きくえさん奥にて47000番のキリ番ゲットのリクエストは「珍しく本気で喧嘩するユーリ&カイル」です。二人の喧嘩の理由になるって、どんなことでしょう。


epiphany


 遠くで鐘が打ち鳴らされるのが聞こえる。
 甲高いその音は余韻を響かせるように長い間隔で繰り返される。
 ユーリは枕に埋めていた頭をのろのろと持ち上げた。
 左の腕は重しをのせられたように力が入らない。
「あの音は・・・」
「まだ起きあがってはいけませんわ」
 慌てて駆け寄ったハディが、肩に手を添えてもう一度寝台の上に戻そうとする。
 目の端に、窓に板をおろそうとするリュイの姿を捉えて、ユーリは跳ね起きた。
「あの音はなんなのっ!?」
 さっと目を伏せた三姉妹を見て、絶望が広がる。
 この青銅の鐘を叩く音は以前にも耳にしたことがある。
「・・・処刑なのね?」
 返事がないのを肯定ととって、寝台から降りようとした。
「ユーリさま!」
 ハディが慌てて腕を差し出す。
 起きあがると視界が回った。熱が出ているらしい。
「いけません、ユーリさま」
「だめよ、処刑なんてさせない」
 言いながら立ち上がろうとするが、床に足先がついたとたんによろめいた。
「お願いです、安静になさってください」
 悲痛な声で叫ぶハディの顔を眺める。
 腕が焼けつくように痛む。斬りつけられたのだ。
「ハディ、お願い。処刑場に行って」
 ほんの少し喋るだけでも息が上がった。
「タワナアンナの命令だと伝えて処刑をやめさせて」

 まだ若い男だった。
 地面に平伏する背中には逞しく筋肉が盛り上がっていた。
 兵士として訓練を受けた者なのだろう。
 その時、何気なくそう考えた。
『イシュタル様に申し上げたいことが』
 側近の制止をおさえて歩み寄ったのは自分なのだ。
 瞬間、きらめいた白刃。とっさに飛びのいたが、左腕に痛みが走った。
 女官達の悲鳴と、三姉妹の抜きはなつ剣が交錯する。
 たちまち殺到する衛兵たち。
『殺さないで』
 そう声が出せたのかどうかも分からない。
 ただ、流れていく血が意識を奪った。

「あたしのために誰かが死ぬなんて耐えられない」
「ユーリさまの命を狙った者です」
 涙ぐみながらもきっぱりとハディは言った。
「皇族を傷つける者は死罪です」
 あれは訓練された刺客だった。
 完全に間合いを読んで斬りつけてきた。
 予想を上回る敏捷さで致命傷を避けたユーリに驚きの表情を浮かべた。
「被害者のあたしが許すと言ってるの」
「ユーリさま」
 揺れる身体に腕を添えて寝台に導きながらハディは静かに頭を振った。
「これは皇帝陛下と元老院の決定です。たとえ皇后陛下が反対を唱えられましても、覆すことは出来ません」
 では、カイルを説き伏せなくては。
 ゆがむ扉を睨みつけながらユーリは思う。
 今すぐにカイルのもとに行かなくては。行って、処刑をやめさせなくては。
「鐘が止みましたわ」
 震える声でリュイが告げる。
 喉から悲鳴がせり上がりそうになる。
 ユーリは動く右手をあげて顔を覆った。頭痛と吐き気が襲ってくる。
「お願い、一人にして」
 あの青年の顔がまぶたにちらつく。
 彼の強張った顔を彩っていたのは、明らかな殺意だった。
 どうして?
 しかし問いたくても、その相手はもういないのだ。



