夏の王様


 そろそろ暑くなってきたから、離宮に移る計画をたてないといけないな。
 私は山積みのタブレットの隙間から、執務室の向こう側にいるユーリを盗み見た。
 ユーリは難しい顔をして、書記官の報告を聞いている。
 暑いのか、無意識に胸元を引っぱって風を送り込もうとしている。
 まだ若い書記官はそれが気になるのか、できるだけ視線を合わせまいと、直立不動の姿勢で書類を読み上げている。
 良い心がけだ。
 これがわずかでも横目でのぞき込もうものなら首が飛んでいるはずだ。
「お聞きですか、陛下?」
 イル・バーニが絶妙のタイミングで話しかける。
 さすがイルだ。私が上の空でいることを見破ったな。
 つきあいが長いだけのことはある。
「ああ」
 聞いていなかったが。
 イルは大げさにため息をついたが、もう一度書簡を読み上げ始めた。
 以前私が裁可した麦の交易路の警備のことか。
 あれは内偵から上手くいっているという報告があったはずだ。
 今さら地方長官の報告を聞くまでもない。
 私は頬杖をつくと、もう一度ユーリを眺めた。
 ユーリは同じ年代の女性に較べて随分と華奢だ。
 抱きしめると折れそうに細くて、肌の手触りはすべすべで・・いや、肌は関係ないか。
 フットワークが軽いのでそうは見えないが、じつは体力もあまりないのではないかと思っている。
 夏の暑さにも弱い。
 普段から旺盛とは言えない食欲が、目に見えて激減する。
 体調を崩しやすくなるし、そのせいか夜もあまり相手をしてくれなくなる。
 これは非常に困った事態だ。
 いや、身体目当てでこんな心配をしている訳じゃないぞ。
 私は純粋にユーリのことを考えているのだ。
「・・・ところで陛下」
 だから早い目に湖のそばの涼しい離宮に移って、休養を取りつつ過ごさなくては。
「聞いておられますか?」
「うむ」
 一応返事をしながら、私はユーリの胸元に注目する。
 汗の粒が象牙色の肌に光っている。
 かわいそうに。あとで拭いてやらないと。
 そうだ、一緒に水浴びをしても良いな。
「・・・ですから、老朽化していて」
 水浴びで疲れたら、ゆっくり午睡を取ろう。
 子ども達は乳母が見ているのだし、たまには二人で過ごすのも悪くない。
「今後の使用は控えられた方が」
「そうだな」
 しかし、今日のユーリの服装はなんだ。布が薄すぎやしないか?
 まあ、この気候だから仕方がないが、あれでは汗をかくと透けてしまう。
「では、陛下、よろしいのですね」
「ああ」
 ハディにきつく言っておかないといけないな。
「では、離宮は閉鎖することに」
「なんだって!?」
 私は大声をあげた。
 イルが多少目を見開き、室内の文官達が驚いてこちらを見ていた。
「どうしたの、カイル?」
 ユーリが心配そうに立ち上がった。
「イル、いまなんと言った」
「・・・老朽化して危険なので離宮を閉鎖する、と」
 言いながらイルの額にちらりと青筋が見えた、ような気がした。
 が、そんなことを気にしている場合ではない。
「離宮を閉鎖だと?」
「ああ、もう随分ぼろかったもんねぇ。それに春の大雨で水も出たんだっけ」
 のんびりとユーリが言った。
 のんびりしている場合じゃないぞ?
「なぜ、補修をしていないのだ?」
「交易路の整備を優先せよ、と仰せでしたので」
 ・・・たしかそういう話題が春先に出ていたような・・・。
「そうそう、皇室のことより国のことよね」
 ユーリがうなずく。
 確かあの時はユーリが膝の上で『ねえカイル、やっぱり交易路の整備は大切だと思うの』とささやいたのだった。
 私はその時『ああ、おまえの言うとおりだよ』とかなんとか返事したような・・・。
 まさか整備に今頃までかかるとは思っていなかったのだが。
「で、陛下、どうされますか?」
 イルが外気温を無視した冷たい声で言う。
 こいつは体温まで低いに違いない。
「まあ、今年はいいんじゃない?」
 朗らかにユーリが言う。
 なにを無責任なことを言っているんだ。
 ここに残ったらお前は『今夜は暑いからそんな気になれない』と言わないと誓えるのか?
「だめだ・・・」
 私は不機嫌かつ低音の声で言った。
「夏は離宮で過ごす」
 どうだ、威厳があるだろう?
 皇帝の一言は絶大だ。
「・・・またカイルったらわがまま言って!」
 ユーリが頬を膨らませた。
 そういう顔をすると年齢不詳の顔がますます幼く見えて、私は我を見失いそうになる。
 しかし、皇帝の一言を「わがまま」で片づけるのか?
「イル、すぐに離宮を補修するか新築しろ」
 いくら私がユーリに弱いとは言え、皇帝の威厳を失う訳にはいかない。
 なにしろこの部屋には他に文官や書記官がたくさんいるのだからな。
「・・・急がせますが、いつまでに?」
「来週だ」
 どうだ、偉そうだろう?
 偉そうでもいいのだ、私は皇帝なんだから。
「ユーリ、おまえも一緒に行くんだぞ」
 膨らませている頬を両手で包みながら、きっぱりと言う。
「これは皇室の年中行事ですでに慣例となっている。いまさら変えるわけにはいかないのだ」
 一応、わがままだけで言っているわけではないとフォローもしておこう。
 ユーリは上目遣いに私を見た。
 ・・・かわいいなあ。
「カイルって・・・」
 思わず重ねかけた唇が触れる寸前にユーリが言う。
「・・・わがまま大王だよね」
 なんだそれは?
 皇帝と大王はどう違うんだ?
 多少の疑問は気にしないことにして、私はユーリを抱き寄せた。
 来週にはバカンスを始めるぞ。
 そうして、私がどれだけユーリのことを考えているのかたっぷり教えてやろう。

 なにしろ夏は暑いんだから。

             おわり  

      

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送