少年H


「お前、暗いよぉ」
 赤い顔が目の高さでほとんど空になった缶を振りながら言う。
「そうですか?」
 相手は運動部の先輩だ。
 かしこまったまま、ぬるくなった液体を口に含む。
「ああ、暗い。イマドキの青少年がそれでいいのかっ!?」
 酔っぱらいはがっしりと肩を掴んだ。
「聞くところによると、氷室クン、すんごい失恋したとかっていうじゃないの?」
「失恋じゃないっす」
 振り払いたいのを堪えて氷室少年は応える。
「まあ、若いウチはいろいろ悩むけどな、他にいい女はいくらでもいるって」
 年齢は二つしか違わないのだが、酸いも甘いもかみ分けたようなしたり顔でうなずく。
「逃げた女のこと気にするよりよぉ、新しいトキメキに身をまかせるって言うのも大切なことよぉ」
 酒臭い息を吐きながら、酔っぱらいはうなずいた。
「そんなんじゃないです」
 氷室がそむけた顔を、先輩はがしりと掴んだ。
「そんなんじゃないならどんなんなんだ?」
「どんなのでもないです」
「ひっ、氷室クン!」
 酔っぱらいは真っ赤な顔のまま、青ざめた。
「もしかして、まだ捨ててないってんじゃないだろうな!?逃げた彼女に操立てて!」
 氷室はできるだけ穏やかに先輩の指をあごから外そうとした。
 しかし、顔をこすりつけんばかりに寄せると、先輩は大声で言った。
「捨ててないんだな!ヤバイぞ、それは!お前、いま死んだら妖精になっちまうぞ!?」
「なんですか妖精って!?」
 先輩は酒臭い息を氷室少年の耳に吹きかける。
「綺麗なまま死んじゃったら、妖精になっちゃうんだよぉ」
 そんな話は聞きはじめだ。
 氷室少年は、助けを求めるべく、『サッカー部戦勝祝パーティ会場』になっている汚い下宿間を見まわす。
 目にうつるのはどれも似たような酔っぱらいばかり。
 無理矢理引っぱってこられた一年生達は大半がケバだった畳に沈んでいる。
「誰が妖精になるんだぁ?」
 缶チューハイ片手に、新たな酔っぱらいが現れる。
「おお、こんどーちゃん!聞いてよぉ、氷室ちゃんったらまだ妖精なのよ」
「んだとぉ!?」
 酔っぱらい2号はすわった目つきで氷室少年を睨んだ。
「氷室よぉ、おまえ、それでサッカーが出来ると思っているのか!?」
「はあ」
 出来るとは思うが、相手は酔っぱらいだ。
 氷室は曖昧に応えると、また気の抜けたビールに口を付けた。
「・・・だめだ、氷室。今のお前は牙の抜けた虎だ!」
 酔っぱらい2号、またの名をフィールドの玉乗り師、近藤は高らかに叫んだ。
「お前が立派に男になるかどうかで、我が校のサッカー部の命運は決まる!」
「なんで決まるんですか?」
「考えてみろ!」
 近藤はアルミ缶をぺこりと握りつぶして宣言する。
「お前ってルックス悪くないんだから、暗ささえなくなれば、外見にだまされて女子マネが入る!」
「女子マネ!!」
 おおう、と、どよめきが起こった。
 てんでに飲んでいた視線が集中する。
「女子マネ、この甘やかな響き!」
 酔っぱらい一号が氷室の手にほおずりをした。
「いいすねぇ・・女子マネ!」
「お疲れさま!っとかって言うんだよなあ、女子マネ!」
「試合前に眼があったりなんかしたら、『ファイト!』って笑ってくれるんだろうな・・」
 しばしポエマーな空気があたりを漂った。
 青春まっただ中の酔っぱらい少年達は思い思いの夢を描いた。
「・・・女子マネ、欲しい」
「だからよ、氷室をなんとかな!」
「よっしゃあ!」
 数本の腕が氷室を床に押しつける。
「な、なにするんですか!?」
 ただならぬ雰囲気に氷室は抵抗を試みたが、酔っぱらい達はそれぞれにだらしない笑みを浮かべたまま氷室を見下ろした。
「氷室ぉ、いま大人にしてやるからな!」
「だ〜いじょぉぶっ!すぐに済むから!」
「や、やめてください!」
「ま、すぐによくなるって」
「いやです!」
 抵抗も虚しく、氷室のトレーナーがまくり上げられる。
「うわあああ!」
「まあ、待て」
 千鳥足のまま、近藤は立ち上がった。
「慌てるな・・氷室みたいな上玉をこんな場当たり的に大人にしちゃいけない」
「んじゃあ、どうすんのよ、こんどーちゃん!?」
「おりゃあ、女子マネといちゃつきたいのよぉ」
 近藤はにやりと笑った。
「だから、氷室クンを大人にするには上玉でないとだめなんだよな」
「上玉って・・?」
 近藤はジャージのポケットからくしゃくしゃになったチラシを引っ張り出した。
「ヒトミちゃん・・・」
「だ、誰なんです!?」
 むくつけき男達に押さえ込まれたままの氷室が顔を必死に持ち上げて訊ねた。
 こんな時に頼れるのはかろうじて正気を保っているのかも知れない近藤だけだった。
「ヒトミちゃんったら!『ピンク・キャッスル』の一番の!」
「俺、まだ一回も相手してもらったことない!」
「おうよ!眼には眼を!上玉には上玉を!」
 近藤はチラシの真ん中で微笑むヒトミちゃん(仮名)を氷室の前に突きだした。
「氷室、人間になってこい!」
「なに言って・・・」
「っしゃあ!今から行くぞ!」
 氷室の身体が浮き上がった。
 酔っぱらい達は氷室を担ぎ上げると、大騒ぎしながら安普請のアパートの戸口へと殺到した。
「や、やめて下さい、おろして下さい!!」
 身体をよじる氷室の耳に悪魔のささやき。
「ヒトミちゃんは・・・いいぞぉ?」

 なんでこんな目に。
 絶望する氷室の目の前に、ピンクの電飾が瞬きながら近づいてくる。


                              だから?

     

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