恋慕

                                    by 千代子さん

「博士、お茶が入りました」
 先程から一心不乱に机に向かってなにやら構図を考えているらしい死神博士が好きなハーブティを入れて、水も弾けるような若く白い手をした助手はそれをそっと博士の傍に置いた。
 博士の机の前に開け放れた窓からは、庭の草木の匂いが風に乗って運ばれてくる。
 今朝見つけた名もない野草の可憐な花弁に露があったのとそのときの光景を思い出しながら、自然湧き上がってくる喜びを顔に出さないようにするためにも、助手は風ではらはらと捲れる博士のノートを押さえた。
 彼女が死神博士のもとに助手としてやってきたのはごく最近の話で、博士が人間をサイボーグとして蘇らせ、某国の皇帝陛下から絶大な信頼を受けたとの噂を聞いたのが始まりだった。
 もともと運命を感じやすいらしい質の彼女は、これこそ我が探し求めていた人生のお師匠さま、と思い決め、その日のうちに荷物をまとめ、博士の元に押しかけアシスタントとして居ついてしまったのだった。
 しかしそんな突発的な行動をとる彼女でも、さすがに押しかけるだけあって研究に向ける心意気は博士に負けず劣らず、だからこそ博士も助手になることを承諾したのかもしれなかった。
 助手は、露があるうちに朝の野花の写生をしておけばよかったかしら、と思いながら、博士が机の上で走らせているペンを目で追った。
「なにをそんなに根詰めておいでになられますの?」
 さしでがましいと思いつつ、助手は訪ねずにはいられなかった。
「これかね」
 博士は一息入れようと温かいハーブティを一口啜ってから、
「ほれ、ナキア御の例のモノじゃよ」
と溜息交じりに苦笑いした。
 ああ、ウルヒさまの、と言いかけて助手はさすがに若い娘らしく頬を染めて両手で顔を覆った。
 助手は耳元で鳴る自分の鼓動が大きくなっていくのを感じながら、昨日の昼過ぎ、中庭でナキア付きの侍女ヒネモスとの会話を自然と思い出していた。
 それはちょうど博士のためにお茶を入れてあげようという心つもりでハーブのよいのを摘みに行ったとき、土いじりをしているヒネモスと出くわしたことから始まる。
 助手はこちらから日和の挨拶をしてそばに腰を降ろすと、ヒネモスが植えようとしていた種の一つを手に取った。
「なんですの、これ?」
 この家に来て以来、博士のそばでいろいろと珍しいものを見て来た助手だったけれど、こんなにも奇妙な色と形をしたものは見たことがなかっただけにひときわ興味を注がれ、そんな様子に気がついたのかヒネモスは、
「あら助手どの、ご存知ですか、それ」
と笑いかけた。
 助手が首をふると、ヒネモスは声をひそめて、
「それはね、植えて大きく育った茎から男の方を楽しませる薬をとるのですよ」
とにんまり笑った。
 男を楽しませる薬、と聞いてもおぼこの助手には訳が判らず怪訝な顔をしていると、
「御寝所で使うものですわ」
とヒネモスがまた笑いながら教えてくれた。
 寝所で使うもの、と聞かされ助手は自分でも判るくらいに顔が火照りだした。
 男と女が一つ屋根のしたで暮らしていればそこに関係が出来るのは判っていたけれど、自分の身近にそういうことがあるとは思いも寄らないうかつさを悔やんだ。
 もちろんヒネモス侍女が手植えていればその相手はただいま博士宅に居候中のナキアとその愛人とされているウルヒ以外になく、助手は心の隅にひそやかな嫉妬を覚えた。
 ウルヒの話は以前博士から聞かされていたが、助手はウルヒがしてきた犯罪よりもその生涯が哀れでならないと同情したことを覚えている。
 が、しかし、と思いあたり、さしでがましいとは判りつつも、
「ウルヒさまはお治り遊ばされましたの?」
と問うた。
 博士のところにいる以上、博士がなんの研究をしているかも判っていれば、また某国の皇太后だったというナキアの居候の理由も判る。
 しかも理由が理由だけにこんなことを口に出すのは乙女の恥じらいに欠ける、と思いながら助手はどうしてもその誘惑には勝てなかった。
 ヒネモス侍女はしばらくじいっと助手の顔を見つめていたが、にやりと笑って身体を摺り寄せてきた。
「ここだけの話ですわよ?」
 声を潜めて、助手が頷くのを待ってから、
「ウルヒさま、今度は取れなくなってしまわれたのです」
「へ?」
「ナキアさまが無理にお付けあそばしましてね…いま博士に手術をお願いしているところなのですよ」
「無理に…?」
「ええ、それは無残なことで…」
 袖口を目に押し当てながら、ヒネモスはウルヒのふらふらが強力接着剤により取れなくなってしまったことを掻い摘んで話してくれた。
「まあ、それはおいたわしい…」
「でございましょう? ですから助手どもも、どうぞウルヒさまにお優しくしてあげてくださいませね」
 ええ、もちろんですとも、と助手がヒネモスの手を握り締めたとき、屋敷のほうからナキアが甲高くヒネモスを呼ぶ声が聞こえてきた。
 ヒネモスは仕方のない姫さま、と呟いて立ち上がり、
「いまのお話は二人だけの秘密ですわよ」
と唇に人差し指を押し当てて屋敷のほうへ小走りに駆けて行った。
 助手は、しばらくその場にじっとしゃがみこんだまま動けず、風になびく雑草をぼんやりと見つめながら、ウルヒの不憫さを思った。
 もとは北の王国の王族であったという彼がたどってきた道のりは、好きなことにのみ没頭してきた自分とはあまりにも境遇が違いすぎて、想像も出来ないほどの茨の道だったに違いない。
 毎日庭に出て花をいじっているウルヒの姿を見かけては、胸にほわりと暖かなものが浮かび上がっていた助手としては、いまはナキアの愛人であるとしてもウルヒが治ってくれるならなにを投げ出してもかまわない、とまで思えてしまえるのであった。
 昨日からそんなことばかり考えていたせいか、助手は博士の机の前で立ったままぼんやりとしていたらしい。
 助手があわてて空になったティーカップを下げようと盆に乗せたところ、博士がほっほっほ、と笑って机の上の一輪挿しにあった花を取り上げた。
「名もない花じゃがきれいじゃろう。実はこの花には毒があってな、花粉を吸い込むと人にはよくないのじゃが…それでも生きておる。一体なにが目的なのであろうな」
と、蕊を切り取ったから大丈夫だと言い、そっと鼻を近づけた。
 その様子をぼんやりと見ていた助手に博士は突然、
「おぬし、恋をしておるな」
ときっぱりと言った。助手は驚いて二の口が利けないでいるのへ、
「たとえ相手がどんな犯罪者であろうと、どんな不具な者であろうと、大事なのはこちらの気持ち次第じゃ。毒のある花でも好いておる者はたんとおるわ」
と笑い、
「恋をしたならば気持ちを伝えるのが一番じゃ。黙っておれば想いも募ろう」
と助手に花を手渡した。
「でも…気持ちを伝えるって…どうやって…?」
「なんじゃ、そんなことも知らんのか」
 茎をもじもじと弄ってうつむいたままの助手に、博士はにんまりと笑った。
「古今東西、愛の告白はラブレターに決まっておるのよ」

