彼の残したものは

                          by千代子さん


「初めてお会いした場所から、やり直せればと思います――」

 そう言い残して、ウルヒは自らの命を絶った。
 死の間際、初めてナキアを抱きしめた。しかし、世に言われる悪行の限りを尽くした身で、いまさら感情に浸るような男ではないことは、ナキアが一番よく知っていた。
 十四のとき、自分を連れて逃げて欲しい、と自制心も見得も何もかも捨てて訴えたナキアの声を、すがるような思いで差し出した手を振り払ったのは、ウルヒ自身であった。
 それが今更、なぜあんな言葉を残したのだろうか。
 ナキアは、見張りを置かれた離れに監禁されていた。
 昼間の御前会議でカタパの神殿への生涯幽閉も決まった。
 もはや、望みは絶たれたといってもいいほど、ナキアは孤立し、生きてゆくのも億劫に感じられるのに、最後のウルヒの言葉だけが頭に焼き付いて離れなかった。
 人が死に臨んでの最後の言葉は、何にも増して重いものではあるけれど、ウルヒがいくらナキアを愛していたからといって、死にゆく身でそんなことを言っても無意味であるのはよく判っていたことだろう。
 それなのに、何故あんな言葉を残したのだろう。

 ――初めて会った場所から、やり直せれば……

 ナキアは何度も頭の中で、その言葉を反芻した。
「初めて会ったのは……」
 十四のとき、皇帝主催の宴で、貴族出身の側室たちよりも下座だったのが悔しくて飛び出し、泣きに逃げたときだった。
 あのときはそう言ってごまかしたけれど、本当は情けなかったからだった。
 卑しくもバビロニアの王女である。その自分がどうして新興国の皇帝に媚び、その妃たちよりも頭を下げねばならないのか。
 バビロニアがあのようなことになってさえいなければ、こんな屈辱は受けなくてもいいはずだった。
 そんなとき、ウルヒに出会った。
 身分の低い神官だというのは、すぐにわかった。
 けれど目と目があった瞬間、すぐに通じ合うものがあった。

「会ったのは王宮内の泉だが……」
 そこに何があると言うのだろうか。
 あの泉の上には、いまは新しい神殿が建ってしまった。
 あのころの面影を残すものなどないはずである。
「なぜあんなことを……」

 ――初めて会った場所から……

 まさか……
「わたしに泉へ行けということか!?」
 ウルヒのあの言葉は、感情から出た言葉ではなく、泉へ行けとの暗示であったのだろうか。
「…………」
 部屋の中には見張りの兵が二人いるだけである。
 ナキアは、隠し持っていた小壺を取り出した。
 蓋を開けると、中にも回し蓋がついている。
「…うっ! 痛い!!」
 使い古されたものだが、ナキア腹を抱えてうめいてみせた。
「陛下! どうされました!?」
 兵たちが駆け寄るその隙を見て、ナキアは壺の中の液体を焚かれた火にくべた。
 とたんにもあっと煙があがり、その煙を吸わぬよう鼻を抑えたナキアに対し、無防備な兵たちは煙を吸ってしまった。
 とたんに、兵たちは踊り始めた。
 どこからともなく、妙なる音楽も聞こえてきた。
 その音に気がついて、外の見張りの連中が扉を開けて入って来た。
「おい、どうした……」
 言う間もなく、煙を吸って踊りだしてしまう。
 最後に入って来た一人が異変に気がつき、皇帝陛下にお知らせを、と走ろうとしたそのとき、ナキアは薬を仕込ませておいた針のついた指輪で、勢いよく兵の首筋を叩いた。
 薬が効いたのであろう、兵は報告に上がることをやめた。
 そうして、その兵までも踊りだしてしまったではないか。
 その間に、ナキアはそっと扉の外へ出る。
 物陰に隠れて様子をうかがっていると、何人かの兵たちが見張りの交代のためだろうか、こちらへやって来るのが見えた。
 そのうちの一人が、ナキアが出た扉が開いているのに気がついた。
「おい、渡殿の扉が開いてるぞ!!」
「なんだって!!」
 仲間の一人が確認のために走り出そうとしたそのとき、後ろから手が伸びてきて、喉元に何かが当てられた。
「こ、皇太后陛下」
 兵は、緊張した。
「裏門の扉をおあけ!」
 兵は、喉元に明らかに薬を仕込まれていると思われる針が当たっているのを見て取った。
「声を立てるでない。……この針には題して『誰でも踊りだしたくなっちゃう! ウララ・ウララ・ウラウラよ♪ この世はわたしのためにある!!』という薬が仕込まれておる。
針を喉に突き立てられたくなかったら、扉を開けよ!」
 兵は一瞬にして固まった。
 恐れ多くも皇太后陛下である。その彼女が声色を作ってまでそんなことを言うものだろうか。
 そうして、ナキアはまんまと脱出に成功した。

「ここだ!」
 そこは昔の面影など無くしているが、確かにあの泉だった。
 ここでウルヒと初めて会ったとき、彼は水の中で踊っていた。
 ナキアもバビロニアにいた頃は、天下無双の舞姫と言われたこともあるほどの舞い手であった。
 その血が、互いの目があった瞬間に燃え上がり、目と目があった一瞬でそれを悟りあったのだろう。
 さらに目を凝らすと、壁の一部が少しばかりずれている。
 ナキアは衣服が濡れるのもかまわず泉の中へ入っていった。
 壁は、動いた。
 中から幾重にも布で包まれたものが出て来た。
 取り出してあけてみると、それは……
「こ、これは……!! 半被ではないか!」
 かつてユーリが故国から着てきたもののなかで、どうしても欲しいものがあった。
 それが半被だった。
 これを着て、きりりと鉢巻を締め、太鼓のひとつでも叩いたらきっと楽しく踊れるに違いない。
「そうか……そういうことか……!」
 ナキアは、悟った。
「もう一度初めからやり直して、わたしに踊りの頂点を極めよということか!」
 ヒッタイトの皇統を支配することは出来なかった。
 しかし、この稀有な半被さえあれば、『ヒッタイト踊りの会』を我が物にすることは出来るかもしれない。
「そうとも! ウルヒよ!! わたくしたちに終わりはない!!」
 ナキアが高笑いを浮かべているその頃……

「カイル……この兵たちは一体……?」
 ユーリは踊り狂う兵たちを見て、呆然としていた。
「……皇太后の仕業だろうか……」
 カイルも首を傾げるばかりである。

 ヒッタイトは、かくして平和であった。

      ちゃんちゃん♪

       

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送