ただいま
もうすぐハットウサの城壁が見える、という場所であたしはアスランから無理矢理おろされて輿の中に追い込まれた。
「アスランに乗ったままでもいいのに」
ぶつくさ言うあたしにハディが済まなさそうに頭を下げる。
「申し訳ありません、市民が出迎えているので入城は輿で、と」
そんな堅苦しいことを言うのはイル・バーニね。
急ごしらえの仮設テントの中で服も着替えさせられた。
動きやすい旅装から、仰々しい盛装へ。
「さあ、出発しましょう。市民はイシュタル様の到着をいまかいまかと待ちわびておりますわ」
それだったらアスランでひとっ走りしたほうがさっさと着けるのに。
輿はしずしずとじれったいぐらいの速度で進む。
ハディもいつの間にか着替えて澄ました顔で並んで歩いている。
「ねえ、ハディ」
「お顔を出さないで下さい」
沿道に農夫が伏せているのを見てハディが小声で注意する。
垂れ布をおろして、あたしはため息をつく。
これだったら替え玉を乗せて、あたしが先にハットウサに戻るってこともできたはず。
退屈でドレスの裾を引っぱりながら、満面の笑顔を作ってみたりして。
この数日間で顔面に刻み込まれてしまった営業用スマイル。
地方視察で得たものは、この自分でもおかしいくらいの型にはまった表情。
あたしが見た限り、知事達は上手くやっているようだし、交易路もきちんと機能しているみたいだ。
『だからむしろ今回の視察の目的は、市民に皇后陛下の尊顔を拝謁させるというサービスみたいなもんです』
とは、イル・バーニの言葉。
尊顔って顔でもないんだけど。
カイルは目一杯渋い顔をして、あたしがわざわざ出向く必要はないだの、なんなら自分も一緒に行こうだの、ごねていたが、あっさり却下された。
元老院全体が不気味に愛想良く、あたし一人での巡回を取り決めたのだ。
『おまえはどうしたい?』
国事は三者の意見で決定される。
カイル対元老院。最後はあたしの意見。
『いくよ』
あの時のカイルの恨めしそうな顔。
いや、公認であちこちふらふらできるとか、ちょっと観光も良いかな?なんて不遜な考えはほんのちょびっとしかなかったのよ。
あくまでも国政の一環として、ね?
そして、やっぱり国政の一環だった。
連日の知事達の歓待、宴会、お立ち台での参賀式。
思い出しただけで顔が強張る・・・笑顔の形に。
「けっこう骨が折れたよね」
思い出してため息をつく。
「でも抜け出されたではありませんか」
ハディがまっすぐ前を向いたまま言う。
そりゃね、ちょっと・・よ。
せいぜい混み合った市を覗くくらいで。
あたしが来るっていうんで、たいていの街では付近の集落から人が押しかけてきていた。
『いつもの3倍の売り上げだよ、イシュタルさまさまだね!』
とは料理屋の亭主の言葉。
喜ばれるのはありがたいけど・・・。
「あんまり、日常生活に触れたとは言えないと思うんだよね」
「さようですか」
うん、そう。
「あ、ユーリさま、城門が見えましたわ!」
リュイが弾んだ声で言ったので、あたしは垂れ幕から顔を突きだした。
懐かしいハットウサの門が大きく開かれて、そのまわりは黒山の人だかり。
「あれって、全部ユーリさまのお迎えですよ!」
シャラが言うまでもなく、こちらを認めたのか歓声が聞こえてくる。
恐ろしいことに、あたしの顔はそれを聞くと反射的に笑顔になるのだ。
「ユーリさま、ユーリさまっ!」
あたしが自分のほっぺたを引っぱっていると、シャラがはしゃいだ声をあげた。
「皇帝旗ですわ!陛下がお出迎えに!」
「えっ!?」
もう一度顔を突きだすと、街道を見覚えのある戦車が走ってくるのが見えた。
神殿前でお迎えっていうのが正式らしいから、イル・バーニがよく許したもんだわ。
「下ろして!」
輿が地面に下ろされたころには、盛大に土ぼこりを巻き上げてカイルが到着していた。
「ユーリ!」
言うとさっさと垂れ幕をはね上げてあたしの身体を抱きしめる。
「よく戻ったな」
戻るのが普通なんですけど。
「うん戻ったよ」
何日ぶりかのカイルに抱きつきながら、あたしは営業用じゃないスマイルを浮かべる。
そう、この感覚よ。
堅苦しい宴席の後、ほっとする瞬間。
この旅行中、そんな時間が一度もなかったのよね。
そりゃ、顔も固まるわ。
「やっぱりカイルのそばがいいなあ」
言いながら見上げたカイルの顔は少しやつれたような・・・。
「あたしがいなくて寂しかった?」
「ああ、たいへんだったよ」
たいへん?
「子守りがな」
そうじゃなくて、もっと言うことあるでしょう?
「ふ〜ん、子守りね?」
唇を尖らせたあたしの前髪をカイルはくしゃくしゃとかき回した。
「おまえのいない間、とても寂しかったよ」
最初からそう言えばいいのに。
「あたしも寂しかったよ・・・公式訪問はもうこりごり」
カイルの嬉しそうな表情。
とりあえず、『公式』は、ね?
あたしの内心のつぶやきには気がつかずに、カイルは上機嫌で戦車にあたしを抱え上げる。
すっぽり腕の中に抱え込まれて、ようやく定位置に戻った気分になる。
「おかえり、ユーリ」
改まってカイルが言った。
動き出す戦車の中、まわされた腕にしがみつきながら、あたしは自然に笑顔になる。
「ただいま、カイル」
うん、やっぱりここが一番落ち着くね。
おわり
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