目を開けて最初に君を見たい


 幸せな夢を見ていた気がする。
 幸せすぎて胸が痛む。
 醒めたくはないのに。

 それでも私は重いまぶたをこじ開ける。
 強い日差し、揺れる木の葉の陰。
 身体は重く、肌の上にはざらついた感触が残っている。
「それでは、陛下」
 横たわったままの老人に頭を下げる。
「うむ」
 老人は大儀そうに顔を上げもせずに肘から先を緩く振ってみせた。
 務めが、終わった。
 震える足で床に降り立ち、放り投げるように散らされた衣装を拾う。
 首筋が痛い。
 衣装を引き裂くようにはぎ取られたときについた赤い痕がそこには残っている。
 自分を惨めだと思ってしまえば、立ち上がることも叶わないだろう。
 だから私はひややかに胸を反らして、開かれた扉をくぐる。
「・・・姫さま」
 寝ずの番をしていたのだろう侍女が駆け寄ってくる。
「終わったわ」
 眩暈がする。
 この容赦なく照りつける日差しのせいだ。
 はやく自室に戻って一人になりたい。
 強く身体を擦り清めて、一人の寝台に身を投げだしたい。
 無言で私の手を取っていた侍女が慌てて床に伏せる。
 控え室の入り口から姿を現すのは、お付きを従えた中年の女性。
 王がくつろぐ寝所に先触れもなく近づけるただ一人の女。
 私は屈辱の姿のまま、床に膝を着く。
「おつとめ、ご苦労様です。ネフェルティティ妃」
 この太陽の焼けつく国で、王と同等の力を持つ王妃は、王に抱かれたばかりの私を見下ろす。
「陛下は・・・満足されましたか」
「・・・そうであれば嬉しいのですが」
 声が震える。
 髪や肌を滑る視線が、王と同じに私を犯す。
「はやく引き取られるがよい」
 女官の声が有無を言わせず命令する。
 蔑むように、言葉を投げつける。
「ティイさまが王に御用なのですから」
 私は金で買われた愛玩具に過ぎないのだ。
 唇を噛みしめて、震えながら膝退する。
 王妃と同じ高さで行動することは許されていない。
 従う侍女が嗚咽を漏らした。
 私のために泣いてくれているのだろう。
「泣かないで」
「でも、姫さま」
「私はね、夢を見てるの」
 私はもう一度、幸せな夢の中に遊ぼうとする。
「こうやって、まぶたを閉じてずっと」
 そうして務めの時間が身体の上を流れて行くのを待つ。

 柔らかな日差し。
 弾ける笑い声。
 流れる水の音。
 うっすらと瞳を開けば、のぞき込む姿。
 忍び笑い。
 とても気持ちよさそうに眠っておられた、と。

 それは毎日少しずつ色あせて行くのだけれど。
 侍女のすすり泣く声がする。
「ねえ、泣かないで」
 私が自分の境遇に気がついてしまうから。

「ネフェルティティ姫」
 ためらいがちの声が私を呼ぶ。
 柱の陰から、気弱な青年が覗いている。
「・・・殿下」
 私が王への貢ぎ物としてこの王宮に送り込まれて以来、この青年は私を「姫」と呼ぶ。
「なにか、悲しいことが?」
 壮健な父親に似ないひ弱な印象を与える青年は、おずおずと近づいてくる。
「悲しいこと?」
 私は顔を覆ったままの侍女を振り返り、首をかしげる。
 いまさら何を悲しむというのだろう。
 私の悲しみはここにはじまった訳ではないのに。
「父上がなにか・・」
 言ってから青年は顔を赤らめる。
「お召しだったのですね」
 王宮の端近に居室を与えられている私が、この中央廊下にいる理由など知れている。
 私は微笑もうとして顔を強張らせる。
 青年は私を見つめ、突然腕を伸ばす。
 胸に抱き取られて、私の視界はふさがれる。
 筋肉のつかない細い腕が何かを思い出させようとする。
「私はあなたを妻に欲しいと父上に申し出るつもりです」
 青年は早口で囁く。
「母上は反対しているが・・・私はあなたを愛しているのです」
 青年の腕の中は、この国で調合された香で満ちている。
 王のものと同じ香り。
 いつも私を息苦しくする香り。
「両陛下はお許しになるでしょうか?」
「許してもらいます・・・それに父上はもうお年だ」
 青年が腕に力を込めると、私は窒息しそうになる。
「次に王になるのは私です。母上とて逆らえるはずがない」
 そうして、私も逆らえるはずがない。
 私はこの国に買われた所有物なのだから。
「私はあなたを王妃にしたい」
 私はまぶたを閉じる。

 まぶたの裏には、輪郭を失いかけた故郷の姿。
 優しい風、私の名を呼ぶ声。
 額にかかる髪を払う指。
 いつまでも見ていたいと思った夢。

「ネフェルティティ姫」
 それは私の名前なの?
 まるで別の人のよう。
「嬉しい」
 私は微笑む。美しい顔で。

 故郷の夢は少しずつ私を見捨てる。
 だから私は微笑むしかない。

「私を王妃にしてくださいますのね?」

 夢から醒めろと誰かが言う。
 そこに私をのぞき込む姿はない。
 私は醒めたくはないのに。


                            おわり
 

        

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