イシュタルの休日 後編



「ユーリ、あんまり俺から離れて先に行くなよ」
「分かってるって、トラビス早く!」
 あたしはなんだかたくさん人が集まっている広場を目指した。
 先ほどから歓声が聞こえるのだ。
 市のにぎわいだけでもすごいのに、さらに人が集まっているだなんて誰だって覗いてみたくなるでしょう?
 人だかりの広場に潜り込むと、目の前ですごい光景が繰り広げられていた。
 見上げるほどの大男が口から火を吹いていたのだ。
「うわっ!すごい!」
「大道芸人だな、このほかにも剣を飲み込んだりするのがいるよ」
「噂には聞いていたけど、目にするのは初めて!」
 カイルはそういう芸人を呼んだ宴会をあまり開きたがらないから。
 まあ、あたしとしてもあんまり派手な集まりは得意じゃないし、それでもいいんだけど、市に芸人や踊り子がやって来た時ぐらい、自由に外出させてくれてもいいと思うのよね。
 またしてもどよめきがあがる。
 あたしの前には何重にも人垣が出来ていて何が起こっているのかよく見えない。
 やっぱりタッパがないのはハンデよね?
「ちょっと、ごめんなさい!」
「おいおい、ユーリ!」
 もっと前に出ようとしたあたしの耳に叫び声が響く。
「押すな押すな!」
「道を開けるんだ!」
 何が起こったのか確かめようと伸び上がった目の前に、きらきら光る槍先が見える。
 それは結構な人数で、最初人混みの整理に来た警備兵かと思った。
 けれどあたしは青ざめる。
 人混みの間には見覚えのある軍服が見え隠れしている・・・ヒッタイト兵だ!
 それも近衛兵だったりして!?
「なんだよ、軍人さんかい?」
 群衆のざわめく声が大きくなる。
 まさかと思うけど・・まさか?
 カイルってば捜索隊なんかを出したわけじゃないでしょうね?
 そりゃ、近衛隊を使うのは効果的だとは思うわよ?みんなあたしの顔を知っているし。
「なんだぁ?軍人?交通整理か?事故か?」
 真横でのんびりとトラビスがつぶやくのが聞こえた。
 これは非常にヤバイ状態だ。
「なんだろうね、ユーリ、そばに行ってみようか?」
 とんでもない!
 あたしはトラビスの腕を掴んだ。
 こんなところでのんびり野次馬している場合じゃないわ!
「逃げて、トラビス!」
「はぁ!?」
「いいから、早く!」
 とりあえず、人混みを分けて駆け出す。
 カイルはかなり本気だ。本気で怒っている。
 でないと近衛隊に命令したりしないわよ?
 無断外泊した皇妃を連れ戻せって。
 トラビスと一緒にいるところを見られたら、どんなとばっちりが行くか知れたもんじゃない。
「な・な・なんなの、ユーリっ!」
「説明はあとっ!」
 あたし達にかき分けられた人たちが声を上げて、まずいことに近衛兵はこちらに気づいたようだった。
「あっちだぞっ!」
「追え!」
 声がする。やばいってば!
 しかし、あたしはなぜ自分の部下に追っかけられなきゃならないんだろうか?
 いや、原因はあたしにあるんだろうけどさ。
 カイルは見つけ次第首に縄をかけてでも引っぱってこい、なんて言ってるかも知れない。
 一瞬、民衆の中を売られていく牛よろしく引き回される自分の姿を想像して顔が引きつった。
 まさか、そんなことは無いだろうけど、それでもそれくらいカイルは腹を立てているんじゃないかな。
 だって無断外泊だし。宴会すっぽかしたし。
 あ、そうだ、カイルが昨日あたしをおろしながら言った言葉。
 すぐに戻ってくるから大人しく待っているんだよ、ユーリ。
 そしてあたしが愛想笑い全開で応えた言葉。
 うん、分かってるよ、カイル。
 分かってなかったんだなぁ・・・って、だってあの時はもう逃走計画練ってたからね。
 まあ、嘘も方便というか・・・。
 当初の計画ではカイルが戻ってくるまでに何喰わぬ顔で帰っている予定だったし。
 無断外泊しちゃったけど。
「あっちだ!」
 ああ、なんてしつこいのかしら!
 そういえば、その昔、こんな風に追いかけられたことがあったなあ。
