あやさん奥にて44444番のキリ番ゲットのリクエストは「シリアス・ラヴなラムセス」です。シリアスって難しいですね・・・。


姫君の塔



 風紋がかすかに崩れ始めている。
 厚手のウールのかぶり物を引き下げると、ラムセスはぎらつく太陽を目をすがめて睨んだ。
「・・・吹く、か?」
 見渡す限りの砂の海はただぎらぎらと熱をたぎらせているだけだ。
 陽炎が地平をゆがませる。
 汗まみれの騎馬が荒い息をしている。
「すまんな、もう少しだ」
 日中に砂漠を渡るのがどんなに馬鹿げたことなのかは知っている。
 それでも、ラムセスは馬を走らせ続けた。
 先の政変で国内の情勢はかろうじての平静を保っているだけなのだ。
 主力の軍が国元を留守にしている今、軍事力だけで不安定な国内を押さえ込んでいた王の敗戦の報がもたらされたとしたら。
「くそっ!」
 毒づくと、ラムセスはもう一度来し方を振り返った。
 霞んだ地平がいびつに盛り上がって見える。
「こんな時に砂嵐か・・・オレもついてねぇな」
 悲鳴のような息づかいの馬の首を叩くと、手綱を握った。
「走ってくれよ、死にたくねぇのなら」
 強く蹴りを入れると、本能が危険を知らせたのか、馬は勢いよく駆けだした。
 不安定な砂に足場を取られながらも馬は疾走する。
 馬上に伏せたラムセスの耳にも近づいてくる雷鳴が聞き取れた。
 巻き込まれたら、まず助からないだろう。
 このどこまでも広がる砂は荒れ狂いながら人馬を飲み込み、やがて何ごともなかったように静まりかえるのだ。
 ざあっっ!
 前哨の砂が降り始める。
 被った布を更に強く引き下ろしながら、ラムセスは片目だけを開いて向かう地平を睨み付けた。
 どこかに、あるはずだ。
 それとも、もう埋まってしまったのだろうか?
 国境警備隊の間で囁かれている、あの・・・
 そこまで考えた時に不意に馬がいななく。
 しまった!!
 砂の固められた隊商路を踏み外したらしい馬が、ぐらりと傾く。
 投げだされる衝撃に身構えた時に、砂塵の向こうにゆらりと浮き立つそれが見えた。



