バビロニアの掟
                  by千代子さん


 ヒッタイト王宮の客室で、ナキアの弟、トゥルグ・ニラリは悩んでいた。
「本当に姉上が人を操ってイシンサウラを殺させたのだろうか」
 犯人として皇帝の側室が捕まったはずが、また殺人がおきた。
 ――やっぱり皇太后さまが……
 王宮の中でひそひそと交わされる会話は、それもナキアが黒幕であることを指していた。
 トゥルグはそんな噂を聞いて、落ち着いていられなくなった。
 ナキアならやりかねない、と思えるからである。
 事実だとしたら国際問題である。いや、バビロニアの国家存続も危うくなるかもしれない。
「なんとかして姉上にお会いし、真偽のほどを確かめなくては…」
 そのためにはどうすればいいだろうか。
 皇帝ムルシリ二世は寵姫が行方不明になったことで、ナキアを王宮に軟禁してしまっている。これも一連の事件の背後にナキアがいることを示しているものではないだろうか。
 トゥルグは椅子に座ったまま、頭を抱え込んでしまった。
 いま、トゥルグの周囲にはバビロニアから同行した気心を許せる腹心の部下はいるが、なんといってもここは異国の王宮、地理も警備の様子も判らなければ動きようがない。
 ナキアの嫁入りに従って随行した者たちとも、長い年月顔を合わせずにいれば連絡のとり方も思いつかないし、第一、姉の侍女の一人一人を覚えているはずもないのであった。
 トゥルグはますます頭を抱え込んだ。
 手の出しようがない、そう諦めかけたとき、ふいに扉の外で訪う声が聞こえた。
 扉の近くにいた部下が対応し、何事か言葉を交わしていたが、とつぜん部下は舞い踊るようにしてトゥルグの足元に近寄り、
「ナキアさまお付きの侍女殿でございます!」
と告げた。
 トゥルグはまさに天命!と思いながら、侍女に部屋に入るよう命じると、そばにあったワインをカップに注いで一気にあおった。
 侍女は、お久しゅうございます、と前置きしてから、
「このたびのナキアさま軟禁につき、どうぞトゥルグさまから皇帝陛下へのおとりなしをお願いいたします」
と涙声で語るのだった。
 見れば、侍女は頭に白いものがちらほらと見え、揃えてついた手の甲には斑点のようなしみがいくつかあった。
 トゥルグはこの侍女に覚えがなかったが、おそらくナキアの乳姉妹か、遊び相手のおちょぼか、いずれにせよ幼い頃から苦楽をともにしてきたのだろうと推察できた。
 ひとつ頷いてから、
「それはわしも考えておった。が、ムルシリ二世陛下はイシュタルさまがお戻りにならなければ姉上の命はないとおっしゃっておいでだとか。それほどまでにお怒りの陛下のお心をとき、姉上にお目もじをお許し願うのは一大事ではあるまいか」
と素直に述べると、侍女は心得ていたようで、
「皇帝陛下におかれましてはイシュタルさまさえご無事でお戻りになられれば、ナキアさまをすぐにでもお返しくださると拝察いたします。ですからトゥルグさまにはナキアさまにお会いになられてイシュタルさまを開放されるようにとの旨、お伝えくだされば、と思われます」
「だから、姉上にお会いするにはどうすればよいのだ」
と、肩を怒らせるトゥルグに侍女は、秘策を練ってまいりました、とにやりとすると、
「ご無礼いたします」
と言ってトゥルグの耳に手を当て、そっと耳打ちした。

「皇帝陛下には寛大なご処置、感謝いたしております」
 トゥルグは玉座の間で床にひれ伏さんばかりにして頭を下げた。
 皇帝ムルシリ二世は寵姫の安否が気がかりで仕方がないといった様子を隠そうともせず、ナキアの弟であるトゥルグに冷ややかな視線を送っている。
「つきましては、姉ナキアへ面会の儀、なにとぞお聞き届きいただきたく…」
「トゥルグ・ニラリ殿下」
 冷ややかな皇帝側近イル・バーニの声が静まり返った玉座に響く。
「皇帝陛下はイシュタルさま行方不明につき、お怒りともにご心痛でございます。
 どうぞお引取りくださいませ」
「いいえ、陛下!」
 トゥルグは引き下がらなかった。
 祖国のため、姉のため、もはやトゥルグには怒りに燃えた皇帝の姿も眼中になかった。
 ――いまこそ、バビロニアの意地を見せるときでございます。
 ナキア付きの侍女に言われた言葉を頭の中で繰り返す。
 ――殿下はナキアさまの弟御。やれぬことはございますまい。
 トゥルグは目をつぶり、大きく息を吸い込んだ。
「いよぉっ!!」
 勢いよく目を開けると同時に、Y字ポーズで叫び、トゥルグは踊り始めた。
 どこからともなく、妙なる音楽が流れ出す。
 曲にあわせて身体を曲げたり伸ばしたり、脱ぎ捨てたマントの下から取り出した帽子をくるくると操り、トゥルグは中から何かを取り出した。
「はいっ!!」
 南京玉簾、鳩、薔薇の花を続けざまに出した後、トゥルグは扇子を投げ上げた。
「ほっっっ!!!」
 落ちてきた扇子を両手、鼻の先、片ほうだけ上げた足のつま先でそれぞれ掴む。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
 念を込めて叫ぶと、なんと扇子の先から水が噴射されはじめたではないか。
 一体水脈がどこにあるのか、水は絶えることなく、広間の明かりに照らされて虹まで見える。
「回転してご覧にいれましょーう」
 片足を軸にトゥルグが回り始めると、水は面白いようにうねり、煌いた。
 
 目くるめく光景に、座した一同が何も言えずぽかんと口をあけたまま呆けていると、トゥルグは肩で息を切らしたまま、
「皇帝陛下、私めの恥をもって、なにとぞ、お許しいただきたく」
とひれ伏した。
 
 皇帝が頷いたのは、やはり同情だったのだろうか。 

「殿下、ご立派ですわ。それでこそナキアさまの弟君でございます」
 柱の影で泣いている女官の存在に、気がついた者はいなかった。

                  (おわり)

     

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