火宅の花嫁 <四>
by千代子さん
4 若嫁探偵は、アレキサンドラのこと
「あなた、あなたったら、起きてよ!!」
アレキサンドラは家へ帰り着くなり、二日酔いが尾を引いて寝てばかりのジュダをゆすり起こした。
「二日酔い 頭がんがん 鐘が鳴る…」
まだ寝ぼけているためか、わけのわからない短歌を詠むジュダの頬を二、三回びたびたと叩きながら、アレキサンドラはまず落ち着くために茶を一口喉に流した。
「なんだって言うの、アレキサンドラ…」
なんとか布団の上に身体を起こして梅干の酸っぱいのを口に放りこんだジュダは、よろよろしながらアレキサンドラが差し出すお茶を飲んだ。
「落ち着いて、聞いてね」
目を細めて苦しそうなジュダの顔を覗き込んで、アレキサンドラはごくりと唾を飲み込んだ。
「犯人が、わかったの」
「犯人?」
「ミッタンさんを殴った犯人よ。…やっぱり、彼だわ」
「石屋のシュバスさんだろ?」
「違うわ…これからワナを仕掛けるから。きっと引っ掛かるはずだわ…」
ニヤリと笑うアレキサンドラに、ジュダは思わず二日酔いの辛さも忘れてぞくりとした。
「こんにちはぁ」
盆栽屋あゆみ屋の暖簾を押し上げて入ってきたのは、一見して玄人筋の上にたったいま髪結いから出てきたといわんばかりに鬢付け油のにおいをぷんぷんさせた日本橋の芸妓、花千代だった。
「へい、おいでなさいまし」
ゾラが応対に出て、揉み手しながらひとつひとつの鉢に説明を加えていく。
「そぉねぇ、梅のいいのはあるかしら? まだ季節じゃないから花はムリでしょうけど、鉢はあるわよね? 見せてくださらない」
媚びた上目遣いで、花千代は迫った。
「いまの時期に梅ですかい? 一体どうなさるおつもりで?」
うぶなのか、ゾラは少し顔を赤らめながら奥から鉢を持ってきた。
「いえね、今晩うちのお座敷でお祝い事があるものだから、その引き出物にでもと思って」
枝の調子を眺めながら軽く流すように言う。
「お祝いでござんすか、よろしいですね」
「ええ、あ、ほら、お宅のご主人のミッタンさまを殴った犯人が見つかったお祝いですって。ミッタンさまのご贔屓だった鴫吉姐さんがそれはそれは喜んで!」
「…え?」
「浅草の呉服屋のご主人がお仲間うちをそろえてお開きになるのよ。番頭さまもいらっしゃるんでしょう?」
花千代は動揺し始めたゾラの顔を横目で見ながら、なんのことはない顔をしてけらけら笑った。
「それはよろしゅうございました。わたくしなどがそのような晴れがましいお席へのこのこ出かけていけません。どうぞ皆々さまによしなにお伝えくださいまし」
あら、そう、と花千代はあっけなく言うと、お代を払って梅の鉢を抱え、暖簾をくぐって出て行った。
「どうだった? 花千代ちゃん」
あゆみ屋の玄関が見えるもの影で、アレキサンドラは花千代を手招きした。
「ばっちりよ♪ ちゃんとアレキサンドラちゃんが言ったとおりにしてきたわ」
アレキサンドラは、ミッタンを殴ったのはゾラだと確信していた。
そのために花千代に頼んで一芝居うってもらい、ゾラを座敷に引きずり出そうとしたのだ。
アレキサンドラひとりでは丸め込まれてしまうのは目に見えていたから、多くの目があればゾラも大きな口は叩けまいと思い、ユーリにも頼んで今日の席を用意してもらった。
「で、アレキサンドラちゃん、その手に持ってるのはなに?」
風呂敷包みに包んであるのを指差して、花千代は不思議そうに訊ねた。さっきはそんなもの持っていなかったはずだ。
「これは、後でわかるわ」
アレキサンドラは大事そうに風呂敷包みを撫でた。
「そう…あ、そうよ、アレキサンドラちゃん」
花千代は手を差し出した。
「?」
首をかしげるアレキサンドラに、
「盆栽のお代」