 翌朝、決まった時刻に庭に出てきては草木に水をやるのが習慣となっているウルヒを、助手は草陰で待っていた。
 まだ朝日が昇って間もないから、陽は鋭いが細くまぶしく助手の目を射る。
 じっと草陰でいまかいまかとウルヒが来るのを待っている助手の耳に、耳慣れた足音が聞こえてきた。
 そっと振り向けばそこにはじょうろとスコップを持ったウルヒがエプロンをかけて立っており、助手に気がついたらしく軽く頭を下げている。
 助手ははっとして立ち上がり、小走りでウルヒに近寄ると、
「これ、読んでください!」
と言って夕べ一晩寝ずに書いた手紙を差し出した。
 そしてウルヒがそっと受け取るや否や、恥ずかしくて返事も聞かずに屋敷のほうへ走り去っていった。
 早く読んでくれないかしら、でも恥ずかしいな、と思いながら、それでも顔がにやけてしまうのはどういうわけだったろうか。
 それは助手自身にも判らなかったが、心は満たされていっぱいだった。
 一方ウルヒは、突然押し付けられたにも等しい手紙を持って立ちすくんでいた。
 とりあえず両手が塞がっているので、じょうろを手から離さねば手紙を開けることも出来なかったから、そろそろとしゃがみこんで手にしていたものを一旦おろし、そっと手紙の封を切った。
 封筒と同じピンク地に花の絵が描かれた便箋に細かな文字で連ねてあるそれをウルヒはじっと目で追った。
 そこには、助手の想いのたけが綴られてあった。


前略 ウルヒ・シャルマさま

 突然のお手紙でごめんなさい。あなたの過去は知っています。
 でも大丈夫、あなたは何の心配もしないでね。わたしはいつでも応援しています。
 だから、わたしがあなたの応援歌を作りました。
 わたしも研究室の四角い窓から見える空を眺めて歌います。あなたの眺めている空と同じ空です。
 一緒に歌ってください。

〜ウルヒさまへ捧げる愛の賛歌〜

「愛は勝つ」

心配ないからね 君のふらふらが 元通りになる 明日がきっとある
どんなに困難で くじけそうでも 信じることを 決してやめないで

carry on carry out
傷ついて 傷つけられて
仕える切なさに 少し疲れても
oh〜

もう一度 夢みよう 愛される喜びを知っているのなら

夜空に流星を 見つけるたびに 願いを託し あなたは泣いている

どんなに困難で くじけそうでも 信じることさ 必ず最後にふらふらら〜

carry on carry out
求めずうばわれて 与えてうらぎられ ふらふら失った
oh〜

小さくても足りなくても 元通りになる喜びは きっと大きいだろう

心配ないからね 君のふらふらが 元通りになる 明日はきっとある

どんなに困難でくじけそうでも 信じることさ 必ず最後にふらふらら〜

信じることさ 必ず最後にふらふらら〜


 ああ、なんと幸せなことでしょう。
 あなたと一緒に歌を歌えるなんて、こんなに嬉しいことはありません。
 わたしはいつでもあなたを想っています。
 どうぞ忘れないでネ!


                           あなたの心の友より



 ウルヒは、一通り目で追ってみたが、実のところなにが書かれてあるのか判らなかった。
 実はウルヒは文字を読むことすら忘れていたのだった。
 あとで博士に教えていただかなくては、と思うウルヒの脳裏に、さっきの女性は一体誰だっただろうか、と名前も知らない助手の顔がちらちらと浮かんでは消えていった。
 助手は、その後上機嫌で研究に励んでいるという。

                        おわり

      

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