心に薔薇の花束を



 外が明るいような気がして窓を開けると白いものが舞っていた。
「あっ、雪だぁ!」
 思わず身を乗り出す。
「ちょっとぉ、寒いからいつまでも開けてないでよね」
 廊下を通りすがりにお姉ちゃんが言う。
 あたしは素直に窓を閉める。
「ねえねえ、つもるかな?」
 あたしの声にママは目玉焼きの載ったお皿をさしだして笑う。
「さあどうかしら?今年は暖かいって言ってたわね」
「つもればいいな、クリスマスだし」
 あたしはトーストにバターを塗りながら言う。
「イヴにつもったほうが雰囲気が出るでしょう?」
 お姉ちゃんはココアを注いでくれる。
 今朝、枕元には欲しかったブランドもののマフラーがあった。
 あたしはそれに素直に歓声を上げた。
 いつからかサンタへのお願いが叶えられなかったことに落胆しなくなったから。
 本当はサンタが一番それを期待してるんだって分かったから。
「今日は遅くなるの?」
 ママがさりげなく訊ねる。
「ちゃんと塾を出る時には連絡をするんだぞ?」
 新聞を読んでいたパパが突然顔を上げる。
 ふとしたときに、パパとママはとっても真剣な顔をする。
 お姉ちゃんはそっと目を伏せる。
 あたしたちはとても仲のいい幸せそうな家族に見えるけど、時々こんな風に影がかすめる。
 あたしがずっとサンタや、神様や、そのほかいろんなものにありったけの力を込めてお願いするようになってから。
 どうか、還してください。
 あたしのお姉ちゃんを。
 冬のある日、姿を消してしまった夕ちゃんを。
「電話するよ」
 あたしはクラスの誰よりも最初に持つようになった携帯を振って見せる。
 ストラップのビーズがシャラシャラ音を立てる。
「ちゃんとするから」
 ちゃんと帰ってくるから。
 あの日、これからデートだと言って出かけた夕ちゃん。
 あたしは、あの時の夕ちゃんと同じ年になった。
「模試の結果、良かったんだってね、詠美?」
 お姉ちゃんが急に明るい声で言う。
「高校、大丈夫だって、太鼓判押されたって?」
「そうなのよ、まだまだ安心できないけどね」
 ママもはしゃいだ声で応える。
「大丈夫、春にはお姉ちゃんの後輩だよ!」
 あたしも無邪気に笑う。
 毬絵お姉ちゃんが卒業して、夕梨お姉ちゃんが入学するはずだった学校。
 テーブルの上に、きちんと並べられたひとそろいのお皿が光を弾いている。
 あの日からずっとママはその席にこのお皿を置いてきた。
 毎日、家族全員分のおかずを作って。
「わっ、もう行かなきゃ!」
「あら、もう?」
 ママが時計を振り返る。
「うん、ちょっと寄りたいところがあるから」
 あたしは椅子から飛び降りる。
 今日は雪が降っているから。
「詠美、急いで滑ってこけないでよ?」
 お姉ちゃんの声。
「受験生には禁句だよ!」
 お姉ちゃんを睨みながらカバンを持つ。
 今日は雪だから、きっと来ている。



 夕ちゃんが最後にいた公園。
 はじめて見つけたのは雪の降る日だった。
 あの人は、肩に降る雪がいくつも溶けていくなか、じっと立っていた。
 あの時からあたしはいっぱい泣いた。
 ママも泣いていた。
 そんなあたしやママを、パパやお姉ちゃんが抱きしめてくれた。
 あの人も泣いたんだと思う。
 でも、あの人を抱きしめてくれる人はいたんだろうか?
 氷室 聡。
 夕ちゃんの彼氏。
 夕ちゃんはいつもあの人のことをほっぺたを赤くしながら喋っていた。
『なんかこうね、ふわぁっと暖かくなるの』
 夕ちゃんはなにか大切なものを抱きしめるように腕を伸ばした。
 そんな夕ちゃんを見ていると、あたしまで胸が暖かくなった。
 夕ちゃんの最後の姿を見たのは氷室さんだった。
『すみません』
 そう言って、パパやママに頭を下げた。
 大切なものを無くしたのは氷室さんだって同じなのに。



 雪が地面を濡らした公園で、予想通りに氷室さんは立っていた。
 コートのポケットに両手を入れて、枯れた植え込みのあたりをぼんやりと眺めていた。
 あの日の公園にも雪はつもっていた。
 夕ちゃんのいなくなった時の姿をそうやって何度も再現しているのだろう。
 動かない氷室さんの吐く息だけが白く広がって消える。
 あたしは立ち止まる。
 なんて声をかけていいのか分からないから。
 氷室さんの姿はまるで凍り付いたように見えるから。
 夕ちゃんはきっと帰ってくるよ?
 そんなに辛そうな顔をしないで?
 どんな言葉もなんだか違う気がする。
 あなたもあたしと同じお願いをしたのですか?
 今年もサンタは願いを叶えてくれなかった。
 マフラーなんかより、もっと別のものでないと温められない。
 それは頬を染めた夕ちゃんの笑い声のような・・・。
 ふと氷室さんが顔を上げる。
 あたしに気づいて少しだけ目を見開く。
「・・・おはようございます」
 あたしはやっとそれだけを言う。
 あれから身長が伸びて、髪も伸ばした。
 あの日の夕ちゃんに似てきたって、ママが懐かしそうに言う。
 だから、氷室さんも驚いたのかな。
 ふうっと大きな息を吐く音がして、あたしはどうやら氷室さんを落胆させてしまったみたいだ。
 ごめんなさい。
 小声で謝ろうとしたとき、氷室さんが言う。
「クリスマス、雪になったね」
 つられて見上げれば、空の上から小さな雪片が次々に降ってくる。
 こんなにたくさん降っているのに、地面についたとたんに溶けていく。
 降ったのが昨日の夜だったら雰囲気があったのにね。
「メリークリスマス」
 空を見上げたままあたしが言うと、くすりと笑い声。
「メリークリスマス、詠美ちゃん?」
 その声はとても優しくて、あたしは胸の中にぼんやりと何かが灯った気がした。
 いつか、夕ちゃんが言っていた。
『なんかこうね、ふわぁっと暖かくなるの』
 そう、そんな感じ。
 あたしは夕ちゃんがしていたように、腕をふんわり伸ばしたくなった。


                                おわり 

      

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