「この国の人間ではない」
 掛布をかぶったままのユーリにカイルは話しかける。
 丸めた背中を向けたまま、ユーリは黙りこんでいた。
「お前が眠っている間に、取り調べたがなにひとつ分からなかった。持っていたのは青銅の剣だ」
 研ぎ澄まされてはいたけれど、鉄剣には切れ味の劣るそれはユーリの腕に不定形の傷を残し、そのせいで発熱が続いた。
 王宮に運び込まれたのは知っている。飛び出してきた蒼白のカイルの腕に抱き上げられたのを覚えている。
 なま暖かい血が流れ出し、体温が下がっていくのも分かった。
 何度も名前が呼ばれた。
 なにか答えようとして、引きずりこまれるように闇に堕ちた。
「周囲にいた者から証言は取っている。起きあがれるようになったら見せよう。
 それまでは身体を治すことだけに専念してくれ」
 まだ身体は冷えている。敷布をきつく巻きつけて目蓋を強く閉じる。
「ユーリ?」
 背中に手がかかる。
 布越しに伝わる暖かさに一瞬力が抜ける。
 だが、処刑を命じたのは彼なのだ。
「どうして・・・」
 声はかろうじて喉から絞り出された。
 カイルが背中に顔を近づけるのが分かった。
 背中の手を振り払うように、ユーリは身体を向けた。
「どうして、処刑したの?」
 人をいたわることのできる人間が、同じ手で人を死に追いやることが信じられない。
「お前を傷つけたからだ」
 なんのためらいもなく、カイルは言った。
 愛おしむ指先が、熱で湿った髪を撫でつける。
「お前を私から奪おうとした」
 指先は髪から頬、肩先、包帯の巻かれた腕に流れていく。
 その下にある傷をユーリはまだ目にしていない。
「その場で切り捨ててやりたかったほどだ」
 口にする冷酷な言葉とは裏腹に、カイルは微笑んだ。
 まるで昏い陽炎が立ちのぼるような笑みだった。
「お前の意識がない間、私がどんな気持ちだったと思う?」
 記憶は断片でしかない。
 止まらない震えを抱きしめていた身体。
 渇いた喉に流し込まれた水。
 強く握りしめていた手のひら。
 ユーリは唇を噛んだ。
 どんな気持ちでいたかは分かる。
 朦朧とした不安の中でユーリもまた必死に手を伸ばしてたぐり寄せようとしていたのだから。
「あたしが目覚めるまで、待つくらいのことはできたでしょう?」
 それでも、真っ直ぐに目を見て問いかける。
 危険にさらされたのが自分の命であるならば、なおいっそう、あの男に真実を問いたかった。
 どうしてあたしを狙ったの?
 誰に頼まれたの?
 それとも自分で思いついたの?
 無事に逃げられるなんて思っていなかったでしょう?
 危険を冒してまで、狙う必要があったの?
「元老院は招集した。正しい手順は踏んでいる。お前が心配するようなことはなにもないんだ」
 穏やかなカイルの声に、ユーリは目を見開いた。
「・・・違うわ。これはあたしに起こったことなのよ?どうしてあたし抜きで話を進めたの?」
 まるで幼子の言葉を宥めるようにカイルはユーリの頬を軽く叩いた。
「治療に専念して欲しいからだ。なにも考えずにゆっくりお休み」
 話を打ち切ろうとするような言葉に、ユーリの頬は紅潮した。
 触れていた手を振り払う。
「カイルはあたしの気持ちを無視している!」
 それはあの刺客の暗い瞳を覗いていないからだ。
「あたしがどんな気持ちでいるかなんて考えてない!」
 彼があの瞳を持つことになった理由は、永遠に解けない謎になってしまった。
 彼は死んだのだ。
 カイルの下した決定のせいで。
「熱のせいで気がたかぶっているんだ。今はお休み」
 肩に添えられた腕から身を遠ざける。
「触らないで!あたしに構わないで!」
 身体を動かせば視界がぐらぐらと揺れる。自分で自分の身体を抱え込みながら、ユーリは精一杯にカイルを睨んだ。
「カイルは人の命の重さなんて考えたことがないんでしょ。刺客だからってあっさり処刑してしまえるんだ」
「では、お前の命を狙った者を生かしておけと言うのか?」
 カイルの瞳の奥に、ちらりと炎が灯った。
「この国では皇妃の命を狙おうが罪にはならないと世に知らせろと言うのか?」
 言葉に滲む怒りに、気圧されて息を飲む。
「そんなこと、言ってない。あたしはただ・・・」
「同じ事だ。あの男が処刑されなければ、同じ事をしようとする者はいくらでも出てくるだろう」
 冷たいまでに澄んだ目がユーリを映した。
「ヒッタイトの女神を奪ってこの国の衰退を望む者、私への復讐、単なる功名心。そいつらすべてを、慈悲深いお前は笑って許してやるのだな?」
 顎に手を当てると、顔をのぞき込む。
「ご立派な女神さまだ」
 萎えかけた心が、その言葉でふたたび燃え上がった。
 こんな風に揶揄することが許されるはずがない。
 望んでこの地位にいる訳ではないのだ。ただ、彼のそばにいた結果がこうなっただけなのだから。
「・・・出ていって。顔を見たくないの」
 噛みしめた歯の隙間から押し出すように言うと、顔を背けた。
 寝台が揺れ、カイルが離れたのが分かった。
 すぐに扉の閉まる音が聞こえた。
 背中を這い登る寒気に、身を震わせるとユーリはもう一度きつく掛布を巻きつけた。
 涙があふれてくる。
 悔しいからだ。一番分かって欲しい人と心を通わせられない。
 歯の根が合わない。また熱が上がり始めるらしかった。



