丘の上で



 懐かしい夢を見ていた気がした。
 あれは子どもの頃、思いっきり駆け回ったあとで木陰で眠り込んでしまった時。
 潜められた母の声。
「よく眠っているわ・・・しばらくこのままで」
 ふわりと掛けられる布の暖かな肌触り。
 さらりと髪を梳いた細い指。


 ちらちらと揺れる木漏れ日にカイルは瞼を持ち上げる。
 しばらくの間、それが夢の続きなのか現実なのか分からないかのように。
 頬をなぶる風に、あれから流れた時間を思い出し、慌てて身体を起こす。
「きゃっ!」
 小さな叫び声が上がる。
 驚いた顔で手を空中に止めたままの少女。彼女はみるみる頬を染める。
「ごめん皇子、起こしちゃったね」
 その指が今しがたまで夢の中で前髪を梳いていたのだと知る。
「ユーリか・・・」
 どれくらい眠り込んでいたのだろう。
 こんな人目のある昼時に、無防備にもほどがある。
 ましてや供もろくに連れずに。
 カイルはため息をつき、片膝を立てる。
 さらりと掛けられた布が滑り落ちる。
 ここに腰を下ろした時には覚えのない物だ。
「ごめんね、せっかく気持ちよさそうだったのに」
 自分でも半ばあ然としてユーリに訊ねる。
「お前が掛けてくれたのか?」
 うたた寝の合間に、ここまで人を近寄らせたことはなかった。
 気配には敏感だと自分では思っていたのだが。
 それより、寝所を共にするようになってからすでにユーリの気配は他人のそれとは違うものと感じるようになっているのか。
「え、うん、そうだけど。皇子、疲れてるんでしょ?」
 掛け布がわりに使ったマントをたぐり寄せるとユーリは小声でつぶやいた。
「なのにごめんね遠乗りに誘ったりして」
 最近忙しくてあまり構ってやれなかった。
 だから埋め合わせのつもりで宮を抜け出した。
 はしゃぐユーリに見とれているうちに、まぶたが重くなったのだろう。
 カイルはようやく口元をゆるめた。
「いや、気分転換になってちょうど良かった」
 ぺたりとそばに腰を下ろしたユーリを見て微笑む。
「それよりお前こそ、私が眠っている間、退屈だったんじゃないのか?」
 もっともユーリのことだからお目付役のいない間にこれ幸いと駆け回っていたのかも知れないが。
「そんなことないよ!皇子を見てたし・・・」
 言ってからまた頬が染まる。
 大胆な発言と思ったのだろうか、耳まで赤くなったユーリは顔を伏せると早口で言う。
「皇子はヒッタイトにとって大切な人だから一人にする訳にはいかないし・・」
「護衛をしてくれたのか?」
 少年のようにすんなりとした腰には、その手に合わせて誂えた小ぶりの剣が下がっている。
 女に武具など贈ったのは初めてだったなと、カイルは思う。
 それを言うなら武術を習いたがった女も初めてだ。
「少しは使えるんだよ、あたしだって・・・そりゃ皇子には全然かなわないけど」
 赤くなっていた顔はもう頬を膨らませている。
 なんとも表情のよく変わることだ。
 カイルは吹き出す。
「いや、おかげでよく眠れた」
 言ってから気づく。
 そういえば、こんなに無防備に眠れたのも久しぶりだった。
 誰かのそばでこんなにくつろいだことなど・・・。
「皇子?」
 今度は少しだけ不思議そうな表情。
 黙り込んだカイルをのぞき込んでくる。
 その手を引くと腕の中に抱き寄せる。
「きゃあ!皇子っ!?」
 太陽の匂いのする髪に顔を埋めて忍び笑う。
「勇ましい護衛どのに、褒美として剣の稽古をつけてやろう」
「ほんとっ!?」
 すぐさま腕から抜け出してユーリは跳ね起きる。
 嬉々として剣を抜きはなつ。
 剣の稽古を喜ぶ女も初めてだ。
「皇子、手加減は無しね!」
「そのセリフは十年早いぞ」
 カイルは立ち上がりながらも、少しだけ腕に残されたぬくもりを残念に思う。
「皇子ってば!」
 大きく一つ伸びをすると、カイルはユーリの待つ日差しの中に歩み出る。


               おわり      

     

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