雪花

                 by千代子さん

「ああ、寒い」
 ユーリは急ぎ足で王宮の執務室から続く後宮への渡り廊下を歩きながら、白い息を吐いた。
 息は鼻先でしばらく遊んでから、すっと髪を撫でてゆき、それを見ているうちユーリは、こんなに冷えるなら今夜は積もるかもしれないなと思った。
 昼過ぎから舞い降りてきた今年の初雪に子供たちは大喜びで、とりわけ上の息子二人は犬の子のように中庭を走り回ったあと、カイルにもっと雪を降らせてくれるようにねだりだし、その場に居合わせた側近をはじめ一同大笑いする一幕もあった。
 そんな子供たちを寝かしつけたあと、どうしても片さねばならぬ仕事があり執務室に篭っていたのだが、ようやくそれも終わってあくびをかみ殺しつつ寝室へ向かう廊下で、ユーリはふと立ち止まった。
 中庭に面した廊下の手すりに、昼間子供たちが作ったのだろう小さな雪うさぎがちょこんと置いてあり、去年自分が教えてやった雪遊びをよくも覚えていたもの、とユーリはそれを見るなり口元が綻んでゆく。
 急に立ち止まった皇妃に、付き従っていたハディはいぶかしみつつ先をうながし、それというのも寒い廊下にいつまでもたたずんでいるのは身体に毒、と考えたかららしい。
「陛下がお待ちかねでございましょう。お早くご寝室へ」
 落ちかけたユーリの肩のショールを戻しながら言上するハディの言葉に素直に頷いて、ユーリは雪うさぎももうすこしきれいに作る方法を教えてやらないと、と思いながら足を急いだ。
 
 皇帝の寝室はすでに灯りが落ちてから間があるらしく、ユーリはハディに手燭を貰って足音を忍ばせつつ中へ入った。
 今夜のように皇妃ひとりの残業などめずらしく、夕食後、ユーリは心配するカイルに先に休んでおいて、と頬のキスとともに告げておいた。
 ベッドに入ると、すっかり寝入っているのかカイルは身じろぎもせず、こちらに背を向けているままだった。
 ユーリは、カイルも疲れているのね、と思い、そのままにして自分も横になったが、なんとなく気になり、息を殺してカイルの寝息にじっと耳を傾けた。
 長年の呼吸で、ユーリはこれがカイルのたぬき寝入り、このあたしをからかってるのね、と気がつき、口元をほころばせた。
 ときどきカイルはユーリをからかってふざけるようなことをするが、今夜のこれは誘いをかけているに違いない、と思い、ユーリはふっくらした胸をそっとカイルの背に押し当てた。
「ねぇ、カイル、こっちむいて」
 肩に手をかけて囁いてみたが、カイルは寝たふりし続けている。
「カイルったら」
 耳朶をあま噛みしつつ艶をこめてみるが、それでもカイルはまだ続けるつもりらしい。
「ねえ、ダーリン」
 うなじに唇をあて、腰を絡めつかせてもカイルは微動だにしない。
 ここで顔を覗き込んではゲームも終わってしまうと心得て、ユーリは薄布で拵えてある夜着を肩から滑らせた。
「ね、カイル、こっち向いて。いいことしよ」
 疼き始めた情熱で起き上がった胸先をカイルの背に押し付けて、ユーリは両手を広げてカイルに抱きついた。
 いつも眠るときは裸の、カイルの逞しい胸板をまさぐっているうち、大きな手にわが手をとられ、指先に舌の感触を感じて、ユーリは小さく声を出してくすぐったそうに笑った。
 指先から始まった舌の愛撫が手首、二の腕をたどり鎖骨から胸の先をぺろりと舐めたとき、ふたりは自然に抱きあうように向かいあっていた。
 ユーリはカイルの頬を両手で包み込みつつ、瞳をじっと覗き込んで、
「今夜はあたしの勝ちね」
と言ってから鼻先にキスをした。
 カイルも別に悪びれることもなく、くすくす笑いながら夜目にも白いユーリの足を軽く持ち上げ、ゆっくりと傲慢に指先を動かして熱を持ち出した身体の中心を探り始める。
 たちまちのうちに荒くなるふたりの息遣いに室内は満たされ、降りしきる雪の中でそればかりが響いているかのようだった。