 冷たい。
『さあ、お水よ』
 喉を冷たい液体が滑り落ちてゆく。ひりつく喉が反射的に飲み下そうとして動く。
 痛みとともに意識が徐々に戻ってくる。思い切り打ちつけられた節々が悲鳴を上げた。
『大丈夫?しっかりして』
 どうやら、かなり酷い状態らしい。
 こんな幻聴が聞こえるようでは。
 もう一度水が注がれる前に、ラムセスはざらつくまぶたを持ち上げた。
 素焼きの水差しを傾けようとしたまま、覆いかぶさるようにかがみ込む姿。
「よかった、気がついて」
 のぞき込む顔がにっこりと笑う。
 砂に霞んだ目を何度もしばたく。あり得ない姿に、あっけにとられるより先に怒りがわいた。
 冗談にしてもタチが悪すぎる。
 軋む身体を無理矢理肘をついて起こす。退こうとした腕を掴んでとどめる。
 周囲はぼんやりと明るい。闇に沈んだ向こうに、古い煉瓦の壁がおぼろげに見える。
「・・・ここは、『塔』なのか?」
 掴んだ腕の細さや、大きく見開かれた黒い瞳は忘れようとしても忘れられない。
 手のひらの感触はそれがそこに存在していることを知らせている。
「痛いよ、ラムセス」
 象牙色の肌に黒い髪。唇を尖らせて少しだけ怒った表情を作る。
 なにからなにまでそっくりな。
「おまえが化け物か?」
 それでも見惚れてしまうのは、諦めきれない未練だからか。
「・・・なに、それ?」
 口の中の砂を吐き捨てると、ラムセスは水差しに腕を伸ばした。
 ちゃぷんと飛沫が跳ねる。まさかこれまでが幻とは思えない。
「毒は入ってないだろうな?」
「怒るよ?」
 毒が入っていようが、とにかく今は渇きを癒したかった。
 奪った水差しを片手で傾けて、ラムセスは目の前の少女の形をしたものを観察する。
「ったく、なんでそんな姿で出るんだ?」
 国境警備隊の間で囁かれた噂。
 砂漠の中の崩れた塔に化け物が出る。
 それは国元に残した愛しい女の姿をしていて・・・
「そうか・・・それでユーリなのか?」
 死を覚悟した時、思い浮かべてしまったのだろう。
 『ユーリ』は顔をしかめて掴まれた腕を振り払った。
「さっきから言ってること、分からんないよ?あたしがここにいるのがそんなにヘン?」
 つんと顎を反らせて、腰に手を当てる。
 その仕草までがそっくりだった。
 化け物がユーリに会ったとは思えないから、これは自分の中に記憶された姿なのだ。
「ユーリがここにいるはずがない」
 砂に馬を奪われて、ようやく辿り着いた廃墟の中だ。
 朽ちた木戸を押し開けて踏み込んだとたんに、足下が崩れた。
 涸れ井戸があったのかと、頭のどこかで思いながら意識を手放した。
 砂嵐よりは化け物の出る廃墟のほうがいくらかマシだとは思ったが。
「そんな姿でオレの気をひこうとしても無駄だぜ?」
 『ユーリ』が身につけているのは勇ましい戦装束でも、優雅なドレスでもない。
 飾り気のない短い丈のチュニックだ。
 この姿はいつ目にしたのだろう。
 そうだ、あの男がまだ殿下と呼ばれていた時。
 側室らしからぬ格好で、宮の中で飛び跳ねていた。
 あの男はそれを目を細めて眺めていた。その仕草の一つ一つまでを愛おしそうに。
 女などに振り回されてざまぁねぇな。
 そう嘲笑しながらも、同じようにその姿を目に焼き付けた。
「どうして、ラムセス?あたしはあなたに会いに来たのに?」
 小首をかしげる姿に苦笑する。
 そんなかわいらしい表情は一度だって向けてもらったことはない。
 ときどき、目にすることはあった。
 瞳をきらきら輝かせて、あの男の腕の中で。
「おまえはニセモノだよ、出来の悪い」
 本物のユーリならそんな風に媚びるはずはないのだ。
 いつだって、あの瞳は一人にしか注がれていなかった。認めたくないことだが。
 『ユーリ』は頬を膨らませた。
 この表情は見たことがある。
 からかえばすぐにむきになった。真剣にくってかかってきた。
 正面から向き合える方法は他にはなくて、よく軽口を叩いた。
 ラムセスは頭を振って陥りそうになる追憶を振り払う。
「・・・オレをとり殺すつもりなのか?」
 この砂に埋もれた廃墟の中で。手に入らなかった女の姿で。
 廃墟で出会った愛しい女の姿に、迷い込んだ兵士は二度と帰ってくることはなかったと、まことしやかに囁かれる噂。
「なんで疑うのかなあ?」
 しなやかな腕が伸ばされる。
 その白さに目を奪われたすきに、腕は首に巻きつけられる。
 一瞬鼻腔をくすぐる香りに、ラムセスは思わず抱きついた身体を受け止める。
 ユーリの身体からはいつもこの香りがしていた。
 『あんたの体はにおいがない』
 だから、これはあの男の香りだ。あの男が所有の証にと纏いつかせた香りだ。