 あの時はカイルに助けてもらったのだった。
 それが今やカイルの追っ手(?)に追い回されるハメになるとは。
 こんな時だというのに感慨にふけってしまう。
 あたしに引っぱられるように走っていたトラビスは途中で腹をくくったのか、あたしを追い越すと先に出た。
「こっちだ、ユーリ!」
 土地勘がある分、その方が有利だ。
 あたしはうなずくと彼の後を追う。
 あたし達は商店の中を突き抜け、塀を乗り越えながらしつこい(ある意味、任務に忠実な)ヒッタイト兵をまきに播いた。
 いくつめかの屋根によじ登って、ようやく足を止める。
 肩で息をしながら、トラビスは平らな屋根の上に寝転がった。
 あたしもぜいぜいとそばに腰を下ろす。
「・・・それで?」
 大の字になりながら、トラビスは訊ねた。
「なにをやらかしたってわけ?」
 ・・・ちょっと脱走を・・・なんて言える訳ないじゃない!
 それにトラビスは自分がユーリ・イシュタル誘拐犯になりつつあるってことに気が付いてはいないのだろうし。
 うん、二人一緒の所は確実に見られてるわね。
「・・・あたしが犯罪者に見える?」
 力無く訊ねる。そういえば、トラビスは知事閣下と面識があるのだった。
 正義感に燃える彼があたしをふんじばって突き出さないとも限らない。
 ふんじばられたあたしを見て知事閣下は目を白黒させるだろう。
 そんなことになったら、事態がどうなるのかさっぱり予想もつかない。
「犯罪者には見えないけど・・・」
 トラビスは肘で身体を起こすと、あたしを眺め回した。
 なんだか小難しい顔を作る。
「そうだなあ・・・」
「な、なによ?」
 思わず身体を退いたあたしの耳に、またしても声が聞こえる。
「あそこだっ!いたぞっ!」
 なんて執念深いの!
 きっとあたしを見つけ出さないと処罰するとかなんとかカイルに厳命されているんだわ!
 あたし達は合図もなしに同時に屋根から飛び降りた。
 逃げ回っているうちに妙なコンビネーションが出来てしまっている。
 着地すると家と家の間の細い道を駆け出す。
 細い道をいくつか曲がったところでいきなり視界が開けた。
 大通りらしきところに飛び出たのだった。
 ひっきりなしに荷車が行き来する道で、あたしは思わず足を止める。
 なんとかここを突っ切らないと、今にも路地から追っ手が飛び出してくる。
 目の前を幌を掛けた荷馬車が砂埃を立てて横切る。
 トラビスはいきなりその馬車に飛びついた。
「祖父ちゃん!」
「どうしたんだ!」
 聞き覚えのある声。
 トラビスが立ちすくむあたしの腕を掴んで馬車の上に引き上げた。
 もがきながら荷台の上に転がり、あわてて身体を起こす。
 中ではトラビスのお祖父ちゃんの太った商人が驚いていた。
「どこへ行っていたんだね、二人とも?もう離宮に行こうかと・・・」
「ユーリを頼むよ!俺一人なら大丈夫だから!」
 場違いなお祖父ちゃんの言葉に、あたしを荷台に残すと、トラビスはさっさと外に姿を消した。
 幌をはためかせて飛び降りた姿は、ちょっとしたヒーローみたいだった。
 山盛りのザクロの籠の中、腰を下ろしていたお祖父ちゃんはわけが分からないとばかりに頭を振った。
「なんだったんだね?いったい?」
 あたしは荷馬車の床にへたり込んだ。
 ごとごとと荷馬車は走っている。
 走る荷馬車に飛び乗るなんて、すごいアクションだわ。
 脱出、転倒、気絶、無断外泊、逃亡劇と、めまぐるしいったら。
「・・・ちょっと走り回っていたもんで・・・」
 いったいどれくらい追いかけっこをしていたものなのか、自分でも分からなかった。
 もう離宮に行く時間だって事は、かなりの時間を走っていたってことだ。
 お祖父ちゃんは籠からイシュタル様への献上分のザクロを一つ取り出すとあたしに渡した。
 固い皮の間から真っ赤な実が顔を出している。
 喉の渇いていたあたしはさっそくそれにかぶりついた。
「あんまり年寄りを驚かさんでくれよ」
 お祖父ちゃんはしきりに孫の消えた後方を気にしていた。