と掌をひらひらさせる花千代に、アレキサンドラはこれが江戸の芸妓堅気か、と涙を呑みながら銭入れを取り出した。
加納屋の座敷はいつになくひっそりとしていた。
その中を、黒い影がそっと音を立てずに進んでいく。
やがて一間、ほのかに灯りのついた部屋の襖をそっと空けると、中に誰もいないのを不信がったのかそっと足を差し入れた。
その瞬間、襖がぴたりと閉ざされ、いっせいに灯りがもたらされたと思うと、
「やっぱり番頭さん、あなたがミッタンさんを殴った犯人だったのね」
との声に振り返った黒い影――ゾラは、いつの間にか自分の背後に現れたアレキサンドラに驚いて言葉もないらしかった。
「もう言い逃れできないわよ、番頭さん」
アレキサンドラは傍に寄ってじろりとゾラを見据えた。
「もう何もかも判ってるのよ。大人しくお奉行所へ行ったほうがいいわ」
自ら名乗り出れば多少なりと受ける罰が軽くなるかもしれない。
「番頭さん!」
アレキサンドラが歩み寄ったとき、ゾラはそれまでの固い表情を一変させて声高くせせら笑った。
「奥さん、またあなたですか。今度はなんです? お奉行所へ行けだのなんだと、結局あなたはわたしを犯人に仕立て上げたいだけだ」
「いいえ、あなたが今日ここへきたことが一番の証拠よ。どうして来たの? 犯人が誰になったのかってことを見たかったからでしょう?」
「…………」
「…気になるひとは沢山いたわ。石屋のシュバスさんは小奴さんが好きだった。小奴さんはミッタンさんに惹かれてたし、だからシュバスさんが恨みでやったのかとも思った。でもシュバスさんはそんなことするひとじゃないって判ったし、小奴さんにミッタンさんを取られたって噂があった鴫吉姐さんもそんな根性の狭いひとじゃなかった。
それにあなたはミッタンさんはお座敷で大騒ぎしていたって言うけど、実際は鴫吉姐さんを相手にお静かだったって言うじゃない。そんなことをごまかすなんておかしいわ。あなたはなにかを隠してるってことよ。
だからあなたしかいないの。ミッタンさんを殴って殺そうとしたのはあなたなの!」
「…そこまで言うなら証拠を見せろ。まさか苦し紛れにもここにおれが来たことだとか言わないよな? そんなのはミッタンさんを殴った犯人が判ったって言うからそのお礼だよ。番頭として、当然のことだろう」
「判ったわ」
アレキサンドラは手に抱えていた風呂敷包みを解いて、ごろりと畳の上に転がした。
中から出てきたのは煤のついた薪だったが、まだ燃えきっていないものだった。
「あゆみ屋さんの裏のお台所から見つけたの。これ、ななかまどよね? ななかまどは七回焼いても燃えないほど固い木なのよ。これならミッタンさんの頭を殴っても割れないし、それに木だから燃やしてしまえば証拠隠滅だと思ったんでしょうけど、お生憎さま!」
ゾラは転がったななかまどの煤けた薪を手にとってわなわな震えたかと思うと、アレキサンドラの腕をむんずと掴んだ。
「なにを…!?」
アレキサンドラは必死に抵抗しようとしたものの、女のか弱い力では出来ず、抗ううちにゾラの腕が首に巻きついてきた。
「悪く思うなよ、知りすぎたおまえが悪いんだ」
ぎりぎりと締め付けられながら、アレキサンドラは力を振り絞って腕を外そうとしたが、発狂した男の力にはかなわない。
「…どうして…どうして、ミッタンさんを……」
息が苦しくなってきた。アレキサンドラの脳裏を、死の文字がかすめた。
「…おれのものにしたかったからさ」
吐き捨てるように呟いてから、ゾラはさらに腕に力をこめた。
「あうっ……!!」
「世間知らずな奥さんがこんなことしようなんて考えるからだ」
いや、死にたくない、とアレキサンドラは力を振り絞って身を捩った。
頭が爆発する、と思った瞬間、アレキサンドラの瞼にジュダが映った。
――あなた…!
