ポリッジ・クッキング



 ユーリさまがなにかされている。
 私は指先が冷たいのを堪えて、雪が凍ってつるつる滑る壁の外に張りついた。
 ユーリさまはヒッタイト帝国のタワナアンナという至上の地位に就かれながらも、決して奢ったところのないお方で、下々にも気安く話しかけて下さる。
 今も、厨房の下働きにしきりになにかを話しておられる。
「・・・だから・・ね・・・」
 ああ、いったいなにをされておられるのかしら?
 いいえ、なにをするおつもりなのかしら、と言った方がよいだろう。
 ユーリさま、厨房、この二つはそれぞれ別物と考えるとそれぞれにこの国や生活にとって欠かせない重要なものなのかも知れない。
 けれど、一度これが組み合わされると・・・いいえ、よしましょう、こんなことを考えるのは。
 私は、もしかしてこのことを陛下に御注進申し上げるべきかと迷いながらも、告げ口めいたことをしてユーリさまを裏切りたくなくて、もう一度窓に顔を寄せる。
「ななくさ?なんでございましょう?」
「だからね、これを食べると身体に良いのよ」
 ・・・身体に良い・・つまりまた陛下に何かお差し上げになるおつもりなんだわ。
 ユーリさまは私たちにはない、いろいろな知識をお持ちだ。
 そのことにはいつも感心しているのだけど。
「つまりね、七つの植物を食べるといいのよ」
「薬草ですか?」
「う〜んと、ね、萩・・・桔梗・・・オミナエシ・・・」
 呪文のような言葉がユーリさまの口から漏れる。
「・・・って、違うよねえ。これって花ばっかりだもん。たしか大根の葉っぱとかあったけど」
「大根、で、ございますか?」
「あるの?」
 私は少しばかりホッとした。
 大根ならそんなに毒にはならないわ。生でも、火を通しても食べられるし。
「それとね、かぶ。えっとぺんぺん草もあったような」
「皇妃様、今の時期にぺんぺん草はありません」
「困ったなあ・・・」
 本当に困りましたわ。でも、ユーリさま、なにかが無い時には代用など探さずにきっぱりと諦めるのが良い方法だと思われますわ。
「雑草でよければツメクサの干したのがありますが」
「ツメクサ?」
「皿が割れないように包んでおくのに使うんです」
「それ、食べられるの?」
 食べられませんとも!
「羊は食べてましたねえ」
「じゃあ食べられるんだ!それでいこう!」
 いいえ、行かないで下さい!ユーリさま、人間と羊は違うんですよ!
「他にもいろいろありますよ」
「とりあえず、七種類用意して」
「かしこまりました」
 今、のんびり喋っているのは、多分厨房の下働きの者だ。
 厨房で働きながら食材をよく知らないようだ。
 もう少し料理の心得のある者がいたら。
 なんでも料理長の持病の急性胃炎はユーリさまを見ると勃発すると聞くし。
 今頃は料理長は医務室だろう。
「おもちを入れるんだけど」
「おもちとはなんでございましょう?」
「えっとね、お米を突いて固めたもので・・あ、お米って言うのは麦みたいなもので」
「パンではだめですか?」
「・・・う〜ん、仕方ないか」
 ・・・あの厨房係、明日にはクビだわ。
 まったく、ユーリさまの発想だけでもとんでもないのに。
 ああ、厨房内にはいるべきかしら?でもユーリさまは内緒で行動しようとされていた。
 私がぎりぎりと唇を噛みしめていると、不意に肩を叩かれた。
「きゃっ!?」
 驚いて振り向くと、キックリが立っていた。
 キックリの顔は心なしか青ざめている。
「・・・驚かさないで」
「・・・ここでなにをしているんだ、ハディ?」
 厨房の外にユーリさまのそばを離れない私がいる理由に思い当たらない訳がない。
 それでも訊いてしまうのは、悲しいくらいの忠誠心のなせるわざなんだろう。
 私は思わず目頭が熱くなった。
 もし、お互いの使える主が反対だったら・・・そう思うとキックリの辛さもよく分かる。
「ユーリさまが何か作っておられるようです」
 思わず同情から離してしまった。
 キックリの顔に痙攣が走った。
「なぜ止めない?」
 止めるですって?あんなに楽しそうにしてらっしゃるのに?
 窓の中からはユーリさまの鼻歌が聞こえる。
 かちゃかちゃ物がぶつかる音がするのは鍋をかき混ぜているから?
「私にはできません」
 もし、陛下とユーリさま、どちらを選ぶのかと問われると、私は迷うことなくユーリさまを選ぶ。
 ユーリさまが悲しい顔をされるのは耐えられない。
 ユーリさまの喜びは私の喜び。この際、陛下の苦しみは置いておこう。
「大丈夫ですわ、今日は厨房係がついています」
「今まで一度だって大丈夫だったことがあるのか?」
 するどいつっこみだわ。
 私は俯いた。心苦しく思った訳ではなく、キックリに表情を読ませたくなかったからだ。
 鍋の中には得体の知れない物がほうりこまれているはずだ。
 もし、食べるのがユーリさまだったらどんなことをしてもお止めしただろう。
 けれど、食べるのは陛下だし。
 陛下は今までの実績から言ってもかなり丈夫な体質ではないかと思われるし。
「ハディ、いったい・・・」
「うわ〜できた〜〜っ!!」
 この世で一番幸せな瞬間のようにユーリさまが大声を出された。
「ちょっとしか出来なかったけど、仕方ないよね。冬だからあんまり材料もないし」
「これで完成なんですか?」
「そう、どうもありがとうね!」
 盛大な足音がしてユーリさまが飛び出して行かれたのが分かる。
 キックリは身を翻そうとして、思い直し、厨房への木戸を開いた。
「おい、おまえ!」
 室内では厨房係が驚いて振り返っていた。
「も、申し訳ありません・・・皇妃さまとお言葉を交わすなど」
 キックリの剣幕に慌てて這いつくばる。
「いや、そのことではない、今ここで何を作っていた?」
「は、はい。これで」
 厨房係がおそるおそる鍋を差し出す。
 中にはなにか禍々しいどろりとした緑色の物体がこびりついていた。
「ななくさがゆと言って、これを食べさせると健康になるんだそうです」
「食べさせる、だと?」
 キックリが細い目でじろりと睨む。
 厨房係は悪びれもせずに、目をぱちくりさせる。
 さっき、とんでもない食材(?)を提案した男だ。
「イシュタル様のお馬に差し上げるんでしょう?」
 彼は全く悪びれもせずに言った。
 そうだったら、どんなに良かったかしら?
 でもね、あれを召し上がるのはこの国の皇帝陛下なんですよ、驚いたことに。
 キックリは怒鳴ろうかと思ったのだろう。
 でも怒鳴らなかった。陛下に恥をかかせることになると考えたのだろうか?
 とりあえず、鍋を投げつけると、すぐに身を翻して外へ駆けだした。
 執務室に向かうのだろう。
 陛下にとってどうしても避けられない災厄ならあらかじめ知るのと突然なのとどっちがいいのだろう?
 心準備がある方がダメージが少ないのか?
「あの、一体?」
 厨房係は突然皇帝侍従が飛び出していった理由に思い当たらずにおどおどと私を見た。
 私は盛大にため息をつく。
 転がる鍋の中の緑色を見下ろす。
 これを陛下が食べるというと、帝国の威信にも関わる気がするしねぇ。
 それにユーリさまの料理の腕のことも・・・
「このことは他言無用です」
 とりあえず、ユーリさまのために口止めをしておこう。
 あとは、陛下、頑張ってください。


                     おわり

     

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