このまま手をつないで
泣いてしまった。
気がつけば、頬の上を涙が転がり始めている。
「ユーリさま?」
衣装を着付けてくれていたリュイとシャラが驚いて顔を見上げる。
「どうされましたの?」
「どこか具合でも・・・」
「なんでもないよ」
あたしは手の甲で涙をぬぐった。
「ほこりが入ったみたい」
すぐそばで粘度板を読み上げていたハディが、慌ててあたしの頬に手を当てた。
「本当ですか?お水をお持ちしなければ」
すぐに小卓の上の水差しをシャラが持ち上げる。
リュイはたらいを持ってくる。
「さ、おすすぎしましょう」
「うん・・・」
うなずきながらも、あたしの目からは次から次へと涙があふれる。
喉からは嗚咽がもれる。
ハディの眉がひそめられた。
「いいから、続けて。時間がないから」
あたしは顔を逸らしながら言う。唇が震えているのが自分でも分かる。
このまま顔を見られていたら、涙の理由が知れてしまうのがいやだった。
「では・・・続けますが・・・」
ハディは気遣いのにじんだ瞳で、元の仕事に戻る。
時々言葉を止めながら、あたしの方を伺う。
複雑怪奇な各国の王室の相関図。
誰が誰と結婚して、どこに住んでいてどういう地位なのか。
ハディがそれを静かに読み上げる。
「ですから、この国は前王の弟君が王位を継がれて、ご子息が王太子に、その正妃に現王の王女が立たれています」
あたしはリュイに頬を拭われながら、頭の中で今聞いた言葉を整理する。
「それは、王太子が前王の逝去の時に若かったからなの?」
言葉は涙混じりだったけれど。
「王太子は御正妃腹ではなかったので弟君を推すものが多かったからだそうです」
「・・・そうなの」
ハディは続いて、その国の中枢の勢力を説明する。
あたしに理解しやすいように、言葉を選びながら。
多分、こんなことは生まれながらの高貴な身分の人たちには常識なんだろう。
幼いときから自然に耳にして、あるいは自身が血の絡まりの中に身を置いていて。
あたしにはそんな知識が何もない。
「使節になっている殿下・・・っていうのは・・・」
「前王と現王との末の弟君にあたられますが、母君が隣国の名家の出自で、また妃の一人にも隣国の姫をお迎えですから・・」
二つの国の思惑が絡まって、今日その使節はやって来る。
あたしはため息をつく。
「いいよ、ハディ。続けて」
いくつもの宝石が巻き付けられるたび、だんだんと気分が沈んでくるのが分かる。
いくらこの身体を飾ったところで、あたしは何も持っていないのに等しい。
覚悟していたよりも、あたしの受け持つことになった責務は重い。
以前、カイルの後宮に集められた姫君達は、幼い頃からこの責務の重さに耐えるために育てられてきたのだ。
優雅な仕草と笑顔の裏で相手を伺い、素早く状況を把握する。
政治的手腕と蓄積された知識。
それが身分の高さというものなんだろう。
あたしを選んでくれたのはカイルだけれど。
こういう時は自分が取るに足りないものに思える。
そう思うと、涙があふれてくる。
不安とかそんなんじゃなくて、悔しい。
カイルのためにもっと何かを身につけていたかった。
「あの・・」
最後の仕上げに香油を取り出しながらシャラが尋ねる。
「もう、よろしいでしょうか?」
答えようとしたときに、ざわめきが聞こえた。
扉を振り返ったときに、ひざまづく女官が見える。
「皇帝陛下が、参られました」
突然、目元が泣きはらしてはいないか気になる。
広間に続く回廊で会うことになっていたはずなのに。
開け放たれた戸口にはカイルが立っている。
三姉妹が、平伏するのが分かった。
「カイル、どうして?」
「迎えに来た。着飾ったおまえを最初に目にしたいから」
言うと、カイルはまっすぐに近づいてあたしの手を握った。
「予想以上だな・・使節も見ほれるだろう」
そうして、あたしを大きな腕で抱きしめると、まぶたに口づけた。
触れた場所から暖かさが広がって、小さな疲れが消えてゆく。
力が満ちていくのが分かる。
頑張ろう、と思えた。
「あたし、頑張るからね」
ちいさな声でつぶやく。
カイルが不思議そうにあたしを見た。
もう一度、さっき聞いていた家系図を思い浮かべる。
その国の広さや特産物や、友好国や、ありとあらゆる詰め込みの知識。
大丈夫、なんとかなる。
「あまり使節に話しかけるんじゃないぞ」
カイルが潜めた声で言う。
「ぼろが出るから?」
「・・・皇帝がヤキモチを焼くからだ」
「なにそれ?」
あたしは思わず吹き出した。身体がすっと軽くなる。
カイルは目一杯真面目な横顔を見せている。
緊張をほぐしてくれたんだね。
うん、頑張れるよ。
つないだままの手に力を込める。
すぐに同じ強さで握りかえしてくる。
目が合うと、カイルが笑いかけてくれた。
おわり
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