「悪く思うなよ」
ゾラが最後とばかり腕に力をこめた、そのとき、
「アレキサンドラ!!」
と叫びながら、襖を押し倒して小柄な影がゾラ目掛けて突進してきたのを合図に、どやどやとひとが入ってきてゾラを一瞬のうちに取り押さえた。
アレキサンドラは思いのほかぐったりしてしまい、差し伸ばされた腕にすがってその場にへなへなと蹲ってしまった。
「大丈夫、アレキサンドラちゃん!?」
「お姉さま…」
声から察するにその腕はユーリらしく、締め上げられた首を気遣いながら血の流れが戻るよう擦ってくれていた。
「アレキサンドラ、大丈夫か!?」
どうやら始めに突進してきたのはジュダだったようで、ゾラに突き当たったあと逆に弾き飛ばされて部屋の隅まで転がってしまったようだった。
「遅いよぉ…約束じゃもっと早く来るはずだったじゃない…」
涙目になりながらアレキサンドラは夫を睨んだ。
もともと、アレキサンドラがゾラに犯行を吐かせたあとでジュダや応援を頼んだカイルたちで犯人――ゾラを取り押さえるつもりだったのだ。
「ごめんって…ちょっとごたごたしてて…」
いつもと違って静まり返った加納屋を不信がった別の客たちが玄関に押し寄せてきていたので、そのために大きな騒動は起こせなかったのだという。
「でも、これでゾラさんは言い逃れできないわ。ミッタンさんの件で逃れようとしても、あたしを殺そうとした事実があるんですもの」
「うん」
両脇をジュダとユーリに支えられてようやく立ち上がったアレキサンドラは、カイルやカッシュに押さえ込まれたゾラを見やった。
「すぐにお縄にしてやっからな。よくもミッタンをあんな目にあわせやがって」
ミッタンの一番の親友を語るカッシュは、興奮を抑えきれず肩で息をしながらゾラの腕を押さえている。
アレキサンドラはようやく自分の息が元に戻ったのを確かめながら、これでようやく全てが終わったと思った。
あとはミッタンの回復を祈るしかないが、快方に向かうことを信じている。
「さぁ、立つんだ」
男たちに腕を捕まれたまま引き上げられたゾラは、なよなよとした足取りで二、三歩進んだが、突然、大声を上げて腕を振り解くと、脱兎のごとく中庭に逃げた。
「いまさら悪あがきはするな!!」
カイルやルサファらが追いかけたが、ゾラはその場にいた女を抱え込むと腰に潜ませておいた短剣を抜いて首筋に当てた。
「やめて、関係ないひとを巻き込まないで!!」
アレキサンドラが思わず叫んだその瞬間、ゾラが身体の位置を変え、人質になった女の顔がくっきりと明るい光の中に浮かび上がった。
「お義母さま!?」
もしかしたら、アレキサンドラとユーリは二人同時に同じ言葉を叫んでいたかもしれない。
それは紛れもなく、姑ナキアであった。
「なななな、なんでお義母さまがここに!?」
「母さま!!」
ゾラはこちらの騒ぎに気がついたのか、願ってもない人質を得たことを喜んでいるようににやりとすると、
「おれがここを去るまで誰も動くなよ。動けばこの女の命はないぞ」
と唾を飛ばしながら叫んでいる。
「お義母さまを助けなきゃ。ね、あなた」
ジュダの着物の袖を引っ張りながら、アレキサンドラはどうにかしてナキアを助けねばならぬと頭の中で策を巡らせた。
「カイル……」
さすがにユーリも同じ気持ちと見え、カイルの傍で唇をかみ締めている。
「判った。ここは動かないから、人質を…」
カイルが意を決して歩み寄ったとき、
「甘いわぁ〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」
と言う声とともに、なにかが殴りつけられる音が響き、そしてそのあとでなにか叩きつけられたような音がした。
一同、何がおきたのか判らないまま恐る恐る近寄ってみると、ナキアが白目をむいたゾラの上に馬乗りになり、胸倉を掴んでしきりに声高く罵っているではないか。
「おまえなどがわたくしを人質にとろうなんざぁ、百年早いわ!! ええ? 判ったか? 判ったなら返事をせぇ!!」
ゾラの身体をゆさゆさと揺さぶりながら鬱憤の限りを晴らしているように見えるナキアに驚いて、しばらく誰も何もいえなかった。
ユーリがようやく気がついて、
「お義母さま、もう止めてください!!」
と止めに入ってもナキアは、
「根性がたるんでるのじゃ。悪事を働くときは完全犯罪にせねばならないのは常識じゃろう! まったく、近頃の若いもんはなってないのぅ」
と口を休めようとはしなかった。
白目をむいたゾラは座敷に引き上げられ、ようやく人心地が戻ったときは観念したらしく、まるで塩に塗れたなめくじのように大人しかった。
「どうしてミッタンを殺そうとしたんだ?」
