おにはそと!
また節分がやってくる。
また子ども達にアーモンドをぶつけられながら逃げ回らないといけないのか。
あれは当たると結構痛いのだ。
私がそんなことを思いながら浮かない顔で書簡を眺めていると、そばで大きなため息が聞こえた。
あちらでユーリが執務机に頬杖をついてこれもまた浮かない顔だ。
「どうした?」
なにか問題でも持ち上がったか。
まさか私と同じく仕事中に考え事にふけっていたとは思わずに訊ねる。
するとユーリは、ちらりと私の顔を眺めるとまたしても大きなため息をついた。
「どうしたんだ、ユーリ?」
「だって、カイルじゃないとね・・・」
なんだって?私でないとなんなんだ?
私は持っていた書簡を置くと立ち上がる。
ごく無意識にさりげなく、立ちはだかるイル・バーニを押しのけてユーリのそばに近づく。
「私でないと、どうなんだ?」
顔をのぞき込み、やさしく微笑む。
ついでに手を伸ばして、指先でユーリの頬のラインをなぞる。
「えっと」
口ごもったユーリに、さらに顔を近づけてささやく。
「なんだい、言ってごらん」
ユーリは少し頬を染めた。そんなところがいくつになってもかわいい。
恥ずかしそうに睫毛を伏せてからユーリは、おずおずと私の顔を見上げた。
「マリエがね・・・」
「ああ、マリエが」
言いながらさっとユーリの腰に腕をまわして抱き上げる。
素早くユーリ用の椅子に腰を下ろし、膝の上に抱えた身体をおろした。
うむ、準備万端だ。
視界の端っこに、顔を引きつらせたイル・バーニが見えたが無視する。
「マリエがどうした?」
しっかり腕の中に抱き込んで、顔がくっつきそうなほど近づけた。
ユーリ付きの書記官が慌てて、机の上に書簡を戻して出て行こうとする。
ユーリはと言うと、もじもじと両手の指を弄びながら口ごもっている。
「言いにくいのなら、他の者をさがらせよう」
じつはすでに執務室は空に近い状態だった。戸口でぐずぐず踏みとどまっているイル・バーニをのぞけば。
私の言葉はイルへの牽制だった。
もちろん、すぐにドアは閉まり、私たちは二人っきりになった。
「あたしは止めたんだけどね」
意を決したようにユーリは言った。
「マリエがね、鬼になりたいって言うの」
「は?」
・・・鬼?
鬼というのは、あの節分にアーモンドをぶつけられる!?
「危ないからやめなさいって、何度も言ったんだけどね、あの子聞かなくって」
一瞬、私の心は今年はもうアーモンドをぶつけられなくて良いのだという喜びで明るくなり、次の瞬間冷え込んだ。
マリエにアーモンドをぶつけるだと?
あざでもできたらどうするんだ!
「デイルやピアも反対したのよ?思いっきりぶつけられないからイヤだって」
そうか、妹思いだな・・・というか、今まで父親の私に思いっきりぶつけていたのか??
思わず眉間に皺がよる。
「でも本人がどうしても、って言うし」
「分かった、ユーリ」
うつむいてしまったユーリを見て私は咳払いをした。
多少引っかかる点はあるが、言いたいことは分かった。
マリエを思いとどまらせればいいのだな?
大丈夫、私は普段から言い出したら聞かない女の扱いには慣れている・・・母親のユーリのおかげで。
ユーリの顔が輝いた。
「本当、カイル?」
「ああ、なんとしても説得しよう」
「嬉しい!」
ユーリに抱きつかれながら、私は何度も頷いた。
鬼になってアーモンドをぶつけられるのは痛いが、かわいい娘にぶつけることに較べたらなにほどのものだろう。
それに痛い思いをした後は、ユーリにたっぷり労ってもらうという毎年の楽しみもあるのだ。
「やっぱりカイルに相談して良かった!すっごく頭が固くて困っていたのよね。でもカイルの命令なら絶対だもんね」
「命令?大げさだな」
まあ、父親の権威というものかな?
しかし、頭が固いだと?ひどい言いようだな。
「だって、あの人、年寄りだからかガンコなんだもん!」
「とし・・・より?」
なんのことを言っているのだ、ユーリ?
ユーリは私の首に腕をかけたまま、思い出したように唇をとがらせた。
「だって、せっかくマリエが鬼なんだもん、虎の毛皮の服を着せてあげたいじゃない?」
「虎の・・・皮・・・」
「だからカイルの戴冠式の時のマントを使おうと思ったのに、出してくれないのよ、あの侍従長!」
・・・侍従長・・・?マント・・・?
彼か!
そうだ、以前ユーリが鬼役の私のために切り取ったマントを卒倒せんばかりに握りしめていたのは侍従長だった。
皇帝の戴冠式でしか使われない貴重な毛皮のマントだった。
あのマントはあの後、継ぎ合わせたと聞いたが・・・
「私が命令するのは侍従長なのか?」
ユーリは不思議そうに私の顔を見返した。
「そうよ、他の誰だと思っているの?」
ユーリ、あのマントは代々の皇帝が身につけていた・・・いや、よそう。
こんなコトを言っても仕方がないだろう。
どうせ前にもあたしが切り取ったとか、また継ぎ合わせればいいじゃないとか言いそうだ。
「・・・分かったよ」
それよりなにより、一度引き受けたものを翻してユーリの落胆した顔を見るのは忍びない。
「うん、お願いね!うふふ、カイル、だぁ〜い好きっ!」
頬に押しつけられる柔らかな口唇を感じながら、私は「どうやら新しい侍従長を探すハメになるかも知れないな・・・」とぼんやりと考えるのだった。
おわり
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