「ねえラムセス、あたしが好きなんでしょ?」
 不意にこみ上げてくる笑いを抑えきれない。
 人の心を読みとる魔物が、どうあっても真似の出来ないこと。
 ラムセスの心の中にあるのは、こうあればと望んだ姿のユーリでしかないのだ。
「・・・なに、なにがおかしいの?」
 むっとして離した顔を両手で包む。
「どうせなら、もう少し色っぽい姿で出てきてくれ。胸が大きいとか・・・」
 触れる頬は滑らかで、揺れる灯りに微妙な陰影をうつす。
 半ば開いた唇は柔らかく弧を描き、知らずに引き寄せられそうになる。
 これは、魔物だ。
 ここにユーリはいない。
 今頃はあの男の腕の中にいて、やがてはあの男のただ一人の妻になる。
「ラムセス?」
 いつまでも動かないラムセスに、不思議そうに『ユーリ』は声をかける。
 この表情も目にしたことがある。自分でも思いがけないほど、のめり込んでいたのだ。
 頭を一つ振ると、口を開く。
「おまえ、待ってるんだろう?」
 もう一つの風聞。塔にまつわる伝説は、確かこうだった。
「・・・おまえの男を」
「あたしの好きなのはラムセスだよ?」
 あどけない口調は、まるでそのことを疑ったことすらないようだ。
 流れた時間のあまりの長さに、過去を忘れたのだとでも言うように。
 不意にラムセスは目の前の『ユーリ』を哀れに思った。
 こんな滑稽な悲劇は聞いたことがない。
「本物のあいつは死んでもそんなことは言わねぇな」
 言葉にすれば胸は痛んだ。思った以上に失恋のショックは大きいのかも知れない。
 頬を包む手のひらに力を込める。
 痛みに『ユーリ』の顔がゆがんだ。まるで本物の少女がそうするように。
「しらばっくれるな。それとも、本当に忘れたのか?」
 見開かれた瞳に言い聞かせるように、続ける。
「ここは、『姫君の塔』だ。大昔、お姫さんがここで死んだ」
「なんのこと?」
 眉を寄せたまま、『ユーリ』は訊ねる。
 あまりに砂が多いから、記憶すらあやふやになるのだ。
 この外には、流れてゆく砂しかない。
「・・・昔、エジプトに貢がれた異国の姫君がいた。その姫には想い合う男がいた」
 ありがちな悲劇だ。
 後宮に閉じこめられた姫は、男が自分を迎えにくると聞いて、王宮を飛び出した。
 追っ手はすぐにかかり、姫はようやく辿り着いた国境の塔で男の姿を探す。
 けれど男の姿はない。
 迫る追っ手に姫は塔に火を放ち、自害する。
「・・・だから、ここは『姫君の塔』という」
 迎えに来なかった男を恨んで、夜ごと姫君の亡霊は塔をさまようのだと、もう一つの伝説は語る。だから姫の亡霊は塔に近づく男をとり殺すのだと。
「そんなに男が憎いか?」
 そんなに男が愛しいか?
 男は塔に辿り着く前に砂漠で死んだのだとも、近づく軍に怖じ気づいて逃げ帰ったのだとも聞く。
 今となっては、この砂漠の中で何一つ確かめようがない。
 『ユーリ』は身じろいだ。一瞬、表情が崩れる。
「・・・なんのことなの?」
「他の男を殺して、お前の気は済むのか?」
 気が済まないから何度も繰り返すのだろう。
 自分ではない女の姿をとって、自分ではない女を愛する男を手に入れる。
 繰り返しても満たされない想い。
 ささやかれる言葉は、自分に向けられたものではないのだから。
 ラムセスは指で『ユーリ』の唇をなぞった。
 間近で見たのはもしかして初めてかもしれない。こんな風に触れたのも。
「おまえの・・・本当の髪は何色だ?」
 あの愛しい黒い髪。優しく指で梳いてみたいとどれだけ願ったか。
 いつだって触れる時には激しい抵抗にあった。
「肌の色は?瞳の色は?そいつはどんな風におまえを好きだと言ったんだ?」
 拒まれても欲しかった。
 いや、形ではなく、その肌の下で息づく強い魂に惹かれたのだ。
 手におえない野生の輝きを持った女。
 生まれて初めて自分だけのモノにしたいと願った女。
 あの男はどうやってその心を手に入れたのだろう。
「・・・知らない」
 『ユーリ』の瞳が揺れた。泣き出すのかもしれないと一瞬思った。
 けれど、こいつに泣けるはずがない。
 ラムセスは自嘲する。
 この姿がラムセスの記憶の中のユーリを再生しているのなら、泣き顔はどうあっても真似できないはずだ。
 ユーリは泣かなかった。怒りや悔しさに涙を流すことはあっても、悲しみに涙を流すことはなかった。
 悲しみに沈んだ時は黙って表情を殺した。
 かたわらにいるラムセスでは、その悲しみを受け止めることはできないのだと沈黙した。
「思い出せよ」
 哀れだと思う。
 この砂の塔に閉じこめられた亡霊が。
 自分の本来の姿すら忘れてただ過去の妄執に捕らわれているだけの女が。
