パワフル・クッキング
by 希鈴さん
恐ろしいことを、聞いた。
それは、真夏の昼下がりのこと……。
最近、ユーリは夏ばてからか、元気が無い。
執務中もユーリが心配で、苦い顔のイル・バーニを振り切って、何度か様子を見にいったのだが……。
「ああ、あっつぅい……」
ユーリの部屋の扉の前で、わたしは耳を澄ましていた。
「ユーリさま、果物でも召し上がりますか?」
「ううん、いい……」
扉の隙間から中をのぞくと、ユーリと三姉妹たちが見える。
ぐったりと椅子に身を沈めているわが妃。少しやつれた様子に、色気を感じるな。
「それでは、水浴びなどなさっては?」
おお、それはいい、今すぐわたしと水浴びをしよう!……そう言って中に入ろうとしたときだ。
「ユーリさまのお国では、夏をどうやって乗り切るのですか?」
そうたずねたのは……おそらくシャラだ。
「えーとね、日本では冷房とか扇風機とか……ああ、涼しくなる道具ね、そういうのがあったからなぁ。あとは……そうだわ!」
ユーリの声が急に元気になった。ここからでは見えないが、おそらく瞳を輝かせていることだろう。
「ねえハディ、土用の丑の日って、いつ?」
「は? ドヨウ? 牛の日ですか? ……明日は神殿に牝牛をおさめる日ですが?」
「じゃ、明日でいいや! 明日は、この暑さを乗り切るための料理を作るからね!」
「ええっ!?」
「この頃、カイルも夏ばてぎみらしいし。あたしの料理で元気になってもらわなくちゃ!」
……わたしはそっとその場を離れた。
どさ。
力なく、執務室の椅子に座り込む。
『ニッポン』の風習とやらは、どこまでわたしを苦しめるのだろうか……。
「陛下、どうかなさいましたか?」
イル・バーニがたずねる。やめてくれ。もう、聞いてくれるな。
「お顔の色が悪いようですが。暑い日が続いておりますからな、夏ばてですか?」
「いや……夏ばてなどしていない!」
「へ、陛下、大変です!!」
おそらくわたしと同じくらい青い顔をして、キックリが入ってきた。
「ユーリさまが……ユーリさまが……『うな重』をお作りになるそうです……」
「『ウナジュウ』とは何だ、キックリ?」
やめてくれ、イル。聞きたくない……。
「ユーリさまの故郷では、夏ばて防止のために食べるものだそうです……」
「明日の食事は必要ありませんな、陛下?」
平然と言ったイル・バーニを、これほど憎らしく思ったことはない。
翌日、水槽とその中でうねうねと動く、見たこともないものがユーリに届けられた。
かなり遠方からきたのだろう、わたしが知らない魚なのだから。
しかし、この炎天下の中にもかかわらず、少ない水の中で元気に泳いでいる。
黒光りして、にょろにょろと長い。魚というよりは、ヘビに近いのではないか?
「ああ、これこれ! これで夏を乗り切りましょ!」
ユーリは水槽を覗き込む。
「なんだか、ヘビに似ているな……」
わたしがぼそりと言うと、ユーリは嬉しそうに『うなぎ』とやらをつかんだ。
身をよじって逃げようとする『うなぎ』。
「きゃっ、イキがいいわ! これで夏ばてなんかふっとぶからね、カイル!」
わたしは夏ばてなどしていない!
昨夜、寝台の上でわたしが夏ばてなどしていないことをわからせたつもりだったが……あれでは足らなかったのか?
「それじゃ、厨房かりて料理してくる! 夕飯はまかせてね!」
うなぎの水槽とともに去る、ユーリの後姿。
今すぐ駆け出していって、引き止められるものなら……。
胃が痛い。そればかりではない、頭も痛い。いや、もう下腹部まで痛むような気がする。
いま、わたしの体は夏ばてよりも深刻な状態だ。
……あの、にょろにょろしたものを、食べるのか……。
「ユーリさまは、うなぎを開いて、切って、串を刺していらっしゃいました。それから、なにかの液につけて、焼いていらっしゃいました」
「液とは、なんだ?」
「こっそりハディにきいたら、なんでもユーリさまがお作りになった、『秘伝のタレ』だそうで……」
ああ。キックリに様子をみてこい、などと言わなければよかった。
「とくに毒は持っていないそうですから、陛下」
イル・バーニは、ヘビのように冷たい目で言う。
同じようなセリフを、何度か聞いた気がするな……。
「今日の執務は、これで終わりですな」
ああ、その一言は聞きたくなかった!!
「おまたせ〜!」
ほかほかと湯気があがったそれを、なんと形容すればよいのだろう?
まず、こげ茶色になったうなぎが、切り開かれた形のまま、わたしの目に入る。
ああ、せめてこまかく切ってあれば……もとの姿を思い出さずにすむものを。
その下には、湯がいた麦が敷き詰められている。
ぱらぱらとふりかかっているものは、なんだ?
「あ、これ? お塩なの。本当は山椒なんだけど、手に入らなかったから」
『サンショウ』がなんなのかはわからないが、塩ならば安心だ。何もあるまい。
「さ、食べて!」
恐る恐る、箸(ニッポンのものを食べるときは、必ずこの2本の棒を使わされるのだ)を入れる。
湯がいた麦は、ぼそぼそと口の中で動く。だが、これは予想できた味だ。
「カイルったら、うな重なんだから、うなぎも食べてよ」
「ああ……」
うなぎを箸でつかむ。
ああ。なぜこんなときに限って、原形が残っているのだ。
ユーリが焼いたパンやイモは、いつも真っ黒だ。
もとの素材がわからないくらいに焦げているならば、これほどの勇気は必要ないのだが……。
恐る恐る、うなぎを口に入れる。
……うっ……。
「どう? カイル」
「ああ……元気がでそうな味がするよ」
覚悟はしていた。焼いてあるものならば、いつもどおり炭のような味に耐えればいいだけだと。
だが、今日は違う。……生焼けだ。
こげ茶色に見えたのは、焼きすぎではなく、『秘伝のタレ』の色なのか?
それに……妙に甘い。そして、上にふりかかっていた塩がしょっぱい。
「いつもね、パンでもなんでも、焼きすぎちゃうみたいだから。今日はかまどにつきっきりで見てたのよ」
「そうか……ありがとう」
生の魚の味と、甘さと、しょっぱさのおりなすハーモニーが、口の中で暴れ回る。
「もりもり食べてね! まだいっぱいあるから!」
わたしは決心した。
来年からは、「夏ばてした」などと決して口にすまい。
おわり
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