おとぎばなし



 朝食の席に彼が遅れてくるのは珍しかった。
 マリエは膝の上に抱えた包みのはしを所在なげに指先でもてあそぶ。
「いったい、どうされたのかしら」
 ぽつんと漏れた言葉に、双子が困ったように顔を見合わせる。
「なにか、殿下の御身の上に・・・」
「いつもより遠くまで足をのばされているのでは?」
 朝食前に彼が領内を見回ることはいつものことだったので。
「時々は遅くなられることだってございますわ」
 その言葉にマリエは小首をかしげる。
「そうかしら・・・」
 思い起こそうしたところで、ただの一度か二度、明け方に急に天候が変わった時のことしか浮かばない。
 二人が朝食の場に選んだのは中庭に向けて大きく開いたテラスで、細い枝の先には澄みわたった青空が広がっている。
 ようやく暖かくなってきたからと、金糸を織り込んだ珍しい敷物をそこへ持っていくようにと命じたのは彼なのに。
 こんな気持ちの良い朝に、なにが彼の足をとどめているのだろう。
「さあ、殿下がおいでになるまでワインでもお召し上がりくださいませ」
 差し出されたカップには手を触れず、マリエは膝の上に視線を落とした。
「今日は特別な日なのに」
 指折り数えてこの日を待った。
 なのに、彼はいない。
 小さなため息とつくとマリエは包みを取り上げた。
 この地に嫁いでからまだ日も浅い。
 ようやく交わす会話からもぎこちなさが消えてきた頃だと思っていた。
 彼と一緒だと感じない里心が、こんな風に取り残された時はふいに胸にわき上がってくる。
「さあ、ワインを」
「果物を召し上がりますか?」
 両脇からの言葉に頭を振る。
「ううん、殿下をお待ちするわ」
 言いながらも瞳に熱いものが溢れてくる。
 今にもその滴がこぼれそうになった時、マリエの耳に慌ただしい足音が聞こえた。
「ほら、殿下ですわ」
 双子がどちらともなく声を弾ませる
 テラスに続く回廊を走る姿。
 息せき切って飛び込んだ彼の姿を見て、マリエの頬に笑顔が戻る。
「姫、遅くなりました」
 ぐいと手のひらで目元をぬぐうと、マリエは胸元の包みを握りなおした。
「もう『姫』ではありませんわ」
 彼はちょっと目を見張り、それからはにかんだ笑顔を浮かべた。
「そうですね、公妃」
 それから抱えていた一枝をそっと差し出した。
「これを見つけました。最初に開いた花です」
 それは長い冬の終わりを告げる白い花。
 震えるように控えめに、そっと蕾から顔を覗かせた花びら。
「公妃に差し上げようかと思って」
 その枝に手を伸ばそうとして、思いとどまったマリエは眉を寄せた。
「困りますわ、殿下」
 彼は拒絶を予想していなかったのか困惑した表情を浮かべる。
「この花は・・・お嫌いでしたか?」
「今は受け取るわけにはまいりませんわ」
 澄まして答えて、戸惑っている彼の姿に堪えきれずに肩が震える。
「だって、今日はわたくしから殿下に差し上げようと思っていましたのに」
 さっきまでの不安はもうどこかに行ってしまっている。
 マリエは揃えた手のひらの上に、大切な包みを載せて彼に差し出す。
「バレンタインデイの贈り物です」
 この日のためにずっと前から用意していたもの。
 包みを開く彼の顔をいくども想い描いた。
「バレンタインデイ?」
 彼はマリエの前に膝を着くと、花の枝をわきに置いてそっと包みに手を伸ばした。
「いただいていいのですか?」
「いいんです・・・だって今日は」
 澄ました顔はいつまでも保たない。おかしいくらいに赤くなりながらマリエは続けた。
「女性が一番愛する人にプレゼントする日なんですから」
 彼の手がマリエの手ごとプレゼントを包んだ。
 その手は冷たくて、こんな風に暖かすぎる日にはちょうどいいとマリエは思った。
 うつむいたマリエの膝元に白い花がほころんでいる。

 もう時期、この国中で花が咲くようになるだろう。
 そうしたら、殿下の戦車に乗せてもらって、二人でお花見に行こう。


           おわり    

     

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