴦
『皇子のそばにいたいの!つれていって!!』
ひたむきな瞳が私を映す。
『カイル皇子がいたからあたしはこの国で暮らせたの、皇子のいないハットウサにひとりでいるのはやだ!』
袖を握りしめながら、黒い髪の少女は泣き叫んだ。
お前が泣くのは耐えられない。
抱きしめたい思いを振り切って背を向ける。
『つれていってよ!』
悲鳴のような声に、足を止める。
『では、私と来るか?』
そうだ、結局あの時私たちは共に旅立ったのだった。
つかの間の蜜月のような日々を過ごして。
あれから二人はどうしたのだろう?
お前は奪い去られ、やがてこの腕に再び取り戻した。
「私のそばにいて、一生離れないか?」
なんども繰り返し確かめた言葉だ。
『うん、離れない』
澄んだ声が答える。
『ずうっと、そばにいる』
振り向けば、いつのまにか浮かべるようになった静かな微笑み。
『カイルはあたしの一部だから』
そうして、お前は私の一部だった。
「・・・か・・陛下・・・父上!」
はっと気づけば、ユーリに似た瞳が私をのぞき込んでいる。
「・・・デイルか」
私はゆっくりと夢想をふりはらう。
風に紛れるようにかすかな残り香。
「お疲れではないのですか、父上?」
懐かしい色をした瞳が気遣いに染まる。
私は膝の上のタブレットに視線を落とした。
「いや・・・」
疲れているのは安らぐ場所を失ったからだ。
困難や窮地や、あらゆる難題に疲弊すると、いつも私はその場所にむかった。
柔らかな腕に抱きとめられて、まぶたを閉じる。
髪を梳きながら優しい声が言う。
『カイルには、あたしがいるよ』
大丈夫、あたしがいる。
いつだって、そばにいるから。
子守歌のように繰り返される言葉。
『ほかになにもできないけれど』
「父上、お気持ちは分かりますが」
デイルが口ごもる。
「分かっている、国には必要だ」
民は動揺している。
悲しみの底に突き落とされ、嘆き続けてやがて気づく。
「・・・では・・・」
「元老院が候補を挙げているのだろう?」
デイルが唇を噛みしめる。
彼にとっても辛い選択なのだろう。
「帝国は皇帝と皇妃と元老院が揃うことによって、正しく機能する」
「新しい正妃をお迎えになるのですね・・・」
うなずく自分を、私は他人事のように観ている。
皇帝には、皇妃が必要だ。
民もそれを望むだろう。
イシュタルに見捨てられた嘆きは大きい。
傷を癒すには新たな皇妃をいただくしかないのだ。
「本当に、よろしいのですね?」
たとえ、私がそれを拒もうとしても、そうするしかないのなら。
「あれは・・どう思うだろう」
デイルがふと顔を上げる。
「・・・母上ですか?」
「あれが、生きていれば」
馬鹿なことを。
生きていれば、このような事態にはならないだろう。
誰からも敬われた皇妃。
他の誰にも代えようのない女神。
生涯たった一人を愛し抜くと誓った、私の妻。
デイルの瞳が曇る。
「いや、いい」
めまいを感じて、私はこめかみに指をあてた。
指先が震える。
『カイル、大丈夫?』
暖かな指がそっと添えられる。
すぐに耳元でささやく声。
『あたしはここにいるよ?』
どこにいるというのだ?
揺れる世界の内で、私は歯を食いしばる。
どこにも、ユーリはいない。
「父上、お加減が・・・」
立ち上がり、医師を呼ぶ気配。
医師になど、治せはしない。
私を癒すことが出来るのは、あの手と声だけ。
『ずっとそばにいるから』
誰がお前を連れ去った?
どうすれば、取り戻せる?
『一生、離れないよ』
どうして、私を置き去りにする?
終
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