ナキアを酒を用意した部屋に置いてきたアレキサンドラが部屋に戻ったとき、ちょうどカイルがそんなことを聞いていた。
「店目当てか? ミッタンがいなくなれば、あの大店を自分のものにできると思ったからか?」
枕もとに腰を降ろしたカイルの向かいに座っているジュダの隣にアレキサンドラも落ちつき、ゾラの口元に集中していると、
「…違う」
と、か細い声が聞こえた。
「違う?」
ゾラは小さく頷いて、しばらくためらっている様子だったが、意を決したらしく布団の上に置いた手に力をこめて、
「私はお店が欲しかったんじゃない!! ミッタンさんが欲しかったんだ!!」
と叫んだ。
「え!?」
アレキサンドラは思いも寄らないゾラの告白に目を丸くさせてしばらく二の口が利けなかった。
「ど、どういうこと!? だってあなたは、この料亭であんなにどんちゃん騒ぎしていたじゃない!! あれはお店が手に入る前祝だったんでしょう!?」
先ほどのナキアではないが、アレキサンドラは身を乗り出していまにもゾラの胸倉を掴まんばかりに迫った。
「…あれは…嬉しくて……ミッタンさんがようやく、おれひとりのものになったと思うと嬉しくて、いても立ってもいられなかったんだ…」
だってミッタンさんはいつでも優しく声を掛けてくれるし、おれのためにご飯も作ってくれたし、夜遅くまで仕事が終わらなかった日は泊っていけとまで言ってくれたんだ、とゾラは堰を切ったように叫んだ。
「芸妓なんかにとられるなら、いっそのことああすれば、永遠におれのものになると思ったから!!」
赤裸々に語った犯行の動機であったが、座した者の誰も言葉がないまま、やがて奉行所の役人が来てゾラを引き立てていった。
「…あたし、男の人同士ってはじめてよ」
ゾラの姿が見えなくなった頃、アレキサンドラが誰にともなく呟くと、傍にいたジュダは耳まで真っ赤にして一生懸命に首を横に振った。
数日後、アレキサンドラはユーリが届けてくれた菓子折りを居間でこっそりと開いて生唾をごくりと飲み込んでいた。
これはミッタンの全快祝いと事件解決の礼だと言って、あゆみ屋の第二番頭がユーリの家に預けてくれたもので、それをそのままアレキアサンドラが貰ったものだった。
「だって一番の立役者だもんね」
ユーリにそう言われるとアレキサンドラは照れを押さえるために無気味な笑いをしてしまった。
その菓子折りはアレキサンドラの大好物の寅屋の羊羹だったから、こっそりひとりで食べるつもりで、こうして誰もいないのを見澄まして開いているのだが、包みを開くといい匂いがするこれをこの後どこに隠そうかしら、と考えていたそのとき、
「おお、これは美味そうじゃのう」
とアレキサンドラの背後から手が伸びてきた。
「お義母さま!!」
振り返れば案の定ナキアで、まだ切り分けていない大きなままのを掴むと、一口で口の中に入れてしまった。
「ふむ、なかなか美味いのう」
むごむごとしながら全て平らげてしまったナキアは、満足そうに目を細めて、
「ちょっとお茶をいれておくれの。甘いものはのどが乾く」
とまったく悪びれた様子はない。
アレキサンドラは呆気にとられながらもだんだん悔しさが込み上げてきて、
「お義母さま!! 信じられませんわ、せっかくわたくしが頂いたものを!!」
と声を高くして罵ると、負けじとナキアも、
「なんじゃ、これはあのミッタンの事件の解決祝いに貰ったものじゃろう。あれはわたくしがいたからこそ犯人が捕まえられたようなもの。よって、わたくしがひとりで平らげてなんの不都合がある?」
と勝手な理屈をつける。
頭に血が上ったアレキサンドラは、
「お義母さまがあの場にいらしたのは、ホレムヘブの旦那さまと遊ぶお約束の日にちを間違えたからだと伺っておりますわ!! もうおトシなんですから、しょっちゅう暴飲暴食ばかりしてますと身体にガタがくるのが早くなりましてよ」
とここぞとばかりに攻めた。
「なぁんにを〜〜〜!?」
まさに取っ組み合いが始まろうとしたとき、
「待ってください!!」
と、ジュダが割り込んできた。
「あんまり喧嘩ばかりすると、おしおきですからね!!」
人差し指を立ててキメているつもりらしいが、嫁姑にはまったく効果がないと見え、ジュダは隅に押しやられてしまった。
もう、お義母さまったら、いくつになっても子供なんだから!!」
口を膨らませて拗ねて見せたアレキサンドラだが、こんな一日はつくづく平和だな、などと考えながら、中庭から空を扇いだ。
江戸は、今日も晴れている。
おわり
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