鬼に念仏



「おお、かわいいのう!」
「ええ、目元が殿下にそっくりですわ!」
 賑やかにあがる笑い声を聞きながら、ジュダはこっそりと涙をぬぐっていた。
 こんな日がやってくるなんて。
 おもえば、毎日が針のむしろに座っているような日々だった。
「それに元気なこと」
「ふふふ、お腹の中にいる時から少し暴れん坊さんでしたの」
「おや?ジュダは大人しかったがな」
「まあ?」
 二人の高貴な女性が生まれたての赤ん坊をのぞき込んで微笑んでいる。
「私はどうだったのかしら?お母さまにお訊きしなくては」
「母女王陛下からは気の早い祝いの品が届いていたな」
 子はかすがい、というのは本当だったんだ。
 ジュダは何度もうなずく。
 苦節○年。
 朝の挨拶をしなかった、とか、隠れて旨そうなものを食べていた、とか、スープの味付けが濃い、とか、私が欲しかったネックレスを人をやって先に買い取らせた、とか、聞いている音楽が下品だ、とか、他になにがあっただろう?
 毎日毎日ひっきりなしに持ち込まれる苦情や苦言にうなずこうものなら、「ではさっそくなんとかしてください」と迫られ、仕方なしにそれとなしに注意すれば「あちらの肩を持つのか」となじられ・・・。
 ジュダはふたたび熱くなった目頭を押さえた。
 生まれ落ちる前から敵対する運命だったのかと思われた母と妻が、いまは和やかに談笑している。
 今まで我慢してきたのは無駄ではなかった。
 修行者のような苦渋に満ちた生活を、神は見ていて下さったのだ。
 恩寵は愛らしい子どもの姿でもたらされた。
「本当に、かわいいのう」
「ええ、かわいいですね」
「よくこんな立派な御子を生んでくれたものだ、ありがとう、アレキサンドラ姫」
「お義母さま・・・」
 ジュダの頬を涙が止めどなく滑り落ちる。
 この神々しいまでの聖祖母母子の姿を絵姿にして残しておこう。
 何度もうなずくとようやく笑顔を作って二人と一人に近寄った。
「ぼくにも息子を見せてください」
 ぱっと、母と妻の顔が輝く。
「殿下!」
「おお、ジュダよ!」
 大切にくるまれた赤ん坊は、無心に眠っている。
 今さらながら、それが自分の子であることに、ジュダは照れた。
「な、名前をどうしましょう?」
 母と妻とが顔を見合わせる。
 小さな含み笑い。
「じつは・・・こんなのはどうか、と考えてあるのだが。もちろん、親であるお前たちが決めることだが」
「まあ?私も考えてみたんです!でもお義母さまのご意見もお聞きしようかと」
 ジュダは幸福の金の泡が胸の底からふつふつとわいてくるのを感じた。
「では、同時に言ってみて下さい」
「それもそうだな」
 母と妻は目を見合わせうなずいた。
「「ジュダ」」
 二つの声が重なった。
 驚いたように目を見張ると、笑い声が上がる。
「殿下は学者の先生からも一目置かれているほど学識の高いお方ですもの、同じように賢くなりますように、って」
「子どものころから優等生だったしな」
「あら、お義母さまと私、同じ事を考えていましたのね」
 ああ、なんて素晴らしい日々!
 ジュダはスキップでそのあたりを走り回りたい衝動をかろうじて抑えた。
「そうですね、では全員一致で『ジュダ』と。下の名はどうしましょう?」
「それも考えてある」
「私もですわ!」
 自分と同じ名を持つことになる息子を見下ろすと、ジュダはうっとりと言った。
「もう一度同時に言って下さい」
 息子の頬は薔薇色だった。
 これはジュダの、家族の未来が薔薇色だということなのだ。
「では、言おう」
「はい、お義母さま!」
 せ〜の、とかけ声がする。
「ユーリ!」
「ウルヒ!」
 全く違う名前が飛び出した。
「なんとまあ、『ユーリ』というのは女の名前ではないか。しかもどこの馬の骨とも知れぬ」
 ナキアの口調に侮蔑が混じった。
 アレキサンドラの頬に血の気がのぼった。
「どこの馬の骨ではありませんわ!ヒッタイトのタワナアンナの高貴なお名前です。
それに、お姉さまは異国の方ですもの。男の子に名前を付けてもよろしいでしょう?
そんなことより、『ウルヒ』なんて先帝暗殺の大逆人ではありませんか!?」
「な、なんだとう!?」
 ナキアは気色ばんだ。
「『ウルヒ』というのはヒッタイトの神々の一人の名前だ!そのうえ、私に忠実だったウルヒを罪人呼ばわりとは許せぬ」
「あら、ウルヒが忠実だったってことはお義母さまが罪人だったってことですか?」
「おのれぇっ!!」
 ジュダは呆然と、凍てつく吹雪のように険悪になった二人を眺めていた。
 いったい、どうして?
「殿下っ!殿下からも言って下さい!そんな縁起でもない名前をつけるわけにはいきませんわ!!」
「ジュダ!お前はウルヒに幼い頃よりかわいがられていた恩義を忘れたかえ?」
 きいいっとつり上がった二対の目がジュダを捉えた。
「さあ!」
「さあ!さあ!!」
 ジュダはいつの間にか抱き上げていた我が子を見下ろした。
 母と妻の争いなどどこ吹く風ですやすやと眠っている。
「さあ、殿下!」
「どうなのじゃ、ジュダ!?」
 ほんの一時の夢だったのか。これから後も続くのか?
 ふいに、さっきとは違う涙がジュダの目元に盛り上がる。
「この子の名前は・・・ジュダ・・・」
「「ジュダッ!?」」
「ジュダ・・・ウルヒ・・ユーリ・・・」
「なんですって!?」
「聞こえぬぞ、ジュダ!?」
 ぐいと涙を拭くと、ジュダは顔をもたげた。
「ジュダ・ウルヒ・ユーリ・・・ウルヒユーリ・・・ウルヒューリ・・・・ウルヒュリ・・・ウルヒリ・・・ウルヒリン・・・。
それぞれの名前からいただきました。この子の名前はウルヒリンです」
「なんだと、ジュダ!?あの小娘の名前などつけることはない!」
「ウルヒなんてご冗談でしょう!?」
 素早く背を向けると、ジュダは息子を抱いたまま部屋から飛び出した。
「待て、ジュダ!」
「殿下、お待ち下さい!!」
 声を振り切るように廊下を走る。
 抱きしめたままの赤ん坊が、目覚めて泣き出した。
「よしよし、お前だけはぼくの気持ちを分かってくれるね?」
 胸で赤ん坊を揺すりながら呟き続ける。

 どっちの名前をつけても、どっちもつけなくても文句を言うに決まっているくせに。



              おわり 

    

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