 情事のあと、ユーリは思わず身震いするほどの寒さを覚えて、片手で腰の辺りにかけられていた掛け布団を引き上げた。
 カイルの胸に顔をうずめてうつらうつらしていたのに、どうにも寒くて目が覚めたのもそれもそのはず、外ではだいぶ雪も積もったらしく部屋の中にもわずかに入り込んできていた。
「…寒いか?」
 引き上げられた布団を二人の上にかけるのを手伝って、カイルはしがみついてくるユーリを少しばかり力をこめて抱きしめなおした。
「ううん、大丈夫」
 寸分も離れている肌がないようにと思ってか、密着してくるユーリの髪をなでてやりながら、カイルはなんとなく昔を思い出してふっと笑った。
「カイル?」
 その笑った仕草が不思議で、ユーリがぼんやりと目を上げると、優しい瞳の色のカイルと視線がぶつかった。
「なに、笑ってるの?」
 額に唇を受けつつ、まぶたの重さを感じながらユーリもつられて笑った。
「あのころのことを思い出していた」
「あのころ?」
「わたしが皇太子だったころのことだ」
「…え?」
 なにかあったかしら、とユーリが怪訝な顔をするのへ、カイルはおかしくてたまらなぬというように声をかみ殺しながら笑うので、ユーリは眠気も覚める思いで、
「なによぉ、ひとりだけで可笑しがっちゃって」
と唇を尖らせた。
 カイルは一息呼吸を整えてからユーリの背を撫で、額にキスしたまま、
「あのときのおまえに比べれば今夜はずいぶんと誘うのも上手になったと思ってね」
「あのとき…?」
「確か…ああ、そうだ、ギュゼルが皇太后に操られて隠し子騒動を起こしたころだったな。あの夜もおまえはさっきみたいにわたしに身体を摺り寄せてきたろう」
「…え……あっ…!」
「思い出したか?」
「だ、だって…あのときは…」
 あのころは、まだカイルも皇子の宮に居住しており、ユーリもおぼこのままで身体は重ねあわずとも純粋に愛しあっていた時期であって、あの日は湯殿で酔ったカイルがユーリを抱きかけたものの、理性に歯止めされてそのまま出て行ってしまったのであった。
 その夜、ユーリは娘の純潔さと期待を込めてカイルへ愛を伝えようとしたけれど、結局その夜もふたりは関係を持つこともなく過ごした。
 そのころのことをユーリは、よくも純粋で臆病だったもの、と恥ずかしくも思い出しながら、カイルの手をまさぐりあてて指を絡めた。
「あのとき、カイルったらすぐに寝ちゃったのよね。あたしひとりに寂しい思いをさせて」
 カイルはユーリが口を尖らせるのを笑いながら見つつ、ユーリの小指を口に含み軽く歯を立てている。
「『皇子ったらなんて酷いひと』って思ったもの」
 その言葉にはしんじつ本音の響きがあって、カイルは可笑しくてたまらなくなり、ユーリを抱えて声を出して笑い始めた。
「なにを言うんだユーリ。酷いのはおまえのほうだろう」
「なんでよぉ」
「あのとき、おまえはこうして…」
 言いながらカイルはユーリの手首を掴んで、自分の身体のあちらこちらに触れさせた。
「カイル…!?」
 胸に触れさせ、空いたもう片方の手でユーリを引き寄せ唇を重ねているうち、どちらからともなく足を絡めたのは自然のなりゆきだった。
「わたしがどれほどおまえをこうして抱きたかったか、判らなかったろう」
 息継ぎの間も惜しそうに荒い息の中呟いたカイルを受け止めながら、ユーリはあの夜はあたしだってこうしたかった、と思いつつ言葉にならぬ声を上げた。
 音もなく降りしきる雪の寒さもやがてふたりには関係なくなり、視点も定まらず見降ろした先に、ユーリは自分を見上げるカイルの愛情に満ちた瞳を見つけた。
 両胸のふくらみを痛いほどにまさぐられながら、ユーリは心の中で呟いた。
 そうよ、カイル、あなたにも判らないでしょう?あたしがどんなにあなたを抱きたかったのか、知らなかったでしょう。
 そんなことが通じたのか、一段とカイルの動きが激しくなって、ユーリはあらん限りの声を張り上げた。
 突き上げられてたまらなくなって唇を重ねたユーリの髪に、明り取りの窓からはらはらと落ちる雪は、やがて誰とも知らずに溶けていった。


                おわり

     

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