君が笑うとき君の胸が痛まないように


 戦いはすぐに終わった。
 それは戦と言うよりは小競り合いに近くて、こちらには怪我人も出た様子はなかった。
 並んだ槍の穂先に集められた捕囚たちは、みな口をひき結んで地面に座り込んでいる。
「いかがいたしましょう?」
 屈強な部隊長は困惑の表情で訊ねる。
「そうだな」
 見下ろせば、ろくな武器も持たない『反乱軍』はまだ成長しきっていない少年たちの寄せ集めだ。
「首謀者はいないのか?」
 部隊長は片眉を器用につり上げてみせた。
「いま、探しているところです」
 どうやら、煽動者は逃げたらしい。
「捕虜達をまとめて、首謀者を捕まえるまで閉じこめておけ」
 棒きれや投石で立ち向かってきた、痩せた少年達を見る。
「それから食事を与えよ」
 戦いの熱を昇華して切れていない兵士達が、槍の先でつつきながら敗残の者を追い立てる。

 天幕に戻ると、自然にため息が漏れた。
「本日は見事な戦いぶりでございました」
 湯を張った水盤を差し出しながら、キックリが言う。
「子どもを相手にしていたようなものだ」
 私は床几に腰を下ろしながら、自然にこぼす。
「それもろくに食べていないような者たちばかりだ」
「はい、ここいらの土地は痩せていますから」
 豊かな西方とは違い、帝国領の東側には険しい山脈と痩せた土地が広がっている。
 数代前に征服され帝国内に組み込まれた少数民族の間には、常に不満がくすぶっている。
 なにかと小競り合いが起こるのはいつもこのあたりだ。
「餓えるから不平もたまるのだろう」
 ヒッタイト帝国の版図は広い。
 隅々まで目が届くとは言い難い。
 くすぶる不満を一気に燃え上がらせるのは、政情不安を招こうという他国の潜者なのだろうか。
「陛下・・・」
 寝椅子に身体を伸ばしてまぶたを閉じた私の肩をキックリが揉みほぐす。
「陛下が常に皆のことをお心にかけておられるのを、あの者達は知りません」
 かけたところで、なんの手も打ててないのだから仕方がない。
 私は自嘲する。
 餓えた者には、私たちは都で法楽にふけっているように写るのだろう。
 責められても仕方がない。
 平和なオリエントを目指すと望んだところで、自国さえまともに治めることが出来ないでいるのだから。

 遠く都に置いてきたユーリを思う。
 女神とたたえられる彼女なら、そむく心を従わせることもできるのだろうか。
 私と共に歩んでくれるはずの女神。
 あの笑顔がどれだけ私を勇気づけてくれるのか。


「陛下・・・」
 気遣わしげに声をかけられたのは、いつのまにか眠っていたからだ。
「どうした」
 私は身体を浸していた居心地の良い夢からしぶしぶ顔を上げる。
「首謀者を捕らえたか?」
「そうではありません」
 落ちかけた灯りをかきたてると、キックリは応えた。
「ハットウサより早馬が着きました」
 私が口を開くよりも早く、木箱に収められたタブレットが差し出される。
「ユーリさまからです」
 私は飛び起きると、書簡を取り上げた。
 はやる気持ちで封を割ると、さしだされる灯りの下で貪り読む。
『カイル、元気ですか?』
 ねぎらいと気遣いの言葉が並ぶ。
 けれど私を勇気づけるための言葉は、かえって離れている辛さを思い出させるだけだ。
 一瞬の間に艶のある黒髪や柔らかな頬の輪郭を想い描き、私は焦燥に駆られる。
 こんな辺境で無力感にうちひしがれているよりも、愛しい女のそばで安らいでいられたら。
 指に馴染んだ肌や髪の感触が、いまだに皮膚の下で疼いている。
 すぐにも出立の命令を下したくなって、私はきつく目を閉じた。
 投げだすわけにはいかないのだ。
 私はかつてユーリに夢を語った。
 その夢の実現のためについてきてくれるユーリは、そんな私を許さないだろう。
 肩で大きく息を継ぎながら、私は書簡に目を通す。
 細かで長い文字の列。
『あまり焦らないで』
 まるで私の今の姿を透視するように、ユーリが言う。
『見込みのありそうな者を連れてきてください。
 ハットウサで学ばせましょう。
 そうすれば、やがては私たちに力を貸してくれるでしょう?
 カイルの理想の治世のために』
 ユーリの笑顔が浮かんだ。
 光を溜めた黒い瞳と淡い色の頬が、ほころぶ。
『カイルがそこに行って見聞きしたことは決して無駄ではないから。
 あたしたちが進んで行くためには必要な一歩だったと思うから』
 細い腕が、今にも私の肩にまわされる。
 甘やかな香りが鼻腔を満たす。
 歌うようなささやきが、耳朶にかかる。
『焦らないで、一歩ずつ進んでいこう。
 あたしはいつだってカイルを信じてる』
 まるで魔法のように私を幸福感が包む。
 無駄な道ではないのだと、子どものように安心する。
 少しでも、近づけたのだろうか。

 私は天が与えてくれた奇跡を思う。
 
 すぐには叶わない夢かも知れない。
 けれど、少しずつ近づいていける。

 私には女神がついているのだから。

                              おわり

       

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