そよ風とわたし



 女の子の夢って、やっぱり、アレでしょう?
 わたしはいつだって夢見る乙女!


「まあっ!イル・バーニさま!ご覧になってください!」
 わたしは歓声を上げて馬から飛び降りた。
 そこにあるのは赤い河。
 今は乾季だから普通の濁った河だけど。
「ハ・・・ハディ・・・は河が好きなのだな」
 多少青ざめて息を切らしながら、イル・バーニさまも馬から降りられる。
 ちょっと飛ばしすぎたかしら?
「大丈夫ですか?」
「・・・大丈夫だ」
 イル・バーニさまったら、必死で背中を伸ばしたりして・・・ふふっ、かわいい!
 わたしは河のそばの崖に向かって歩き始める。
 本当は海が良かったのだけど、ヒッタイトに海はないし、広がる白い砂浜が欲しかったのだけど、赤い河の岸はこんなに切り立っているし。
 でも、大丈夫、二人の愛があればそこがパラダイス。
「風が気持ちいいですわね〜」
 髪が風になぶられる。
 イル・バーニさまは少しまぶしそうな顔をされた。
 もしかして・・・見とれている?
 わたしは頬が赤くなっていくのが分かった。
 『お局様』なんて呼ぶ人もいるけど、わたしは本当は純情可憐なのよ。
「いやですわ、そんなに見つめられては・・・」
「赤い河は浸食河川の特徴をよくあらわしているな」
 シンショクカセン・・・なにかしら?
 でもイル・バーニさまは素敵にクールな視線であたりを眺めている。
「素晴らしい」
「そうですわね」
 こうやって二人でいるからなおさら景色が美しく見えるのね。
 私たちは寄り添い合ってしばらくの間、アナトリアを渡る風を感じていた。
 黙っていても、分かり合えるなんて・・・やっぱりお互いが運命の人だから?
「・・・なにを考えておいでですか?」
 イル・バーニさまはふっとわたしのほうへ視線を向けると微笑まれた。
「アナトリア高原は洪積台地だという説があるが、私はむしろ隆起地勢だと思っているのだが、ハディはどう思う?」
 ハディ、と呼ばれて私の胸は高鳴った。
 王宮での身分違いから、イル・バーニさまはいつもわたしをそう呼ばれるのだけど、ここで二人っきりでいるとその言葉が優しく感じるのは・・・気のせい?
「イル・バーニさま・・・」
 胸の前で指を組み合わせて、その知性溢れる顔を見上げる。
 皇帝の懐刀と呼ばれる方を、わたしは今独り占めしているのだわ。
 そう思うと、幸せで胸が潰れそうになる。
 でも・・・これ以上を望んでしまうわたしって・・・強欲なのかしら?
 いいえ!
 女の子はいつだって夢を見てみたいの!
「イル・バーニさま、お願いがあります!」
 わたしは勢い込んで言った。
 小石を拾い上げて酸化鉄の発色について話していたイル・バーニさまは驚いた顔をされる。
「・・・願いか?」
「聞いて下さいます?」
 イル・バーニさまは少しだけ首をかしげられた。
「炎色反応は酸化物には効果はないのだ」
「そういうことではありませんの」
 今こそ、子どもの頃からの夢を叶えるとき!
「イル・バーニさま、お願いです!わたしと追いかけっこをして下さい!」
 女の子の夢、それは波の戯れる真っ白なビーチを恋人同士ではしゃぐこと。
 『うふふふ・・・・』
 『こいつぅ!待てぇぇぇっ!』
 裸足で追いかけっこ。
 不意に大きく跳ねるしぶきに立ち止まる。
 『つ・か・ま・え・た!』
 『きゃっ!』
 後ろから抱きすくめられる。やがて重なるシルエット・・・・。
 これよっ!
 これは永遠の乙女の夢!
 青く輝く海も真っ白な砂浜もないけど、私たちの目の前には赤い河と切り立った崖がある!!
「・・・追いかけっこ・・・ハディが私を追うのか?」
「いいえ、イル・バーニさまがわたしをつかまえて下さい!」
 わたしはきっぱりと言う。
 もう!分かってらっしゃるくせに、わざとイジワルなことおっしゃるのね?
 わたしはイル・バーニさまに背を向ける。
 今日はそのためにわざわざ真っ白なワンピを着てきたのよ。
 やっぱり波打ち際には白、よね?
「イル・バーニさま!わたしをつかまえて!!」
 言うとわたしは大地を蹴ってスタートを切った。
「待て、ハディ!」
 イル・バーニさまが息を切らしておられる。
 立ち止まりたいけど、すぐにその腕に飛び込みたいけど、それじゃあダメ。
 手に入れるのがたやすい女だなんて思われたくないから。
 わたしはハッティ一の韋駄天(仏教に出てくる足の速い神さま)だもの!
「うふふふ〜つかまえて〜〜〜っ!」
 スピードを上げる。
 今、私は風の中にいる。
 髪が後ろに流れていく。
 耳のそばにはあの方の声?
 幸せ・・・。
 わたしは空と大地の祝福を受けながら両腕を大きく振って走って行く。
 こんなに気分がいいなんて!
 今、世界はわたしたちのためにあるのね!
 やがて息が上がってくる。
 さすがに苦しくなって、わたしは速度を落とした。
「イル・バーニさま?」
 振り返ると、そこには広大な赤い土地が広がっている。
 いつしか日も傾いていた。
 どれくらいの時間走っていたのかしら??
 つい楽しさに夢中になってしまっていた。
「イル・バーニさま?」
 もう一度呼びながらあたりを見回す。
 ・・・いらっしゃらない・・・。
「本当に・・・」
 わたしはため息をついた。
「恥ずかしがり屋さんなんだから」
 あの切れ者のイル・バーニさまのこんな面を知っているのはわたしだけ。
 また幸せな気分になりながら、わたしは来た道を引き返し始めた。


                     おわり

     

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