「もし御気分がよろしいようでしたら」
 暖かい湯に浸した布でユーリの髪を拭きながらハディが言う。
「一度でいいのでテラスでお顔をお見せ下さいと。お断りはしたのですが」
 困ったように眉を寄せる。
「そんな、姉さん。ユーリさまはやっと熱が下がられたばかりなのよ?」
「お食事だってあまり召し上がれないのに」
 妹たちの言葉に、ハディはため息をついた。
「私もそう言ってお断りしたんだけど、市民たちの中にはあの事件を目撃したものもいるから」
 ユーリは包帯に包まれたままの左腕を撫でた。
「元老院議長じきじきのお願いなのね」
 多少はふらつくが、歩けないことはなかった。
 誰かに支えてもらえば、テラスで市民に手を振ることぐらいできるだろう。
 誰か、と考えて頭を振る。
 皇妃の横に並ぶのに皇帝ほどふさわしい相手はいないだろう。
 けれど彼には頼めない。
「あまりご無理をなさっても」
 髪を櫛けずりながら、なおも心配そうにハディは言う。
「まだ早いって陛下が言って下されば・・・」
 姉の睨みにシャラが首を竦めた。
 数日前から異変が起こっている。
 普段から夜は必ず皇妃と過ごし、事件の後は昼夜と無く付き添っていた皇帝が、いまは後宮に足を踏み入れることさえしないのだ。
 表向きの理由は、看病のためにおろそかになっていた政務を片づけるため、または皇妃の分の仕事も抱えているため、と、されている。
 しかし、たとえどんなに過密なスケジュールでも、最愛の妃が病の床に就いているのに顔さえ覗かせないのはおかしいと、側近たちは考えている。
 なにか、ふたりの間にあったのだ。
 そのなにかを問うことは出来ないが、変化が起こったきっかけは分かっている。
 皇妃ユーリ・イシュタルを弑虐しようとした刺客の処刑の日。
 ユーリが処刑に反対することは予想出来た。だから皇帝はすばやく決定を下した。
 ふたりの間で感情のすれ違いが起こったのなら、おそらくそれが原因だ。
「大丈夫、出られるよ。みんなに心配かけたもんね」
 明るく言うと、ユーリは思い切り伸びをした。
 左腕の傷が引きつれて、顔をしかめる。
「うん、寝てるだけじゃ身体がなまっちゃう。議長にいつでも良いって伝えて」
「本当によろしいのですか?」
 ハディの言葉に、吹き出す。
「やだなあ、ちょっと手を振るだけでしょ?すぐに済むもん。あ、服は動きやすいのにしてね?裾を踏んづけたら目も当てられない」
 ただでさえふらつくのだ。リスクは減らした方がいい。
 もしカイルがいたなら、回した腕が力強く腰を支えてくれるだろう。
 けれど、顔を会わせたい気分ではなかった。
 ご立派な女神さま、という言葉がまだ胸で疼いている。
 テラスで手を振るという行為はいかにも女神にふさわしい。
 政務も、軍務もカイルに助けられてやってきた。
 自分が半人前なのはなによりも分かっている。
 お飾りの女神でしかないのは誰よりも自分が知っているのに。
 思い出してまた唇を噛む。
 そんな分不相応な地位を受け入れてきたのは何のためだったのだろう。
 テラスで手を振るたびに熱狂する人々が、なぜ自分を崇めるのか分からない。
 口をきいたこともない名も知らない人々が、どうしてそんなに心を寄せてくれるのか未だに分からないのだ。
 そして、名も知らない男が、自分を殺そうと思い詰める理由も。
 誰かの命をあっさりと犠牲に出来るほど、自分の命は重いのだろうか?
「では、議長にお知らせしますね」
 くれぐれも無理はされないようにと、ハディはクギを刺すのを忘れなかった。




