White love



    待っててね ぜったい あなたの 役に立ってみせるから


 つんと肌を刺すような寒さに、あたしは掛布をたぐり寄せる。
 どこか懐かしいような寒さ。
 部屋一杯に満ちた光がまぶたを通しても感じられる。
 朝だ、起きなきゃ。
 もうすぐママの声がする。ほら、トーストの焼ける匂いが・・・
 でも愛用の目覚ましはなぜ鳴らないの?
 あたしは、いやいやながらまぶたを持ち上げる。
 おでこのあたりまで引き上げた布団の隙間から見えるのは、複雑な模様の布。
 ベッドの上からカーテンのように下げられた布は、白々と光を通している。
 そうだった、ここはあたしの育った家じゃない。
「お目覚めですか、ユーリさま?」
 もそもそと起き出したあたしの気配に、垂れ幕の向こうから声がかかる。
「うん、起きた。おはよう、今朝は寒いね」
 さらりと布を掲げて、リュイが微笑む。
「おはようございます」
 吐く息が白かった。
「今日は冷えますよ。珍しいことに雪が積もっていますから」
「雪?」
 ベッドの上に座り込んで、開けっ放しの窓を眺める。
 ここから外の風景は見えないけれど、差し込む光が照り返しのように明るい。
 そういえば、ここは気候は温暖でこんなに冷えこむことは初めてだった。
「今日も『安息の家』を訪問されるのでしたら、暖かい服装にしてくださいね」
 リュイは分厚そうな衣装を抱えている。
 あたしは思いきって伸びをする。
 そうだ、安息の家に出かけなきゃ。
 今日はようやく歩けるようになった人のリハビリにつき合うのだった。
「けど、あんまり動きにくいのはいやだよ」
「分かってますわ」
 その時、廊下に通じる扉が開く。
 後ろ向きに背中を見せているのはシャラだ。
「さあ、こっちよ」
 前屈みになって、なにか重そうなものを運んでいる。
 リュイが慌てて垂れ幕をひいてあたしを隠そうとする。
 身分の高い女性はあまり人前に姿を見せないものなんだって。
 おまけに今のあたしは寝間着だし。
 あたしに気がつかないシャラは二人がかりで抱えた荷物の反対側を持ち上げている女性に話しかける。
「ホントに今朝は寒いわ」
「そうですねぇ、もうすぐ新年の祭なのに。こんな時に雪が降るなんて」
 応えたのは厨房の下働きだろうか。後宮の侍女たちより粗末な服装で体格がよい。
 この国ではよく見かける濃い色の髪にはところどころに白い物が混じっている。
 ふくらんだ頬がつやつやした、人の良さそうな中年の女性だった。
 おしゃべり好きそうな彼女は声を潜めた。
「こう言っちゃなんだけどね、王太子殿下の軍がおされてるって言うじゃないか。
今まで一度だって負け戦はなさらなかった、ってのに。雪だってそのせいかも知れないよ」
「王太子は負けてるの?」
 あたしの声に、下女は荷物を取り落としそうになった。
「ユーリさま!?」
 首だけねじ向けたシャラが声を上げる。慌てて下女に合図して荷物を床に下ろした。
 あたしは寝台から飛び降りた。
「ねえ、王太子の軍が・・・」
「お許し下さい!あたしはなんにも知らなくて」
 あたふたと下女は頭を下げると、廊下に飛び出した。
 きっと、あたしに叱られるとでも思ったのだ。
 ここの部屋まで入ることは許されていない身分なのだろう。
 それになんと言っても後宮の主人の不名誉なうわさ話だ。
 あたしが廊下に首を覗かせると、下女の姿はどこにもなかった。
 なんて、逃げ足が早い。
 ため息をつきながら振り返ると、床の上に残されたのは、大きな切り株をくりぬいた火鉢だった。
 灰の上で真っ赤な炭火が熾っている。
 運んできたシャラの頬も赤く火照っていた。
「申し訳ありません、ユーリさまに火を、と思いまして」
 平伏するシャラの首筋に汗の玉が浮かんでいる。
 火鉢は熱い上に、とても重そうだった。
 きっとシャラはあたしが起き出す前にと、厨房まで取りに行ってくれたのだ。
 あたしは火の上に手をかざした。じんわりと手のひらが暖かい。
「ありがとう、重かった?」
「とんでもありません!」
「あのね、あの人にあたしがお礼を言っていたって伝えてね?」
「きっと喜びますわ。ひどく脅えていましたもの」
 寄ってきたリュイがあたしの着替えを手伝ってくれる。
 しっかり目の詰まった毛織物の上着だ。
「それよりシャラ、黒太子が負けてるって?」
「それ、ホントなの?」
 思わず勢い込んで聞いてしまう。
 後宮にいるだけじゃ、なんの噂も聞こえてこない。
 毎日出かける『安息の家』にしても捕虜の収容所なのだから、情報が入ってくることはない。
