ぶくぶくサマー



 夏休み三日目。

 今日は多忙を極める私たち皇帝夫婦にとっては最後の仕事がない日だ。
 明日からは容赦なく目の前に書簡が積み上げられ木簡が飛び交うのだろう。
 だから、今日という日こそはのんびりと過ごしたかった。
 だがしかし。

「ぶごごごごご・・・」
 目前で黒い頭が水没した。
 私は慌てて水に沈んだマリエを引きあげる。
「大丈夫か?」
「ふにゃあ」
 半分目を回しながらマリエが私の腕にもたれかかる。
「ダメみたい」
「手をつないでいたときはちゃんと浮いていたではないか」
 足の動きもいいし、そろそろ大丈夫だと思って離したのだが。
「ううん・・」
 涙目になっているマリエのまわりを縦横無尽に水しぶきを立てて泳ぎ回っているのは二人の息子。
 もっとも、自分の意思で泳ぎ回っているデイルとは違ってピアはまっすぐに進めないだけだろうが。
「焦らなくてもゆっくり練習をして」
「だってとおさま、明日からお仕事でしょう?」
 誰に似たのか負けず嫌いのマリエは頬を膨らませる。
「だからマリエは泳ぐの」
 私のいる前で泳げるようになりたいと言うことか。
 それとも私と一緒でないと練習したくないとか。
 どっちにしても良いことだ。
 ヒッタイトの皇女ともあろうものが、軽々しく人前で泳ぐようではいけない。
 軽々しく皇妃は泳いでいるようだが。
「ユーリ!!」
 視界の端を掠めた姿をすかさず捉えて声を上げる。
 息子達が盛大に水しぶきを上げているのに我慢できなくなったようだった。
 水面に水泡が浮かび上がり、やがて濡れた頭がぽっかり現れる。
「えへへ」
「なにがえへへだ」
 私はユーリの姿を見て、深くため息をついた。
 泳ぐときには厚手の服を身につけるように口を酸っぱくして言う。透けないためにだ。
 しかしユーリは泳ぎにくいからと水着とかいう妙に露出度の高い服を身につけたがる。
 脚が丸見えだぞ!?
 池のある中庭は家族以外の者が入って来られないようにしてあるとはいえ、もう少したしなみというものを身につけた方がいい。
「だって気持ちいいんだもん」
 上半身をぷかぷかと浮かべてユーリが笑う。
 気持ちが良いのは分かっている。しかし、その姿はちょっとどうかと思うぞ。
 いや、見晴らしは悪くないんだが。
「かあさま、競争しようよ!」
「しようしよう!」
 はしゃぐ息子達に引っぱられてユーリもはしゃぐ。
 どっちが子どもか分からないな。
「マリエも」
「マリエは自分で浮かぶようになってから」
 つまらなさそうに頬を膨らませた顔はますますユーリに似てきた。
 不意にマリエの瞳がきらきら輝き出す。
 振り返ると乳母に抱えられた末っ子が水面に手を伸ばそうとしているところだった。
「だめよ、シン!シンは大きくなってから!」
 つんと澄まして言うのが可笑しくて吹き出す。
 今年も休みをのんびりゆっくり過ごすってわけにはいかないか。

 泳ぐだけ泳いだらお昼寝タイムだ。
 女官達が大きな扇で送る風の中、子ども達はすやすやと寝息をたてている。
 ユーリは私の腕に凭れてそれを見守り、私はユーリの湿った髪に指をからませる。
「たくさん遊べて満足かな」
 不意にユーリが小声で言った。
「普段あんまり構ってあげられないから」
 明日からの責務を思ってか、表情が引き締まる。
「あたしたち寂しい思いをさせているんじゃないかな・・・」
 ユーリの髪を撫でつけながら、私は首を振った。
「私は父上や母上とはこんなふうに遊んだことはないぞ」
 お二人とも政務で忙しかったし、父上の家族は私だけではなかったのだから。
「さっきの子ども達の様子を見ただろう?きっとみんな満足しているよ」
 ユーリの頭が黙って腕に押しつけられる。
 私たちは無心に眠る小さな姿を眺める。
 息子達は大きくなればそれぞれ宮を持って独立するだろう。
 マリエもよそへ嫁ぐ日が来るだろう。
 いつまでこうやって揃って過ごすことが出来るのだろうか。
 私はユーリの身体を強く抱きしめる。
「カイル、どうしたの?」
「子どもはすぐに大きくなるな」
 私の言いたいことが分かったのか、ユーリはくすりと笑った。
 たちまち柔らかい唇が頬に押しつけられる。
「子ども達が大きくなったら、二人っきりでのんびり過ごそうね」
 そう、焦ることはない。
 これからだっていくらでも長い時間を二人で過ごしていけるのだから。

 私はユーリに回した腕に力を込める。
「とりあえず」
 耳朶に熱く囁きながら。
「今すぐ二人っきりになろうか?」
 ユーリが真っ赤な顔をして頷いた。


                             おわり

      

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