 三姉妹の選んだ服は固い張りのある布で、足に絡みつくことはない。
 胸の辺りは華やかな襞で飾られて、ここ数日でただでさえ細かった身体がさらに痩せたのを隠せた。
 ユーリは慎重に歩を運んだ。
 左腕が動くとまだ痛むのだ。
「おお、イシュタルさま!」
 両手を拡げて、元老院議長が現れる。
「すっかりお元気になられたようですな」
 ユーリらしからぬ足の運びも、身分の高い優雅な婦人たちを見慣れている彼にはおかしいところはないのだろう。
「どれくらい集まっているの?」
「見渡す限りです」
 両手をすり合わせるようにして、彼は何度も頷いた。
「なにしろ、イシュタルさまがあのような目に遭われたのは街なかでしたからな、たちまちのうちにお怪我のことが伝わってしまったのです」
 そう、あれは数人の供を連れて、神殿に向かう途中だった。
 輿には乗らずに歩いていく。そうすれば、街の人々の暮らしを見ることもできるし、気軽に話を聞くこともできた。
 いつもそうしていたのだ。
 カイルは、皇妃が歩くことに難色を示す式官を片手で制すると、警護だけはしっかりつけるようにと言った。
 それすらも堅苦しいからと、離れて歩くように命じたのはユーリだ。
 もし、あの時カイルの言うことを守っていたらどうなったのだろう。
 少なくとも、ユーリが斬りつけられるようなことはなかったのだろうか。
「毎日、門前に民衆が押し寄せてたいへんだったのですよ。だから朝夕にお体の回復具合を知らせることにしたんです」
「そうなの?」
 数日は熱で朦朧としていた。自分が寝込んでいる間に、そんなことがあったのか。
 思ったよりも多くの人々に心配をかけていたのだ。
 議長はその時のことを思い出したのか、顔をしかめた。
「あの男は最初神殿に捕らえていたのですが、あまりに民衆が押し寄せるので王宮の地下牢に移しました。
処刑場に連れて行く時も投石がひどくて、刑吏が怪我をしたほどです。
法だけでしか人を裁くことは許されないと、陛下が仰せにならなければ、八つ裂きになっていたでしょうな」
 議長の言葉に、ユーリは立ち止まった。
「陛下が?」
 その話を聞くことは避けていた。自分の命を狙ったために別の誰かが命を落としたという事実は重すぎたから。
 刑の行われる様子は初めて聞いた。
「陛下は、裁判でどう仰ったの?」
「なぜイシュタルさまを狙ったのか、と」
 議長は憤りを思い出したのか頭を振った。
「あの男は黙秘を通そうとしました。我々はすぐにも処刑を望みましたが、陛下はあの男に尋ねられたのです」
 なぜ狙った?危険なことだと分かっているのに。
 なによりも訊きたいことだったのだ。
 半ば呆然としながらユーリは訊ねた。
「それで、なんて答えたの?」
「『皇后は女神だからだ』です」
 胸の奥からなにかがゆっくりとせり上がってきた。
 叫び出したい衝動をかろうじて抑えると、足下がふらついた。
「ユーリさま!」
 駆け寄る三姉妹より先に、大きな手のひらがユーリを支えた。
 慣れ親しんだ息づかいに目蓋を閉じる。
「イシュタルさま?」
 不安げな議長に言葉が返される。
「大丈夫だ、私がついている」
「カイル・・・」
 肩を震わせながらつぶやくと、すぐに腕の中に包まれた。
「なにも心配しなくていい。私がついている」
 繰り返される言葉に、広い胸にしがみついた。
「あたしは女神なんかじゃないのに」
 気弱な言葉がもれる。
 女神だから、慕う人々。女神だから、憎む人々。
 女神になろうと望んだのではない。ただ望んだのはたった一つのことだけなのに。
「すまない」
 カイルの言葉は、髪に押しあてられた口唇から、熱のようにユーリに染み込んだ。
「お前に無理ばかり強いている。私のそばにいなければこんな思いはしなくていいのかも知れない」
 長い指で頬を包まれて眼を合わせる。
「それでも、私はお前をそばに置きたい。ゆるしてくれ」
 謝罪の言葉だった。
 カイルはいつも訊ねた。
 お前はどうしたい?
 そう、いつだってユーリの話を聞こうとしてくれた。
 なぜ思いやれなかったのだろう。
 ユーリ以上に、カイルは苦しい立場に悩んでいたはずなのに。
 それを責めてしまった。彼を傷つけた。
 謝罪しなければならないのはユーリの方だった。
「・・・ごめんなさい」
 小さく言うと、下げた頭を胸に預ける。
 口には出さないけれど、いつの間にか交わされた約束があった。
 女神でいること。
 カイルの背負う重荷を少しでも肩代わりするために。
 二人が一緒に歩いていくために。
 そのためには不可欠のことだった。
 肩の上の腕に手をかける。
「テラスに出なくちゃ。一緒に出てくれるでしょう?」
 微笑んだカイルを見て、ユーリもまた笑顔を返した。
 二人で指先をからめる。
 抱擁しあう二人を呆然と見ていた議長を振り返る。
 自然に背筋が延びた。
 超然とした女神のように。
「みんな、待ってるわ」
「ああ」
 カイルは頷くと、そっとユーリの腰に腕をまわした。
 その腕は力強くて暖かい。
 耳を澄ますと、微かにざわめきが伝わってくる。
 扉の向こう、テラスの下に人々が集まっている。

 ユーリは、真っ直ぐに顔を上げると踏み出した。 

     

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