 それは、『ユーリ』に口づけたい衝動を抑えている自分にも向けられる。
 ただ一人を手に入れられない。
 こんなところでとうの昔に死んだ女を相手に知った風な口をきいている。
「どんな姿だった?・・・名前は?」
 髪は、黒くなくてもいい。肌も白くてもいい。瞳も。
 王の隣りに立てる女でなくても良かった。
 そんなものは条件付けでしかない。
 ただ、腕の中で思う存分泣いて欲しかった。屈託のない笑顔を向けて欲しかった。
 失ったのではない、最初から手に入れられなかったのだ。
 出会った時から、あの男に奪われていた。
「・・・」
 『ユーリ』の姿が崩れる。さらさらと砂のように音を立てて。
 指の間をすりぬけて流れ出した砂は、薄闇にうずくまり微かに光を放つ。
「おい?」
『出て行ってよ』
 声がした。焦げた煉瓦塀にこだまするように。
『あんたじゃ話にならないわ。振られた女のことばっかり考えているなんて』
 ラムセスはどこから声のするのか分からない中空を見上げた。
 頭上に、踏み抜いたらしい朽ちた木の板が見えた。
「・・・いい女だったろう?」
 後生大事に抱き続けていたユーリの姿は。
 立ち上がると砂を払う。『ユーリ』の残骸が目に入った。
 粒子の細かい砂は、水が染み込むように土の床に吸い込まれてゆく。
「なあ、あんたも思い出せよ。自分のこと」
 ざらついた壁に指をかける。なんとか足場はありそうだった。
 落下の時にぶつけた体は痛んだが、登れないこともない。
 どんなに落ち込もうが、帰らなければならない。
 帰ってあの男を見返すのだ。
 それが己の矜持を保つ唯一の方法でもある。
『ねえ』
 声がする。もうユーリの声ではない。風がささやきくようなかすれた声だ。
「なんだ?」
 身の丈の倍はありそうな壁に取り組みながら答える。
『振った女を恨んでないの?』
 流れる汗を振り払いながら笑う。
「恨めるわけ、ないだろう?惚れてたんだぜ?」
 誰のそばにいようとも。
 いや、あの男だからこそ許せるのかもしれない。
『わたしは恨んだわ』
 小さな声が言った。
 天井の板にようやく手をかけて、ラムセスは身体を引き上げた。
 肩で息をつきながら、塔の床に身体を横たえる。
 積み上げた煉瓦の隙間から幾条もの月の光が差し込んでいる。
 砂嵐は去ったようだった。
 ごろりと身体を転がして、落ちた穴をのぞき込む。
 ぼんやりとした涸れ井戸の底に、白い影が立ち上がっている。
 身を覆うような長い髪は金色だろうか。見上げているのだろう表情はおぼろげで判然としなかった。
「探しに行ってやれよ、男を。砂漠で迷っているのかも知れない」
 男は塔にたどり着けなかったのだと、伝説は言う。
「そいつだってあんたを探しているのかも知れない」
『どうして、そう思うの?』
 幾人もの兵士をとり殺したはずの女は、力のない声で訊ねた。
「・・・惚れてるんだろ?」
 手を伸ばすと、指先が投げだされた荷物に触れた。
 運が良い。夜の砂漠をこれから越えるのには必要な品だった。
 ラムセスは身体を起こすと、砂まみれのマントを巻きつける。
「惚れてるなら探してやりな。寂しいのはあんただけじゃない」
 きっとここに辿り着いたのもそのせいだ。
 女の寂しさが国境ではぐれた兵たちを、そしてラムセス自身を引き寄せたのだ。
 井戸の底で風が吹くような音がした。
 ため息だったのか、嗚咽だったのか。
「・・・礼を言う。おかげで吹っ切れた」
 それだけ言うと砂のせいでたわんだ木戸を押し開ける。
 静かな海のように広がる砂漠に、月が煌々と輝いている。
「とりあえず、馬だな」
 ため息をつくと踏み出した。
 さくさくと音を立てながらどれくらいか進んだところで、不意に風がほおをなぶった。
 耳元を音を立てて吹き抜ける風に振り返る。
 予想したとおりに、そそり立つはずの塔はかき消えていた。
 亡霊はまた人を呼ぶのだろうか。それとも、いつどこで果てたとも知れぬ男を捜すのか。
 またいつか噂が流れて耳にする機会があるのかもしれない。



「ったく、踏んだり蹴ったりだな」
 毒づきながらも荷物を背負いなおす。夜明けまでに歩哨のいる砦までにたどり着かなくてはならない。
 問題はまだまだ山積みなのだ。砦で馬を調達したら国元に戻って・・・。
 ラムセスの口元に笑みが浮かぶ。
 それでも、なんとかなるだろう。なんとかしてみせる。
 足下で砂が音を立てる。
 
 月がどこまでも青く砂漠を照らしている。


                        おわり

     

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