 行き帰りの見張り兵から聞くよりも、双子の仕入れてくるうわさ話の方が価値があったりする。
 リュイとシャラの情報源は厨房だったのか。
 厨房で働いている人なら街に出かけて噂を耳にすることもあるだろう。
「ええ、カイル殿下の軍におされているようですよ」
 シャラは自慢げに胸を張った。
「もうすぐですわ、ユーリさま!新年にはカイル殿下のおそばに戻れますよ」
 カイル皇子の名前を聞くと、あたしの胸は高鳴った。
 一月前にここを発ったザナンザ皇子も、カイル皇子はすぐそばに来ているって言っていた。
 あの頃、寝たきりだったヒッタイト兵の怪我も良くなってきている。
 皇子がワスガンニを包囲したなら、捕虜のみんなが手を貸してくれるだろう。
 少しでも皇子の役に立ちたいもの。
「新年までどのくらいなの?」
 あたしの言葉に、リュイは笑った。
 あんまり嬉しそうにしたからかな。
「天文博士に尋ねないと正しい日にちは分かりませんが、あと七日ぐらいだと思いますわ」
 そうか、カレンダーなんてないもんね。
 あと七日で皇子は本当にやってくるんだろうか。
 今頃どのあたりにいるのだろう。
 皇子を想っていたあたしの耳に双子の声が聞こえる。
「新年はちょうど昼と夜の長さが同じ日ですの。この日にイシュタルの祭が行われます」
「でも今年は戦争でそれどころではないようですけど」
「昼と夜の長さが同じ?」
 それって、どこかで聞いたことがある。確か、春分の日だ。
 ・・・ってことは今は3月なのか。
 ここでは3月に新しい年が始まるんだ。あたしは感心した。
「イシュタルの祭が新年なの?」
「新年は一度にいろいろな祭をするのですわ」
 リュイが火鉢のそばにクッションを重ねてくれる。
 あたしはそこに腰を下ろす。差し出された朝食のパンを手に取る。
「ミタンニではこの季節に雪が降るのは珍しいようですね」
「ヒッタイトではよくあることですが」
「日本でも時々降るよ」
 そう、あたしがこの世界に連れてこられたのも、雪の積もった3月だった。
 あれから、もう季節が一回りしたんだ。
 あたしは明け方に見た夢を思い出す。
 なかなか出たくないベッド、聞こえてくるママの声。
 帰りたくても帰れなかった場所。
 そんなあたしを力づけてくれたのは皇子だった。
 その皇子に会うということは、家に帰るということ。
「そうだ、この雪って、ねえ?」
「きっと殿下がユーリさまを想われているから」
 俯いたあたしの気持ちを引き立てるように、リュイとシャラが明るい声を上げる。
「ハットウサと同じように雪が積もったのですわ!」
 ハットウサ。
 あたしが、とりあえず帰らないといけない場所。カイル皇子の住むハットウサ。
 一緒に過ごしたのは短い間だったけど。
「想っていたら雪が降るの?」
 カイル皇子のくれたハートのタブレットをポケットの上から握りしめる。
 愛しているのメッセージ。
「降りますとも!」
 確信に満ちたシャラが頷く。
「ユーリさまのためにミタンニを落とそうとしている方ですもの、雪を降らせるぐらい」
「きっとザナンザ皇子におことづけになった伝言を受け取られたのですわ」
 ザナンザ皇子はあたしの「大好き」を伝えてくれたかしら?
 だからカイル皇子もあたしのために・・・
 そんなことはあり得ないとは分かっているけれど、なんだかそう信じたくなる。
 だって、皇子と離れてからずいぶん経ってしまったんだもの。
 帰るまで一緒にいるって約束したのにね。
 カイル皇子、あたしの「大好き」は届いている?
「あっ!?」
 あたしの上げた大声に、リュイもシャラも驚いた。
「どうしました、ユーリさま?」
「だって、3月だよ?」
 そう、春分の日の一週間前って・・・
「ホワイト・デイだ!」
 あたしは窓のそばに駆け寄って、外の風景を眺めた。
 夜のあいだに降り積もった雪が、澄んだ空の下にきらきらと輝いている。
 皇子にキスを贈ったのが一月前。だから、これはきっと、そうなんだ。
「なんですの、ユーリさま?」
 窓枠にしがみついたあたしに、双子が不思議そうに尋ねてくる。
 あたしは精一杯伸び上がって、冷たい空気で胸を満たす。

 大好きな皇子。
 あたしの気持ちが伝わった?

 あたしは遠く離れた皇子を想う。

 待っててね?ぜったい、あなたの役に立ってみせるから。



                   おわり

    

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