True love



 朝からあいつの姿が見えない。
 探しに行かせようかとも思ったけれど、この宮に使用人は少ない。
 出仕前の慌ただしさに紛れて声をかけられなかった。
 ぼくの身の回りの世話をする侍女も、まだ雇い入れていない。
 あいつがぼくのことは自分がすると言い張ったからだ。
 父上はそれを聞くと苦笑して、あいつの世話をする者だけでも置くといいと仰った。
 これからは公式の席にも出るだろうし、女性の支度はなにかとややこしいからだ。
 もっとも、着飾らせることに私ほどには苦労しないだろうがな。
 父上はかたわらの母上を見ると、心底愛おしそうに目を細めた。
 あてられ気分で王宮を辞すると、宮に戻ってもまだあいつの姿はなかった。
「ところで・・・」
「「お探ししましょう!」」
 口を開いたとたんに、双子が声を揃える。
 まだなにも言っていないぞ。
「「トゥーイさまですね!」」
 『さま』を強調しながらにやにや笑う。
「そうだ」
 できるだけ平然と答えようとしたのに、頬が熱くなる。
 王宮にいた頃はあいつは母上の侍女の一人で、まだ双子たちとは名前を呼び捨てあう仲だった。
 それが、ぼくが宮に独立すると同時に、なぜか妃扱いになってしまった。
 もとはといえば、母上の勘違いか。
 侍女の一人を譲って欲しいと申し出たら、すっかりそのつもりになったのだ。
 いや、下心がまったくなかったわけでもないけど。
 引っ越しの日には母上はあいつのために木箱にいくつもの荷物を用意した。
 家族のいないトゥーイにはあたしが後見人よ。
 驚きのあまり口をぱくぱくさせているあいつの手を握って、母上は真剣に言った。
 デイルを頼むわね?
 というわけで、ぼくは父上と母上がその昔、蜜月を過ごされた宮に、新しい妃を連れて引っ越す羽目になったってわけだ。
 思い出したらまた顔が赤くなった。
「ぼくも探すから、手分けしよう」
「「分かりました!!」」


 とりあえず、居室が並ぶ棟に足を向ける。
 何人の妃を迎えても大丈夫なように、この宮にもいくつもの部屋がある。
 ぼくの部屋のもっとも近くは正妃のための部屋で、一番豪華で広い。
 あいつはそこを使うことは固辞した。
 そんな、皇妃さまがお使いになった部屋なんてダメです!
 あら、使ってないわよ。
 母上はのんびりと言う。
 だって、あたしはずっと陛下と同じ寝室だったもの。あなたたちもそうするの?
 まだ、そこまでいってないんだってば!
 ぼくは熱くなった頭を振りながら、廊下をずんずん進んでいく。
 あいつの部屋は一番東の端だ。
 もっと、近くでもいいのに。
 そう思ったけど、好きにさせた。
 お互いの気持ちは分かっている。
 時々は抱きしめてぬくもりを確かめることもある。
 だけど、あいつにはまだ覚悟ができていないところがある。
 この国でやがては最高の地位につく、ぼくの妃に名実共になるということへの。
 あたしでいいの?
 瞳の奥で、その問いが揺れる。
 負けん気の強いあいつが時折見せる弱さだ。
 小さな部屋は綺麗に片づけられている。
 ぼくは整えられた寝台や、木のテーブルの上に置かれたランプを眺める。
 どこに行ったのだろう。
 朝食の席でワイン壺を抱えたまま、ぼくのカップが空になるのを待っているあいつ。
 帰ってきたぼくに駆け寄ってマントを受け取るあいつ。
 気がつけば、毎日のそこかしこにあいつの姿がある。
 まるで寄り添う空気のように。
 ぼくは大きくため息をつく。
 あと、一歩。
 あと一歩だけ踏み出してくれたら。
 その勇気に応える準備はできているのに。


 扉を閉めると、角を曲がる。
 宮の裏方とも言えるゾーンで、そこからは倉庫や厨房が並ぶ。
 そんなことはしなくてもいいとなんど言っても、あいつは下働きに混じって働こうとする。
 身体を動かすのは好きだから。
 あいつは屈託なくそういうと、抱き寄せようとしたぼくの腕をすりぬける。
 いったいどうすればいいのだろう。
 もういちどため息をついた時、小さな叫びが聞こえる。
 声は廊下から数段下がった厨房からだ。
 くりぬかれた入り口をのぞき込むと、両手を頬にあてて困惑したあいつがいる。
「トゥーイ」
 名前を呼ぶ。
 かまどをのぞき込んでいたトゥーイは驚いたように振り返る。
「皇子、どうしてここへ!?」
 言いながら近づくぼくから後ずさる。なにか隠しているようだ。
「おまえを探していたんだ」
 彼女が背にしたかまどを覗こうとして押し戻される。
「皇子がこんなところに来ちゃだめです!」
「ここはぼくの宮だから、ぼくはどこにでも行く権利があるんだよ」
 頭ひとつ分小さい身体を押しのけると、かまどの前に置かれた固まりを見る。
 それは小さなパンのようなもので、濃い色をしている。
「見ちゃだめ〜!」
 悲鳴を上げてすがりつく身体を抱き留めながら首をかしげる。
「これ、なんだい?」
「だって、皇妃さまみたいに上手くできなくて」
 ボクの背中に顔を押しつけたまま、トゥーイが小さい声で呟く。
「母上みたいにって・・・」
 突然、脳裏に閃く。
 そう、これはあの母上特製のチョコレートケーキの出来の悪い・・・いや、出来の良すぎる模倣品だ。
「これ、ぼくに?」
「こんな失敗作、だめです!」
 トゥーイの腕がぼくを締めつけるけれど、手を伸ばしてチョコレートケーキをつまんで口に含む。
 ほんのりと甘かった。
「おいしいよ」
「うそっ!?」
 腕がゆるんだ拍子に、身体をひいて素早く両腕の中に閉じこめる。
「本当。どうしてケーキを作る気になったんだ?」
 トゥーイはたちまち頬を染めてうつむいた。
 大きな栗色の瞳が見えなくなって少し残念だ。
だって・・・から・・・
「なに?」
 それはあまりに小さな声で、ぼくは身体をかがめないと聞き取れない。
「だって、女の子から好きな人に作るものなんでしょう?」
 とても小さな声だったけど、ぼくの身体を震えさせるには充分だった。
「それは、妃になってくれるってこと?」
 これからずっと先もいつもそばにいてくれるってこと。
 耳まで真っ赤な頭がこくんと頷いた。
 いつものトゥーイらしからぬ、小さな小さな声が、やっとのことで答える。
「・・・・・・・・
はい
 ぼくは回した腕に力を込める。
 踏み出してくれた勇気をありがとう。
 すっかりぼくの胸に顔を埋めてしまったトゥーイの向こうに、湯気を上げたままのケーキが見える。
 母上の持ち込んだ受難のバレンタインデイ。
 今日は生まれて初めてこの日に感謝しよう。

     

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