禁断
 
                             by希鈴さん
 
 ―――闇の中にいた。
 わたしはひとり、洞穴を歩いていた。
 骨まで凍えるような寒さ。リュートを持つ手に感覚は無い。
 なぜか裸足だった。ごつごつとした岩の上で、一歩進むたびに切り傷ができてゆく。
 
 ……行かなくては。
 何のために?
 愛しい者に、再び会うために。
 そうだ。わたしは、ユーリを取り戻すために来たのだ。
 愛する我が妻。帝国もわたしも、ユーリなくして進むことなどできない。
 冥界の神、ネルガルにユーリを生き返らせてくれるよう、頼むのだ。
 
 生者を拒むように、絶え間なく吹きつける風に、かすかに血の臭いが混じっている。
 時折、風の音に混じって聞こえるのは、亡者の泣き声なのか。
 
 洞穴を抜けると、河の前に出た。
 ネルガルに会うためには、河を渡らねばならない。
 わたしは渡し守に、向こう岸に渡してくれるよう頼んだ。
 渡し守は、首を横に振るばかりだった。
 そこでわたしはリュートを弾いた。
 亡き妻、ユーリへの想いをこめて……。
 渡し守は涙を流し、舟にわたしを乗せてくれた。
 
 ユーリ、どこにいる?
 やっとおまえを迎えに来れた。
 何度目だろうか? いなくなったおまえに肝を冷やしたのは。
 連れて帰ったら、今度こそおまえを離さない。 
 
 歩くうち、獣の吼える声がした。
 これが冥界の魔獣か。
 わたしの視界をふさぐほど大きな体を揺らし、鋭い牙をむいたとき、わたしはまたリュートを奏でた。
 みるみる魔獣はおとなしくなり、うなだれた。
 獣にも、わたしがユーリを愛する気持ちがわかったのだろうか。
 
 こんなに暗い、寒々としたところに、おまえはいるのか。
 遅くなって悪かった。
 おまえは怒っているだろうか?
 それでも顔を見れば、「会いたかった」と抱きついてくれるだろうか?
 
 ふと気がつくと、ネルガルの前にいた。
 誰に言われたわけでもないが、これこそが冥界神なのだとわかった。
 わたしは懇願した。
 ユーリを返してくださいと。帝国とわたしは、ユーリを必要としているのだと。
 わたしはユーリを亡くした悲しみをリュートの音に託し、必死に訴えた。
 その想いが通じたのか、ネルガルはユーリを返してやるといった。
 ただし、条件があると。
 生者の世界に行き着くまでは、決して後ろを見てはいけないと。
 おまえの後ろには、もうユーリがいる。
 このまま振り向かず、去るがよいと……。
 
 わたしは何度も礼を言い、ネルガルと別れた。
 もと来た道を引き返す。
 やっと洞穴のところまで来ると、ユーリに話かけた。

「ユーリ」
「会いたかった」
「……」
「どうした? せっかくおまえを迎えにきたのに」
「……」
 ユーリは何も答えない。
 後ろに手を伸ばす。
 何も触れない。
 耳を澄ましても、ユーリの息づかいも足音も聞こえない。
「ユーリ、そこにいるのか?」
「……」
「なぜ、答えない」
「……」
 ユーリは本当にわたしについてきたのか?
 ネルガルは、わたしを騙したのではないか?
 後ろを見たい。だが、ネルガルとの約束がある。
「頼む。何か言ってくれユーリ」
「……」
 不安で胸が押しつぶされそうになる。
「ユーリ」
 わたしは思わず、振り向いてしまった。
 そこにあったのは、愛しいユーリの姿だった。
 やつれ、青白い顔をしていたが、わたしのユーリがいた。
「ユーリ!」
 ユーリは力なく微笑むと、首を振った。
 その瞬間、ユーリは洞穴の奥に消えてしまった。
 見えない力で、引っ張られるように。
「ああ……!」
 ネルガルは、わたしを騙したりしなかった。
 なぜ、振り向いてしまったのだ。
 ユーリ。ユーリ。
 戻ってきてくれ。
 ユーリ!
 ユーリ―――! 
 


「ユーリ……!」
 自分の叫び声で目が覚めた。
「夢、か……」
 全身にじっとりと汗をかいている。
 あたりはまだ暗い。
 眠れぬ夜が続き、やっとまどろむことができたと思ったら、あんな夢を……。
 

「死んだ者を生き返らせようとは、わたしも愚かだな……」
 人間の命には、限りがある。だからこそ、尊い命なのだ。
 生死を覆そうとすることは、神の領域に踏み込むことになる。
 人間に許されない、禁断の領域に。


 わたしはかつて、二度も禁を破った。
 ひとつは、異世界から来た人間を……還すべき人間を、この世界に留めたこと。
 そして、慣例を無視し、その人間を正妃にしたことだ。
 ユーリが正妃となる前に私は言った……。
『おまえと愛しあうためなら、天にそむいてもこわくはない』と。
 その報いがきたのか。愛する人が自分の前を去っていった苦しみが、天からくだされたのか。

 夢でさえも、幸せなひとときを与えてくれない。
 それならばいっそ眠らず、ずっとユーリを想っていればいい。
 想い出とともに生きることしか、わたしには残されていないのだから。



 雲の隙間から、光がさしている。
 もうすぐ夜が明ける。
 また、おまえのいない一日が始まる。

「ユーリ」
 答える者がなくとも、わたしは繰り返す。
「愛している……」


                         おわり

       

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