 さて、それから首尾良く離宮に舞い戻ったあたしは、トラビスのお祖父ちゃんにこっそり別れを告げて後宮に忍び込み、目を三角にしたハディたちに浴室に押し込められ、磨き立てられ、着替えをさせられたころには、飛んで戻ってきた蒼白な顔をしたカイルに無言で抱きしめられた挙げ句に、飾り立てられて広間に引きだされていた。
 目の前には大げさに、イシュタル様がお元気になられて嬉しいと繰り返す知事がいる。
 あたしは隣で目に見えない圧力を発しているカイルを意識しながら、できるだけ楚々とした風情で。
「おかげですっかり調子も良いようです」
 なんて語っている。
 押し詰まったスケジュールのため、カイルの雷はまだ落ちていない。
 感情的にはなれない辛い制約がいろいろあるのだ、あたしにとっては幸いなことに。
 ここは一つ、しおらしいところを見せて嵐が収まるのを待つしかないか。
 そういえば、トラビスのお祖父ちゃんの献上したというザクロはどうなったのだろうか?
 それに街に配された近衛隊も引き上げてきたのだろうか?
 そう考えていたあたしに知事がうやうやしく話しかける。
「イシュタル様のおそろいの時に、皇帝陛下に息子の目通りをと思いまして」
 ああ、地元の有力者の息子ね、はいはい会いましょう。
 今日のあたしは模範的皇妃なのよ。
 帝国の将来を背負って立つ若者ですものね・・・と微笑みかけたあたしの目の前に!!
「息子のトラビスでございます」
 あの人の良い顔が真面目くさって頭を下げた。
「これは立派なご子息をお持ちだ」
 言葉をかけるカイルの横で、あたしは口をぱくぱくさせるしかなかった。
 なんですって、なんですって?
「イシュタル様がご不快とお聞きしまして、たいへん心配しておりましたが」
「このとおり元気ですわ」
 あたしは、必死に笑顔を作った。多少いびつだったとしても仕方ないよね。
 その後の宴会であたしをそばから離したがらないカイルをなんとか知事を使って牽制し(半日の逃避行で培われた見事な連係プレイと言えよう)なんとかトラビスと声を潜めて話し合ったのは。
「知事の息子だなんて騙したのね!」
「ひどい言い方だなあ、騙してないよ、黙ってただけ」
 トラビスはしゃあしゃあと言ってのけた。
 貴族っぽい服装をすると貴族に見えるから不思議だ。人のことは言えないけど。
「祖父ちゃんは商人、オヤジは知事。なんかへんかな?もっとすごいこと隠してた人もいるし・・・」
「ぐっ・・・」
 そりゃそうだけどさ・・・。でも商人の孫が知事の息子だなんてねえ?
「母ちゃんは知事の側室なんだな。御正室に男の子がいないもんで俺が跡継ぎになることになったわけ」
「あ、そ、そうなの?」
「俺としては商人のほうが向いていると思うんだけど」
 それはそうかもね。すっごく人が良さそうに見えるあたり・・・。
 あたしはうんうんとうなずき、それから気になって訊ねる。
「ねえ、トラビスっていつからあたしがイシュタルだって気がついてたの?」
 さっき顔を合わせた時、あまりにも落ち着きすぎていたし。
 絶対、それより前に知っていた。
「そりゃね」
 ぱかりと大口を開けてトラビスは笑った。
 憎めない笑顔だった。
「その髪と瞳の色、肌の色、なにより着ているモノの上質さ。商人の目は確かだからね」
「そうかあ」
 あたしは感心した。
 じゃあ、今度から抜け出す時は別の服に着替えて髪を隠してから・・・じゃないわね。
 うなづきかけたあたしにトラビスはにっぱりと片目を閉じて見せた。
「一番の決め手は、俺んちのザクロ園って街の東側にあるんだけどね、そこにいた時に黒い馬に乗った女の子が走っていくのを見たってことかな?
その子はすぐに立派な輿に乗せられちゃったんだけど」
 ・・・・なにそれ〜〜〜っ!?
 それってつまり最初っから?
「う〜ん、街の中でその子を見かけた時も驚いたけど、その子が気を失った時も驚いたなあ」
 あたしは怒りと衝撃のあまり言葉が出なかった。
 なんてことなの?
 それなのに、トラビスの顔はやっぱり人の悪さを微塵も感じさせない。
 ああ、やっぱり将来は知事より商人だよ、絶対。
 いや、知事でもいいか。心を見せないっていうのは外交上有利だから・・・。
「ユーリ、ずいぶん楽しそうだな」
 言葉の端にあたしにしか分からない棘を含ませてカイルが話しかける。
 会話が弾んでいるように見えたのだろうか?弾んでたんだけど。
 今日のカイルはおかんむりなんてもんじゃないのだ。
 この後、宴会が終わったらどうなるのか。
 頭痛の種はたっぷりだ。
 トラビスは頭を下げると、礼儀正しく応えた。
「はい、陛下。イシュタル様に献上したザクロのことでお褒めの言葉を賜っていました」
「ザクロ、だと?」
 ザクロですって!?
 あたしの頭の中に宝石のように艶やかなザクロの実が浮かんだ。
 それを自慢そうに差し出していたお祖父ちゃんも。胸を張っていたトラビスも。
 あの時の二人の顔は心底、見事なザクロを誇りに思っていたのだ。
 ルビーみたいに真っ赤はザクロ。
 噛めば甘ずっぱい汁がほとばしる。
 ・・・ここは、あたしの負けだ。
 あのザクロが美味しかったのは本当だし。
 あたしは特上の笑顔を作るとカイルに向ける。
「ええ、ラタキアのザクロ。とっても美味しかったので気に入ったわ」



 それから、トラビスのお店は大もうけしたって?
 残念でした。
 あのザクロはカイルがみんな買い占めたの。
 だから今年の販売は、もう終わり。
 来年以降?
 まあ、そこそこもうけにはなるでしょうね。
 それは、残りのザクロを納品に来て、カイルの横に並ぶあたしをみてひっくり返りそうなほどぶったまげていたお祖父ちゃんに免じて仕方がないかな、なんて思ったからなの。
   


                  おわり

     

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