斜陽


               by yukiさん

 影が濃く長く落ちる頃、父上は後宮で一人杯を傾けていた。
 後宮の池のほとり、正妃の間の前で。
 哀しげとも言える表情を浮かべひとり翳の中に隠れてしまわれるように佇んでいる。
 供の一人も連れず。
 いや、誰も側に控えることができないのだろう。
 誰にも代わりなどできないのだから。
 父の後ろ姿は寂しげで背が驚くほど小さく見えた。
 いつまで経っても追いつくことなど出来ないとばかり思っていたのに、あんなにも大きく頼もしく
わたし達を守ってくれてきたのに。
 力強かった父に老いすら感じた。


「父上」
 遠慮がちな声が聞こえた方を向くとデイルが立っていた。
 いつからそこにいたんだろうか?
「どうした?」
「日も落ちれば冷えてきます。そろそろ部屋にお入りいただけませんか?」
「そうだな。デキャンタがあいたら入るよ」
 軽く持ち上げたデキャンタの動きからまだまだ残りが多いのが分かったのだろう、その表情を曇らせる。
「何も食べずに呑まれてはお体に障ります」
 心配して言ってくれているのは分かっているが、だからといって何と思うわけでもない。
「一緒に食事をとりましょう」
 愛しい者と同じ黒曜石の瞳が真摯に見つめる。
 だが愛しい者はもう亡い。
 おまえは知っているのだろうか?
 何を食べても美味いと思うことが無くなってしまったということを。
 強い酒をあおったところで気がまぎれるわけでもなく妙に頭は冴えてしまう。
 あれがいなくなってから世界は無味乾燥なものになってしまった。
「何も欲しく無いのだが」
「そんなことおっしゃらずに、少しだけでも・・・!」
「デイル、知っているか?
 王宮での贅を尽くした晩餐よりも、あれといっしょであれば一片のパンの方が勝るのだ」
「・・・・・」
「ヒッタイト帝国皇帝として果たすべき責務を放棄はしない。
 わたしはわたしのやるべきことをしよう。
 だから今ひと時自由にさせて欲しい」



 父は孤独だった。
 わたし達や共に歩んできた側近に囲まれようと父は孤独だった。
 たったひとりを失ってしまったから。
 昔聞いたことがある。
 過去たった一度父が心身のバランスを崩してしまったことがあると。
 母を永遠に失ったかもしれないと思った時。
 その時は帰ってきた。
 たったひとりを永遠に失ってしまった今父様はどうやって立ち直ったらいいのですか、母様?


『死ぬまで離さないから覚悟しておくんだな』
 そう戦車の上で言った時世界は輝いていた。
 空はどこまでも蒼く澄み渡り緑は色鮮やかに生い茂っていた。
 あれと共であれば何気ない日常の風景すら生気にあふれていた。
 だがおまえは私の腕の中からすり抜けてしまった。
 あの時言った科白を後悔する。
 死ぬまでなんて言うんじゃ無かった。
『死んでも離さない』
 ユーリ、そう言っていればおまえは永遠にわたしのものになったのか?

                   おわり

      

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