ぷりんさん奥座敷にて30000番のキリ番のリクエストは「イルヤンカの眼のゆくえ」それはきっと作者さんにも永遠の謎かも知れません。


翳りゆく部屋


 あの人の心が欲しい。


 その小箱は手のひらにずしりと重い。
 まさかね、と薄く笑ってみる。
 まだほんの小娘だった頃に、父に連れられて訪れた神殿の奥で見たもの。
『人の心が操れるものだ』
 父王は苦々しげにそう言った。
『我が国の宝だ』
 そんな宝があるのなら、どうしてこの国は周辺の国々に隷属を誓い服従しなければならないの。
 幼い私は尋ねた。
 父の答えはなかった。
 神殿の奥の貴重な宝物と一緒に小箱は姿を消した。
『先祖伝来の品を失っても私は悲しくないよ、まだお前たち家族という宝があるのだから』
 皮肉なことに他国に差し出す宝物を失った後、祖国を生きながらえさせるために贈り物になったのは美しく育った娘たち。
 小箱の表面の彫刻を撫でる。
 繊細な模様。

 殿下が帰還されたと聞いた時、私の心は躍った。
 歓呼の声が城壁の外でわき上がっている。
 走って行って、戦車の上で颯爽と立つ殿下のお姿を目にしたいと思った。
 でも、「側室」の私にはそれは許されない。
 駆け寄り、抱きしめ帰還の口づけを与えられるのは「正妃」だけ。
 私は他の側室達と一緒に、薄暗い後宮のなかでただひたすらにお渡りを待つ。
 許可無くして開かれることのない後宮の門が軋みをあげて、荷車が運び込まれる。
 山になった雑多な戦利品。
 後宮の女どもで分けるがいいと、投げ与えるような言葉。
 早く殿下にお目にかかりたいと願いながらも、そのお姿を目にすることはない。
「一番身分の高い方が最初に選ばれるべきです」
 故国から付き添ってきた侍女の声がする。
 私は広間の中を見まわす。
 並ぶ女たちの顔は一様に暗い。
 殿下が凱旋するたびに、顔ぶれが増えてゆく。
 命乞いに差し出された女、親兄弟を殺された女。
 まばゆい黄金細工の品々は、そんな女たちの境遇を思い出させる。
 こんどはどのような娘が、ここに並ぶようになるのだろう。
 私は自信に満ちた足取りで、略奪品に歩み寄る。
 指を伸ばして、品定めをするフリをする。
 後宮一の女として、当然の権利のように。
 けれどこの積み上げられたものと、女としての私の間にどれくらいの違いがあるのだろう。
 殿下の関心は積み上げた石ころほどにもないというのに。
 身分や子を成したことや、そんなことは何ひとつ私を特別にはしない。
 私は後宮にいくらでもいる女の一人に過ぎない。
 
 あの人の心が欲しい。

 キラリと輝いたのは、懐かしい形。
 人の心を操れるという、『イルヤンカの眼』。
 その思いつきに、私は笑いだしそうになる。
 まさか、こんなところにあるはずがない。
 それでも、私は小箱を手に取った。
 人の心が操れるというのなら。
 どうしても手に入れたい人がいる。


 夜半に侍女が私を揺り動かす。
 押し殺した声で、私に告げる。
 殿下が新しい側室を迎えるらしい。
 またか、と思う。
 何人側室が増えたところで、殿下のお心は誰のものにもならない。
 新しい側室は、敵国の皇子の想い人。
 寵を一身に集めるほどの美しい女だと聞く。
 私は立ち上がり、知らずに心を操れる小箱を手に取った。
 それでは、殿下はもう今夜はそちらへお渡りになったのね。
 いいえ。
 侍女は首を振る。
 不自由ないように後宮に住まわせておけとの御命令だそうです。
 私は不安になる。
 新しい女を一度抱くと、殿下は興味を失われる。
 では、一度も抱かない女ならいつ興味を失うのだろう。
 胸が苦しい。

 本当に人の心を操れるの?
 あの人を手に入れることが出来るの?
 おまえは祖国から失われた『イルヤンカの眼』なの?

 震える指で小箱を開こうとする。
 かがり火に、暗い影が揺れる。

 あの方の心の中から、新しい娘を追い払えるの?
 あの方が常に見つめているどうしても手に入らなかったひと・・姉君を追い出せるの?

 私はあの方の視線が注がれるさまを想像する。
 私の名前を呼んで、腕を伸ばすのを。
 私はあの方の黒髪に指をからめながら、ささやく。
 どうか、お側においてください。
 いつでも、あなたのそばに。
 私を愛して下さいますね。

 指先が金具を弾き、そこに赤い傷を残す。

 あの人が欲しい。
 あの人のすべてが。
 あの人の負った傷の痛みも何もかも、この腕に抱きしめたい。

 傷から紅玉が盛り上がる。
 私はその表面に揺れる炎を見つめる。
 指先は炎と同じ熱を持つ。

 あの人の心が欲しい。
 私の名を呼んで、抱きしめて欲しい。

『人の心が操れるものだ』
 
 私はまぶたを閉じる。

 操られた心は、あの方のものだろうか。

 自嘲の冷たい微笑み。
 何一つ手に入れたことになりはしない。
 愛情無く与えられた戦利品のように、私は殿下の身体を抱くだけ。

 決別のために、私は炎に手をかざした。
 火の粉が舞い上がり、小箱は金の模様をきらめかせた。
 乾いた木がはぜる音を聞きながら、私は自分の身体を抱きしめる。
 焼けてゆく、儚い一時の夢。

 いつでもそばにいよう。
 お前を愛している。

 金の残像がまぶたに焼き付く。
 ゆらゆらと、一時の夢をあざ笑う。
 滲んだまぶたをきつく結びながら、私の中で暴れる思いを抑えようとする。
 そこにいる私が叫んでいる。


 私はあの人の心が欲しい。


            おわり    

      

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