正義の味方はあてにならない


 人生最悪の日。
 万事休すってこんなことを言うんだよね。
 ボクは建物の陰で顔を膝に埋めた。
 耳をつんざくようなかあさまの叫びがもう聞こえる。
 怒るだろうな、かあさま。
「こんなところで何をしておる?」
 ・・・やばい、見つかった。
「男がいじいじと見苦しいぞ?」
 いじいじだってしたくなるよ。
「何か悩みがあるのか?話してみい」
 ボクはそろそろと顔をあげる。
 尊大に腕組みをしたおばあちゃんが立っている。
 結構難しい言葉知ってるでしょ?
 先生が言ったんだよね、『尊大とは皇太后さまのような態度です』って。
「壊れちゃったんだ」
 おばあちゃんは頭を振った。
「お前、それでは意味を成さぬぞ?主語が抜けておる」
 それはもっともなんで、ボクは握りしめていた手のひらを開いた。
 載っているのは綺麗に細工された耳飾り。
「ほう、これは・・・」
 おばあちゃんが目を細める。
「ジュダがあの嫁に結婚の折に贈ったものだのう」
「ちょっとだけ借りるつもりだったんだけど・・・」
 かあさまがこれをどれだけ大切にしているのか知っている。
 これをつけるのは大事な『記念日』にだけ。
 金の細い線でいくつもの宝石が繋がれていて、耳飾りはきらきら揺れる。
 ボクはそれを触ろうとして、いつも叱られた。
「壊れちゃったんだよ」
「壊したのだろう?」
 そうなんだけど・・・
「どうしよう、おばあちゃん?」
 かあさまはすごく怒るだろう。そして、もしかしたら泣き出すかも知れない。
 おばあちゃんは露骨に嫌そうな顔をした。
「おばあちゃんと呼ぶのはおやめ」
「だって、ボクのお祖母ちゃんじゃない」
「立場的にはそうでもな、世間が許さん」
「世間って?」
 だって、ボクはカルケミシュ知事ジュダ・ハスパスルピの息子で、おばあちゃんは知事の母親だって、みんなが知っているよ。
「私のようにいつまでも若く美しい女が『おばあちゃん』などと呼ばれては美に対する冒涜じゃ」
「・・・じゃあ、なんて呼べばいいの?」
 確かにおばあちゃんは美人かも知れないけど、若いっていうのは違うと思う。
 ボクはおばあちゃんのつるつるに塗り固められた顔を見た。
 かあさまが『化粧が濃い』ってぼやいてたなあ。
「そうだな、ナキアさまと呼べ」
「孫がナキアさまって呼ぶのってヘンじゃない?」
「構わん」
 言ってから、かがみ込んだおばあちゃんはボクの手のひらから耳飾りを取り上げた。
「これはバビロニアの細工じゃ。ジュダが作らせた」
 ジュダって言うのは、とおさまのことだね。
「バビロニアは私の故郷だ」
 ボクはうなずいた。
 おばあちゃんはすごく若いときにこの国にやってきて苦労したんだって。
 だからとうさまはおばあちゃんの住む離宮にバビロニア風庭園を造らせた。
「ジュダがこれを注文したのは本国の職人だが、私の宮にもバビロニア人の職人はいる」
「直せるの?」
「おそらくな」
「ほんとっ!?」
 ボクは飛び上がった。
 じゃあ、おばあちゃんのところの職人に直して貰えば、かあさまだって怒ったり悲しんだりすることはないんだ。
「早く直してよ、おば・・ナキアさま!」
 そう呼ぶとおばあちゃんはちょっとだけ不思議な顔をした。
「では、私の宮へ行こう」
「うん!」
 良かったぁ、日にかざしている間にふたつに折れてどうしようかと思っていたんだよね。
 おばあちゃんって、ボクにとっての救世主だ!


「無理です」
 バビロニア人の職人は平伏したまま言った。
「無理とは、直せないと言うことか?」
 おばあちゃんは椅子の上にふんぞり返りながら、やっぱり偉そうだった。
「はい、石のいくつかが欠けておりますので」
「そんなっ、困るよ!」
「しかし・・・」
 ボクは目の前が真っ暗になった。
 一度喜んだ分、ショックが大きい。
「石が欠けて無理だというのなら、石があれば直るのだな?」
 おばあちゃんが訊ねている。
「そうですが、これほどまでに上質な石はここでは手に入りません」
「ではどこで手にはいるのだ?」
「バビロニアか・・近くて海辺の都市でしょう」
 ああ、だめだよそんなの。
 またもや万事休すって気分になる。
 なのに。
「分かった、用意しよう」
 おばあちゃんはあっさりと言った。
「交易路を飛ばせば二日で手に入る」
 えええええっ!?
 ボクは驚いておばあちゃんを見た。
 なんでそんなにまでしてくれるの?
 だいたい、おばあちゃんってかあさまと喧嘩ばっかりしてるじゃない。
 かあさまが大切にしているものが壊れて喜びそうなのに。
 おばあちゃんはボクの気持ちが分かったのか、耳飾りを取り上げた。
「ジュダは幸せな結婚をしたな」
 それから、すっごく優しい目でボクを見た。
「あれは小さい頃からおいたなどはしなかったが・・・お前とは違って」
「おいたじゃないもん」
 ボクは頬を膨らませる。
 うん、やっぱりおばあちゃんはとうさまのかあさまなんだよね。
 なんとなく、おばあちゃんの気持ちが分かったような気がした。
「それにお前って呼ばないで、ジュダだよ?」
 とうさまと混じってややこしいけどね。
「ちびが生意気を言いよる」
「ちびじゃないってば」
 ほんのちょっぴり友達より小さいことは気にしてるのに。
 おばあちゃんは声をあげて笑った。
 そうしたら、目尻にちょっぴりシワが寄る。
 おばあちゃんに言ったら怒るだろうけど、ボクはそんなシワは素敵だと思う。
「しかし、ジュダと呼ぶとややこしいぞ?」
「宮のみんなはウルヒリン殿下って呼ぶけど・・・」
 ボクは考える。おばあちゃんがみんなと同じでは他人行儀過ぎないかな?
「じゃあ、ウルヒって呼んでよ」
「ウルヒ、か?」
 おばあちゃんは少し目を見開いた。
 そうすると、不思議なことにかわいい女の子みたいに見える。
「そうだよ、ナキアさま!」
 ボクだってそう呼ぶんだから、特別な呼び方でもいいよね?
「そうか、ウルヒか・・・」
 おばあちゃんはさっきよりもっともっと優しい顔になった。
 かあさまと言い合いをしているときと全然違うの。
「さて、ウルヒ、まだ問題は残っておるぞ?」
 おばあちゃんが手招きしたので、ボクはそばに近づいた。
 おばあちゃんは声をひそめてささやく。
「石が届いて耳飾りが元通りになるまで、どうやって母親の目をそらすか、だ」
 うっ、忘れてた!
 日にちがかかるんだよねえ。
 かあさまの金切り声がまたもやよみがえる。
 やっばいなあ。
「・・・どうしよう、ナキアさま?」
「さてね、私は修理の手配はしたぞ。あとはお前が考えるんだな、ウルヒ」
 おばあちゃんは、にぃぃっと悪者みたいな笑顔を浮かべた。
 そんなぁ、せっかく助けてくれるんなら、最後まで助けてよっ!
「頭は使わないと、ぼけるぞ?」
 おばあちゃんの高笑いを聞きながら、ボクは必死に考えようとする。

 いまのところ、救世主はまだあらわれてない。


                        おわり
  

     

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