野望

                               by仁俊さん


 出立の朝、極上のドレスに身を包み美しく着飾った私の姿を見て、父王アダド=ニラリ1世は満足そうに微笑んだ。

「姫よ、もう行くのか?」
「はい、父上」

 敵国とも言うべきヒッタイトに私が嫁ぐことになった経緯については、既に説明を受けている。
 要するに、わがアッシリアに運気が巡ってきたということだ。

「皇太子殿によろしく伝えるがよい。これからはアッシリア王があなたの後ろ盾となりましょう、とな」
「父上の仰せの通りに」

 会見は、あっという間に終了した。
 あえて多くを語らなかったのは娘の才知に対する信頼の証と受け取るべきなのだろう。


 私の乗った輿は今回の介添え役を任された新ミタンニのマットゥアラ王軍に警護されてヒッタイトに向かう。
 途中ワスガンニに宿泊して、王の歓待を受けた。

「大ヒッタイトの皇太子妃となられる方を、わが王宮にお迎えできるとは光栄の至りですな」

 王の挨拶は皮肉にも取れる、きわどい響きをもっていた。

 ヒッタイトの属国となった新ミタンニは初代王マッティワザ1世崩御の後、王太子であったマットゥアラが即位して久しいが先王に比べ器量の小ささは否めず、国境をわが国にジリジリと侵食されつつある。
 そして今回の婚儀は、その勢いに拍車をかけかねない。
 アッシリアの王女である私に対して、この王が良い感情を持っているはずもないか。

 心の中で苦笑しつつ、私はありきたりな祈りの言葉を口にして返した。

「ヒッタイト帝国とミタンニに、神々の祝福がありますように」

 言ってからヒヤリとした。
 空虚な言葉として聞き流してもらえただろうか?
 ヒッタイトがミタンニと同じ運命を辿ることを望む呪詛と受け取られはしなかったろうか?

 私は王の表情の微細な変化も見逃すまいと彼の顔を注視したが、王は皮肉な微笑をうかべたまま私の祈りの言葉を繰り返しただけだった。

「まことに、そうあって欲しいものですな」

 こやつの意識の中には縮小しつつある自国の領土しかないのか。
 王がこの程度の男では、この国も長くは続くまい。



 道中は大した事件も無く、我々の一行はヒッタイトの旧都ハットゥサに到着した。
 帝国の首都はムワタリ1世の代になって南のタルフンタッシャに遷されたが、成婚の儀など重要な祭典はやはり歴史ある旧都の大神殿で行われることになっているらしい。

 皇太子ウルヒ=テシュプは報告書にあった通りの少年だった。
 実母をいびり殺された恨みもあって、皇妃ダヌヘパと彼女の出身国バビロニアを強く恨んでいる。
 事前に情報を得ていたおかげで、私は初対面の彼に好印象を与えることができたようだ。

 あまり世間に知られてはいないが、アッシリアの諜報網は他の国に例を見ないほど発達している。
 実を言えば我が国の認可を受けている商人のすべてが潜在的スパイであり、彼らは周辺国の各王室中枢部にまで及ぶ強力なパイプを持っていて、常に正確な最新の情報をアッシリアに届けてくれるからだ。
 決して大国とは言えない我が国の王室がオリエント有数の長い歴史を持ち今もなお存続できているのは、ひとえにこの優れた情報収集力があったからこそなのである。

 その諜報網が要注意人物として挙げたのは2名。
 皇弟シン・ハットゥシリと元老院書記長ダ・アー。
 今日は私と皇太子との内々の対面ということで、両名ともこの場には参席していない。

 2人きりになった瞬間を見計らって、すかさず父王の口上を伝える。

「おお、アッシリア王が私の後ろ盾に!・・・信じて良いのだな?」

 少年らしい素直な受け答えの中に、だまされることに対する怯えが感じられた。

 この皇太子は馬鹿ではない。
 われ知らず好感を覚え、私以外の人間には利用されないようにしてやらねばと心に誓う。

「もちろんです、殿下」

 私はとっておきの笑顔を年下の彼に向けて見せた。
 内心の野望とは裏腹な、慈愛に満ちた上品な笑みを。



              おわり

      

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